二日目・ラピスラズリの君




 悲願花ひがんばな祭、二日目は天候に恵まれた。

 島には珍しく風は控えめ、青空には太陽が眩しく輝いている。



 学園祭の時は関係者でなくとも入れるということもあって、かなりの来校者が見込まれているそうだ。




 実際に、蒼司郎が所属する西洋文学部のブックカフェもなかなかの繁盛ぶりだ。


「ルチル。ちょっと早いが、そろそろ一回休んでおくように……だそうだ」

 蒼司郎が呼びかけると、メイド服を纏ったツイルがくるりと振り返った。

 やや短めの裾が綺麗にひるがえり、彼女のきゅっと細い足首が見える。

「はい、ソウ……じゃなかった、ラピスラズリ先輩!」

「あぁ。あとは俺とシトリンにまかせておけ」

「そうだね。いってらっしゃい、ツイ……じゃなかった、えっと、ルチルちゃん」

 二人はメイドのルチルがバックヤードに向かうのを見送って、気合を入れ直す。


「それじゃあ休憩までもう少し頑張ろうか、ラピスラズリちゃん」

「あぁ、だがシトリンも無理はしないようにな」

 源氏名で呼び合いながらラピスラズリこと蒼司郎と、シトリンことアウレリアはなんだか面白くて、思わずくすくすっと笑ってしまった。



 西洋文学部の出し物・ブックカフェの接客係は源氏名で呼び合う。

 相変わらず、その奇習は今年も健在だ。

 蒼司郎は去年と同じラピスラズリ。アウレリアも同じくシトリン。後輩のツイルはルチルと呼ばれている。ルチルクォーツなる鉱物から来ているそうだ。



「あの、注文と本のおすすめお願いできますか?」


「えっと……私が行ってくるね」

 客に声をかけられ、少しだけためらいながらもアウレリアは髪をふわりと揺らし、注文を取りに向かう。

 彼女はこの一年で、ずいぶん変わった。多分、いい方向に。

 肌の手入れのおかげでそばかすもほとんど消え、最近ではパートナーのフェリシィから化粧を習っているとか。もともと器用なので、上達が早いとかなり褒められているそうだ。

 実際、今日の蒼司郎にメイクを施したのはアウレリアだった。メイクのことはよくわからないが、鏡をじっくり覗き込んでみると確かにいつもよりも肌が明るく、瞳は一段大きく、そして唇がふっくらとして見えるのだ。

 彼女のメイク技術に感心すると同時に、世の女性はこのようにしてより美しくあろうとしているのか、と尊敬の念を覚えずにいられない。


 蒼司郎が思わず自分の頬に手のひらをあててぼんやり立っていると、周囲の視線を集めていた。サボっていると思われたらたまったものではないので、本棚を整頓するフリだけでもしよう、と思った時。



 その人物は現れた。


 相変わらず、仕立てのいいスーツを少しだけ着崩して、髪型も無造作で、あごには無精髭が少し生えている。そんな格好の皇御国すめらみくに人。


「よう、蒼司郎。今年もメイドやってんだな」

「……お、叔父上……その、ごきげんよう」

「ごきげんよう。その様子だとかわりないようだな。席はここでいいか?」

 ひょいと帽子をとって、わざとぞんざいに椅子に腰掛ける。やろうと思えば貴族の礼儀作法にのっとった、完璧に洗練された動きも出来るくせに。


「今年は船の時間に遅れずに済んだのですね」

 蒼司郎は盛大なため息をついて見せた。

 ……本当は来てくれてとても嬉しいなんて、そんなこと言えやしない。

「そう皮肉ってくれるな、可愛い甥っ子よ。今年は炭酸水以外を注文したいんだが」

「とはいえ、学生のやることなので簡単なものしかありませんよ。こちらメニューになります」

 手書きでメニューが書かれた厚紙を差し出すと、叔父はすぐに注文を決めた。

「そうだな、レモネードを注文したい。冷たいのがいい。……急いできたから、少し汗をかいたんだ」

 実際そのとおりで、まだ春だというのに叔父の額や首にはうっすら汗が浮かんでいる。

 ……。

「叔父上、あとでお願いしたいことがあります。午後にお話したいと思いますので、お時間頂けますか」

「お、なんだなんだ、おねだりか? 珍しいこともあるもんだ」

 蒼司郎はあえて思いっきり冷たい声で言って、ぷいっとそっぽを向いた。

「……違います、そういうことではありませんので」





 こんな格好で、営業用の笑顔を振りまけば、純朴な男子学生なんかはそりゃころりと落ちるよなぁ。


 ……以上が、我らが西洋文学部の部長様のありがたいお言葉である。

 そんな馬鹿はいるのだろうか、と思ったのだが……男子学生のグループから、熱烈な視線を送られているということば、その言葉は真理をついているのだろう。


「あ、あの、ラピスラズリさん、あなたのおすすめの本を教えてください」

「他におすすめはありますか?」

「好きな作家は、好きな本は」

「いえ、本だけじゃなく、ラピスラズリさんの好きなものもっとを知りたいです!」


 彼らは、そろって赤いネクタイをしている。つまり一学年だ。なるほど、去年の学園祭での蒼司郎のことを知らない世代というわけだ。

 一応彼らも客なので、客として丁寧には扱う。

 だがそれだけだ。


「申し訳ありません、その質問には答えてはいけないことになっております」


 ばっさりと切って捨てたのだが、それでも諦めの悪い一人が申し出てくる。

「あの、俺達と一緒に学園祭を回ってもらえないでしょうか!」

「申し訳ありません、そちらはメニューにございませんので、あしからず。ご注文がないのでしたら、これにて」


 踵を返し、フリルを揺らして壁際に退避する。

 はぁ、とため息がでる。


 どうやら、蒼司郎のことは『ラピスラズリの君』として、一学年を中心に噂が広まっているようだ。

 東洋のお姫様みたいな女子学生が接客をしてくれる……とかなんとか。


 蒼司郎は改めて自分のほっぺたにぺたぺたと触れる。

 まったく、メイクというものは大したものだ。男である自分がお姫様と呼ばれているのだから。


「蒼司郎の女装とそれにともなう騒動も、もうこの季節の風物詩だろうなぁ」

 いつのまにかやってきた部長が、蒼司郎の肩にぽんと手をおいた。重いのではやくどけてほしい。

「意味がわからないです、部長」


 ぷくー、とふくれて唇をとがらせて見せると、なぜか客の間でどよめきが起きたのは、もう気にしないことにする。



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