弓姫のドレス
「ソウジロウ先輩、この詩の『君』の解釈って……」
「あぁ、それを読んでたのか。それの解釈は一般的には……」
冬休みも近いこの日、蒼司郎は部活と称して部室で本をのんびりと読んでいた。
ツイルが英語の詩で何かわからないところがあったようで、差し出された本のページをのぞき込む。
と、ちょうどその時、ドアが開いた。
「よう、我らが部員たちよ。しっかり部活してるかー?」
そう軽く言いながら入ってきたのは、西洋文学部の部長を務める三学年の男子。先輩ということになる。
「まぁ、本を読んでいるだけですが、一応活動してますよ」
蒼司郎の言葉に、ツイルもこくこくと頷く。
「二学年も一学年も部活に熱心で何よりだ、うんうん」
「えーと……あの、部長さん?」
ツイルが思いっきり不審なものを見る目で、部長を見ていた。
普段はあまり部員たちの活動をどうこう言ったりしない部長なので、妙といえば妙だ。
「ところで、話は変わるが……俺が演劇部も掛け持ちしてるのは知っているな?」
「本当に突然変わりましたね。まぁ知っています。脚本とか書いてたりしましたよね」
「そうだったんですか……部長さん脚本なんて書けたんですね……」
部長はふふん、と得意そうな笑みを浮かべつつ、話を続ける。
「それでだ、今度冬休み中にやることになった劇は、俺のオリジナル脚本なのだよ!」
びしぃっと二人に指を突きつけ、堂々と宣言する部長。
「おー」
ツイルが可愛らしく、小さな拍手をしている。
アルストロメリア学園の演劇部はかなりの本格派で、島のかなり大きな劇場でも上演されるような劇だったはずだ。そんな劇にオリジナルの脚本を提供できるのだから、さすが部長、なのかもしれない。
「それは確かに、凄いですね」
「な、凄いだろ、凄いだろ俺!」
「……自慢しに来たんですか、部長」
ちょっとだけ冷たさを含んだ視線と声で蒼司郎が呟くと、部長はあっさりと首を横に振ってみせる。
「いや、そうじゃないんだよ。ソウジロウ、お前弓をやってるって聞いたんだが、本当か?」
またしても別の方向に話が飛んだのに、一体どういうことなんだろうと首を傾げながら応えた。
「弓、ですか。弓術部には入っていませんよ。それなりに経験はありますが」
「本当に本当か!」
その言葉に、部長はぱああっと顔を輝かせる。……いったい何なのだろうか。
「……えぇ、まぁ。ただ故郷の弓は、ヨーロッパの弓とはずいぶん違いますよ」
「それがむしろいい! お前のような逸材を待っていた! ソウジロウ・ヒノ、お前という人間を見込んで頼みがある!」
「だから、なんなんです」
部長は、大仰な仕草で腕を広げて、こう宣言したのだ。
「劇のヒロインである、弓姫のドレスを着てほしい」
劇の内容はこうだ。
戦乱の世。とある城のあるじには美しい娘がひとり。
その娘は容姿端麗であるばかりでなく、武芸に秀でていた。特に弓をとっては獲物を外すことなく、ついた二つ名は弓姫。
弓姫は、父親である城主が留守の間に攻め込んできた軍から城を守るため戦うのだが――その中で敵の軍団長と恋に落ち、悲劇的な最期を迎えることになる。
古今東西、似たような話はあるのだな。と思いながら、蒼司郎は紺碧のドレスを身につけていく。
中世あたりのヨーロッパを思わせるデザインだが、どこかオリエンタルな雰囲気もあるドレスだ。
劇の舞台となる場所は、はっきりとは設定されていないらしい。部長曰く、ヨーロッパより東のどこか、という非常に曖昧なものだ。
それでいいんだろうか……と思うのだが、実際それでいいらしい。観客は設定を知りたいのではなく、劇を見に来て泣いたり笑ったりしたいのだそうだ。そこはなんとなく蒼司郎にものみこめる。
「ソウジロウ、着替え終わったか? 細かい装飾なんかはこっちで手伝うぞ」
「はい、終わりましたよ。入ってきても大丈夫です」
かちゃり、部室ドアを開けて部長とツイルが入ってくる。
「おー……」
部長は、感嘆の声をあげながら軽く拍手をした。
ツイルは……くちをぽかんとあけて、目をまんまるくしている。
「ソウジロウ先輩……綺麗……」
「まぁ、これで魔法が使えればいいんだが、あいにく俺は男だしな」
皮肉げに微笑みを投げかけると――ツイルはなぜか、びくりと肩を震わせた。
「で……ソウジロウ、このドレスで弓は扱えそうか?」
「着てみたところ、この袖はやっぱり少し長いですね。普段から弓を使う姫君で、城にこもっての戦いの最中なら、もうちょっとこの部分をすっきりとさせたほうがいいと思います」
部長はふむふむと頷きながら、メモをとっている。
「それと、この胸のリボンですね。実際弓を引いてみないとわからないところもありますけど、このリボンは矢が発射される時、弓弦に巻き込まれる可能性もありそうです。ちょっと危ないので、取った方がいいでしょう」
蒼司郎は弓を引く仕草をしながら、この弓姫のドレスの問題点を探っていく。
「それと……これは……まぁ、俺なら問題ないんですが」
「ん?」
この『問題点』は挙げるのが正直、いや、かなり恥ずかしい。なんだかんだ言われるが、蒼司郎も年頃の健全な男児なのだ、一応。
「このドレスだけだと、その、女性の場合は胸を弓弦にぶつけそうです。すごく痛いそうですので、革かなにかで胸当てが必要ですよ。俺は胸がないからいいですが」
と、そのときだ。
ぼんやりとしたまま、部室の隅に立っていたツイルがとことことやってきて、なぜか必死な表情でこう尋ねてきた。
「あ、あの……ソウジロウ先輩に胸がない、って……もしかして、先輩は……男の人、なんですか?」
「「……」」
「た、たしかにいつも男子用の制服を着てますけど、それは何かお国の事情とかお家の決まり事とか、そういうのじゃ、ない……んですか……?」
ツイルの声がだんだん力を失っていって、とうとう黙りこんでしまう。
蒼司郎は部長に目線で助けを求めたが、見事に目をそらされてしまった。自分でどうにかしろ、ということらしい。
「……ツイル、俺は男だぞ」
「……そ、そう……だったんですね……ごめんなさい! いままでずっと、勝手に先輩を誤解してて!」
がばっと、ツイルが凄い勢いでふわふわくるくるの頭を下げる。
「お、おう……」
こういう場合はなんと声をかければいいものやら。気にするな、でも何かずれている気がするし、許せないというわけでもないし。
「ツイル」
「は、はい!」
「まぁ……俺が男でも女でも、これからも同じように接してくれ。難しいかもしれんが」
顔を上げたツイルは、黒い瞳をぱあああっとまばゆい星のように輝かせた。
「ありがとうございます、ソウジロウ先輩!」
そうして、いつものようにじゃれついてくる。
……性別を偽っているのはきっと『彼女』だ。ツイルの方なのだ。
最初に会ったときから、わかっていた。
高い声、柔らかな顔立ち、しなやかな体つき。ツイルはどこをどう見てもれっきとした女の子だ。
いつか、真実を語ってくれるときがくるだろうか、そう思いながら、ソウジロウは子犬のようなツイルに微笑みかけた。
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