「美しいひとだった」
年の終わりのその日は、小雪がちらつく天候だった。
「あら、ソウジロウさん。こんなお天気の時にどちらへ?」
下宿のマダム・テレーズに玄関で呼び止められたので、あらかじめ決めていた通りにこう答える。
「……ちょっと送りそこねていた荷物がありまして、郵便局へ」
十二月三十一日。
島全体が年の瀬の賑わいを見せるこの日の夕方、小包みを手にわざわざ郵便局へ向かう。
別にこの小包み自体は、いつ送っても構わないような品だ。
それなのに、蒼司郎はこの日に郵便局で小包みを送る。
これは一種の儀式だった。
ある人を喚ぶ、そのための儀式。
小包みを発送する手続きを済ませ、郵便局の外に出る。
相変わらず、小雪はちらついている。このまま夜中になってさらに冷えて大粒の雪に変わるようなら、今夜の花火は中止かもしれない。
空を見上げて、ほうっとため息をつく――その時、背後に気配が『現れた』のだ。
反射的に、刃を仕込んだステッキを握る手に力がこもった。
蒼司郎はゆっくりと、なるべく落ち着き払った表情で振り返る。
「……ごきげんよう」
「ごきげんよう、ソウジロウさん」
そこに立っていたのは、予想通りの姿。
麗しの
いつもの香水の、華やかな芳香ががふわりとかおる。
「待っていてくださったのかしら?」
にこにこと、いかにも機嫌がよさそうに麗しの美女――ユミス・ラトラスタ・アトランティスが言う。
「……まぁ、待っていました。それは確かです。わざわざ去年と同じ行動をなぞってまで、お待ちしておりましたよ」
「あら、可愛らしいこと」
蒼司郎とユミスが会話していても、周囲の人間は素通りだ。
彼女は去年と同様に『周囲の人々の認識をちょこっと書き換える』ような魔法を使っているらしい。でなければ、この有名すぎる大魔女がまともに外出できるとは思えない。
「それで、今年もつきあってくださるのかしら?」
「えぇ。お望みとあらば、エスコトートいたしますよ」
彼女に向かって、手を差し伸べる。
ユミスは少しはにかみながら、その手を取った。
「では、今年はどこに向かいましょうか」
「そうね、去年と同じく港公園のイルミネーションもいいですし……年の瀬の屋台で食べ歩きもいいですわね。そうそう、今は外国から移動遊園地も来ているの、知ってますかしら?」
無邪気に笑って、今日のこれからの計画を立てるその女性が国際魔女連盟の長だとは、信じられないぐらいである。
「あ、でもディナーは去年と同じ店がいいのかしら? あの店なら海鮮のカルパッチョも出してくれますよ。サシミとはちょっと
「そうですね。では遊園地が気になりますし、屋台で軽食を買ってから、そちらに向かいましょう。ディナーはその後でどうですか?」
「えぇ、そういたしましょう!」
年の瀬の屋台群は、小さな人形たちなどで可愛らしく飾り付けされていた。
その飾り人形の意味を、ユミスはひとつひとつ教えてくれる。
なんでも、それぞれ魔法的にも意味があるのだとか。
「はい、熱いのでやけどしないように気をつけてくださいね」
「ありがとうございますわ」
屋台で購入した、小麦生地を練って作ったらしい揚げ菓子――チュロスと言うらしい――を半分こにしてユミスに渡す。
これはシナモンと砂糖がかかったもので、口に含むとふわりと甘い味と独特の香りがした。
「食べ歩きなんて、学生時代以来ですわ」
「……そんなこともしてたんですね」
「えぇ、月子と一緒に。あの人はアトランティスのことを何一つ知らなかったので、私がいろいろ案内して教えて差し上げましたの」
そう独り言のように呟いて、ユミスはチュロスを食べる。
「懐かしい甘さですわね」
移動遊園地、というものを蒼司郎は今まで見たことがなかった。だが、子供の夢を詰め込んだかのような、まばゆく楽しい場所であることはわかる。
「ねぇ、メリーゴーランドに乗りましょうよ」
ユミスが、腕をぐいぐい引っ張りながら、木馬がくるくる回っている遊具がある方向へ向かおうとする。
「あの回転してる木馬の遊具ですか、俺は見ている方で大丈夫です」
「遠慮なさらなくてよろしいのよ?」
「してません」
