故郷からの手紙




 春の足音が近づく時期になると、アルストロメリア学園祭の準備も始まる。

 まだ冷たさの残る風の中、学生たちが活動的に動いているのを見ると、ああ、春はもうすぐそこなのだ。と実感できるのだ。




「それでは、今年も西洋文学部はブックカフェを行います。部長、よろしいですね」

「あぁ、問題なしだ。それじゃあ書類作ったら学園祭運営本部に出してくる」

 挙手による多数決と、三年生の簡単なやり取りの後、今年の出し物が決まった。

 もうかなり長い間恒例となっている出し物なので、よほどいいアイデアでもなければ簡単に変えられない、というのが本音である。


「ブックカフェかぁ……ボク、うまくお給仕できるのかな……」

 ツイルが大きな瞳に不安の色を浮かべながら、そう呟いた。

「学園祭の出し物だから、本職じゃない給仕のやることに客もそうそう腹を立てたりはしないから大丈夫だぞ。アウレリアも去年は結構ミスしてたけど、カバーしてもらったりしてたしな」

 蒼司郎がそう言い、アウレリアもこくこくと頷いて同意する。

「い、いえ、あの……そうではなくて、ですねぇ……」


 ツイルが両手の指をもじもじと絡ませて、恥ずかしそうに目線を横にそらしながら、白状した。

「その、あの……ボクに可愛いメイド服が、似合うかどうかって……うぅ」

 恥ずかしさに耐えきれないとでも言うように、顔を両手で覆ってしまうツイル。


「だ、大丈夫だと思うの……ツイル君ならきっと似合うよ。というか、今すぐ着せてみたいな」

「そうだな。部の仕立て科学生総動員で、ツイルに一番良く似合うメイド服を作って見せるからな」

 にこにこと微笑みかけるアウレリア。蒼司郎も目を三日月のように細めて笑う。

 二人に共通する思い、それは――――犠牲者仲間は逃さない。ということ。



「せ、先輩たち……なんで笑っているのにそんなに怖いんですかぁーー!?」






 しゃく、しゃく。

 まだ溶け残りのシャーベット状の雪を踏みしめながら、蒼司郎はクロエと二人で並木道を歩く。

 真冬にはこのぐらいの下校時刻だともう真っ暗だったが、最近は日も少しずつ長くなってきたので、まだほんの少しだけ薄明りが残っている。


「ソウジロウのところは、去年と同じなのね。ふふ、楽しみだなぁ」

「うちのことより、占術部はどうなんだ?」

「そうだねぇ、うちも去年と一緒かな。占いの店」

「そうか。去年と同じ衣装なのか?」

 痛いであろう箇所をつついてやると、クロエは真っ赤になってカバンで背中を殴りつけてくる。革の丈夫なカバンなので、これが結構痛い。

「あれ、結構恥ずかしかったんだからね……!」

 しばらく彼女のサンドバックをおとなしく勤めることに徹する。女は怒らせてはいけないし、必要以上に恥ずかしがらせてもいけない。でなければ、こういう目に合うのだ。


「むー……。あれは本当に本当に恥ずかしかったから、今度は別の衣装にしてもらう予定だよ」

 殴り疲れたのか、ようやく落ち着いたクロエは、ぷいと横を向きながらそう言った。

「そうか……。そういえば俺はクロエに占ってもらったことがなかったな」

「あれ、そうだっけか?」

「本当は去年の学園祭で占ってもらいたかったんだが……いろいろ立て込んでいてな……」

 蒼司郎は、空のずっと遠いところを見る。

 なぜか何人もの男子学生に取り囲まれて、お付き合いをしてくださいと申し込まれて……アレは大変だった。

 蒼司郎だってこんな容姿ではあるが、れっきとした男だ。付き合うなら愛らしくて、柔らかくて、いい匂いのする女性の方がいい。




「それじゃ、ソウジロウ。また明日ね」

「あぁ、また明日」

 道の分岐まで来て、二人は軽く挨拶をして別れる。真冬の時期や、あまりにも遅い時間になったときはクロエの家まで送っていくこともあったが、今日はまだ明るいので大丈夫だろう。



 山手への道を黙々と歩く。

 街の中は雪がほとんど片付けられているので、とても歩きやすい。


 下宿の前たどり着くと、帰ってきた。という気持ちになる。すっかりこちらに馴染んでしまった。

「ただいま戻りました」

「おかえりなさい、ソウジロウさん。ちょうどよかったわ」

 玄関ドアを開けて形式的に挨拶をすると、マダム・テレーズが奥の部屋から出てくるところだった。

「あなたに荷物が届いていましたよ。女中が部屋まで運んでおきましたからね」

「はい、いつもありがとうございます」

 蒼司郎はつい癖で、皇御国すめらみくに式のお辞儀をすると、マダムはあらあら、丁寧だこと。と上品に呟いてまた奥の部屋に消えた。



 荷物は、そう両手で持ち上げられる大きさの小包だった。

 蒼司郎は制服を着替える前に、それを手にとった。

 宛名は、多分兄が書いたのだろう。相変わらず几帳面な性格がよく出ている角ばった文字だ。

 しゅるしゅると包みを開けていく。開けるたびに、どこか懐かしい匂い……故郷の風の匂いがする気がした。


 中には、皇御国でしか染められていないような糸や布。それに使い慣れた針や糸切りハサミなどの新品が入っている。ありがたいことだ。

 それに、家族からの分厚い手紙もついている。

 蒼司郎は便箋をそっと、優しく開く。


 父と母は相変わらず仲が良さそうだ。先日の貴族の屋敷で行われた夜会でこんなことがあったとか、庭のさざんかが美しく咲きはじめているとか、大きなことから小さなことまでこまごまと書き綴っている。

 兄は、最近見合いに引っ張り出されて大変だそうだ。だが、もうそろそろいい年齢なのだから嫁を迎えるべきだと思う。

 妹からは――


 仕えていたお付きの女中が辞めた、と書いてあった。

 ……いい縁があって、結婚して、奉公を辞めることになった、と。


 ……蒼司郎は、ベッドに突っ伏した。

 彼女は、もともと蒼司郎のお付きだったのだ。そして、彼女でいつもドレスを作る練習をしていた。彼女に似合う色はデザインは装飾はと、いつも考えていた。


 彼女は――アトランティスへの留学が決まった蒼司郎に、一度だけ小さな声で「行かないでください」と呟いた。

 けれど、それを蒼司郎は聞こえないふりをした。彼女の懇願を振り切って、ここへやってきたのだ。



 あぁ、あいつは――結婚したのか。

 当たり前だ。もうそれなりに年頃だの適齢期だのと呼ばれるようになっているのだろう。


 そう思いながら、しかし、蒼司郎は一粒だけ涙をこぼした。

 それは失恋の涙だ。

 俺はきっと……あいつに恋をしていたんだ。それにようやく気がついた。


 蒼司郎は靴を履いたままベッドにごろりと転がり、天井を仰ぐ。


 ふと、思い出すのはユミスのこと。

 彼女は、女性であるにも関わらず、女性に恋をした。


 恋とは……なんなのだろうか。

 人は、どうして恋をせずにはいられないんだろうか。



 蒼司郎は行儀悪くもベッドの上をごろごろしながら、やり場のない気持ちを抑えていた。

 こんな傷ついた心で、自分はまた恋をするときがくるのだろうか?


 そんなことを考えながら、蒼司郎は夕食の時間までずっと転がっていた。



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