「もう……それじゃあ、ソウジロウさんはちゃんと見ていてくださいね。どこかに行ってしまっては嫌ですわよ」
蒼司郎の袖をぎゅっと握って、不安げに彼女は呟いた。
「この状況でどこに行くっていうんですか」
「そう、ですわよね……」
まばゆく光る
その光景は、きっと彼女の魔法の効果で蒼司郎にしかちゃんと見えていない。
本当に夢のように、きらきら、美しくて。幻のようにも思えて。
予約してあったという、去年と同じ店。
少し違うのは、完全個室の席に通されたということだった。
「はぁ……楽しかったですわね」
「……えぇ。楽しそうな顔を見ているのも、結構面白かったです」
「あら、意地悪ね」
ユミスには応えず、蒼司郎は温かい緑茶を一口飲んだ。この茶が故郷で飲んでいたものと同じものなのかはわからない。砂糖が入っていたので味がはっきりしないのだ。どうしてヨーロッパでは、無差別に茶に砂糖を入れるのだろうか。
「……なんで茶をわざわざ甘くして飲むんでしょうね」
「月子もそうぼやいていましたわよ、ふふ」
また、月子の事を彼女は口に出した。
ユミスの学生時代のパートナーだった、皇御国出身の女性。
彼女は、一体――
「顔に出ていましてよ」
「……!」
「嘘です」
慌てて頬をおさえた蒼司郎に、ユミスはにっこりと微笑んだ。
「私と月子は、学生時代のパートナーでした。そして、恋仲でもありました」
ぽつり、とユミスはとんでもないことを語りはじめた。
「それじゃあ、その、お二人は……」
「そうですわね。当然、そういう仲になれば……周囲に隠しきれるものではありませんでしたわ」
ユミスがそう言ってから、冷めた紅茶を口にする。
「元々は学園が定めたパートナーですから、完全に別れさせられることだけは避けられましたけれど……月子には、とてもつらい思いをさせてしまったことと思います。だから私、早く卒業して、彼女と一緒に――皇御国に行きたくて」
かちゃりとカップをソーサーに置いたが、その手はかたかたと震えているようだった。
「だけど、国際魔女連盟は私という才能を逃がそうとしませんでしたわ。これでも私、当時から天才、なんて持ち上げられていたものですから。私はアトランティスから出ることを禁じられ、月子は……アトランティスから追い出されましたの」
「そんな……」
「もっとも、その命令を下した魔女も今では私の部下ですわ」
ユミスは少女のように、くすくすっと笑った。……その笑みには、ひとかけらの闇すらもなくて。逆にそれが彼女の深淵をのぞかされているようで。
「私は、ただ、早く自由になりたくて、その一心で、功績をあげ続けて、気がつくとこんなところに立っていましたわ……こんな、孤独の場所に」
「……ユミス」
いろいろなものに耐えきれなくて、蒼司郎がそう呟く。
彼女は胸の中のもろい部分を突き刺されたかのように、悲痛な表情を浮かべた。
「あぁ、ようやく私の名前を呼んでくれましたね……だけど違う。違うの。違うのですわ。私は、まだ、月子の事だけ、を」
「当たり前です、俺は雪白宮月子さんではありませんから」
あえて蒼司郎はユミスに興味がないとでもいうように、砂糖入りの緑茶を飲むふりをする。
「月子さんから、連絡はないんですか」
「ないのです。十年たった今でも、彼女からの手紙なんて来ない。それどころか、私は彼女の行方すら知らないのですわ。怖くて、私とのことは若さからの過ちで、もうとっくに他の人と結ばれているんじゃないかと思うと、怖くて、彼女がどこに居るのかも調べることができなくて」
気持ちを吐き出すと、ユミスはぼんやりと暗い窓の外を眺めた。
「会いたいわ……彼女は、とても、美しいひとだった」
遠くから、花火の音が聞こえてくる。
沈まなかった魔法帝国のかけら・アトランティス諸島は、もう年越しを迎えてたのだ。
「ユミス、少し出遅れてしまいましたが、花火を見に行きましょうか」
「……そう、ですわね」
そうしてはかなく微笑むユミスのほうこそ、とても悲しくて、とても美しいひとだった。
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