南海に咲く蘭の国より
「ソウジロウ、そっちも放課後は部活?」
授業終わりの鐘が鳴り、帰り支度をしていると隣の席のクロエが、そう尋ねてくる。
「あぁ、今日も部活だ。クロエもか?」
「そ、占術部。今年は結構入部希望者多くてね。一学年達が先輩って言ってくれるの可愛いよねー」
何かと面倒見のいいクロエは、いかにも嬉しそうに口角をあげてにんまりと笑った。
彼女が後輩に慕われるのも、なんだかわかる気がする。
蒼司郎の相棒であるクロエ・ノイライは身長百七十センチ近くの長身(本人曰く、百六十センチとほんのちょっと、だそうだ)で、手足がすらっと長く、それでいて出るところは出ているドレス映えのする体型だ。
アトランティスにおいても珍しい、新緑の色をした髪は二つのお下げにまとめてある。その毛先がゆらゆら揺れるのは、見ていて飽きない。
濃緑の瞳は猫を思わせるような、ぱっちりとした形でまつげは長く、鼻は高くすっと整っていて、眉毛ははっきりとしている――はっきり言って美しい顔立ち。
この容姿で、面倒見がよくて、さらに占いの腕も確か。
これなら、慕われて当然というものだろう。
「うちはまだ入部希望者も来ていないから、よくわからないな」
ごくそっけなく、蒼司郎が返してやる。
「え、西洋文学部ってそんなに人気なかったの?」
「かけもちで入部する学生も多いらしいから、まだ様子見をされているのかもな」
「なるほどねぇ……」
テキストやノートをカバンにしまうと、蒼司郎はすっと席を立った。
「それじゃ、また明日な。クロエ」
「うん、また明日ね、ソウジロウ」
部室にカバンを放り込んで、急ぎ足で図書館へ向かう。
蒼司郎の所属する西洋文学部の活動は、基本的に自由だった。
西洋の古今の本を読みあさり、それらの感想会や討論会をするもよしだし、もちろん一人ひっそり読むでもよしだ。
アウレリアあたりは自分で文章を書いているようだが、蒼司郎は書かない。なぜなら蒼司郎が書いたら『西洋文学』ではなくなってしまうからだ。それに読む専門が性にあっている、というのもあった。
今日はお目当ての本がある。
ドイツでまとめられた、童話集。その初版本。
童話など子供向けだと思っていた蒼司郎だが、その童話集はなかなかに面白く読むことができたのだ。
特に、灰被り姫の硝子の靴やドレスが出てくる魔法のくだりはよかった。
他には千匹皮という話に登場するドレスも想像をかきたてられた。月のドレス、星のドレス、太陽のドレスとはどんな美しいドレスだろうか。しかもそのドレスがクルミの殻に収まる、というのはなんとも心おどる描写だった。
昨日アウレリアに、その童話集の初版を探すつもりだと言ったところ、彼女はわずかに顔を青くして「読まない方が、いいと思う……」と言っていたが……それは逆に気になるではないか。
「確かこのあたりのはずなんだが……無い、な」
誰かにまとめて借りられているのだろうか。
目録で存在は確認しているので、このあるにはあるのだろうが……見当たらない。
初版童話集を求めて視線を動かしていると……本棚の向こうに、ふらつく人影が見えた。
いかにも重たそうな本を、何冊か重ねて運ぼうしている小柄な人物。着用している男子制服のネクタイが赤なので、一学年なのだろう。
華奢な腕に、あれだけの本はどう考えても無理がある。
あれは助けに入るべきだろうか。そう思考した瞬間、それは響いた。
「きゃあああっ!」
かん高い悲鳴。
姿勢を崩した学生は、本とともに床に倒れ――――そうになる前に、蒼司郎が急いで抱きかかえてやった。
「大丈夫か?」
『……え、あの、えっと』
突然のことで、気が動転しているのだろう。その学生は蒼司郎に理解できない言葉で、何か小さく呟き続けていた。
とっさに英語やフランス語が出てこないところを見ると留学生、なのだろう。
しっとりとしていそうな肌は薄く小麦色で、ふわふわと癖のある黒髪に、つやのある真っ黒な瞳。やや彫りの深い顔立ちは南国の雰囲気がある。華奢な体に、ややぶかぶかとした男子学生服が不似合いだった。
「大丈夫か?」
英語で話しかけ続けると、相手もようやくそのことに思い至ったようで、はっとした顔をした。
「だ、大丈夫、です……。申し訳ありません、先輩……ですよね」
やや発音の癖はあるものの、丁寧さが感じられる英語が紡ぎ出された。
「あぁ、見ての通り二学年だ」
蒼司郎は自分の緑色のネクタイにそっと触れて、そのことを肯定する。
「それにしても、資料が読みたかったのはわかるが、一度に読み切れるだけ運んだ方がいいぞ」
床には、ぐしゃぐしゃになった資料が無残に落ちている。
それらを一学年生と一緒に拾い集めた。
……すべて、西洋の服飾史の本や、昔のファッション誌のバックナンバーやファッションプレートだ。
蒼司郎にも覚えがある。入学したてのときは、こんなにも西洋のドレスや衣服について書かれた資料があるのが嬉しくて、全部頭にいれようと時間を忘れて読みあさったのだ。
「お手数をかけてしまって……」
資料を近くのテーブルに積み上げると、一学年生は心底申し訳なさそうにうなだれた。
「いや、気持ちはわからなくもない。一年前は俺も同じ資料を必死に読んでたしな」
「え……」
「俺は、留学生だからな。国にはこんなにヨーロッパのドレスの資料がなくて、だからこの図書館は本当に宝物の山みたいに見えたんだよ」
「同じです!!」
高い声で、その一学年生がそう言いながら、何度も
「その、ボクも同じなんです! 故郷にはこんなにいろいろ入ってこなくて、でもドレスが好きで学びたくて、授業だけじゃ足りなくて、ここに来たらいっぱい本があって、思わず……!!」
黒い瞳をきらきらさせて、頬を少し紅潮させて、一学年生は早口にいろいろなことを言う。
そして、蒼司郎を見上げて、笑った。
「ありがとうございます、先輩。……その、てっきり怒られるかと」
「ま、それはそれであっちでにらんでいる司書さんに、たっぷり叱られてくるんだな」
「うぅ……やっぱり、そうですか……。あ、あの、わ……ボクは、シャム王国からの留学生で、ツイルって呼ばれています。先輩は、どちらからいらしたんですか?」
シャム王国。
あのあたりの地域では珍しく王政を保ったところで、たしか『南海に咲く蘭』と呼ばれているという。
「あぁ。俺は
ツイルは大きな瞳をぱちぱちさせて、ソウジロウを眺めていた。
「スメラミクニ……つい最近まで鎖国してたって言う……あ、いえ……でも、数百年前ぐらいにシャム王国にやってきた勇敢なサムライたちの話、聞いたことがあります」
今度は蒼司郎が目をぱちぱちさせる番だった。
「そんな話も残っているのか……。うちの祖も侍だから、気になる話だな」
「え……」
ツイルが少し首を傾げる。解せないとでも言うように。
「……ソウジロウ先輩のご先祖さまは、お花のように綺麗なお姫様とかじゃないんですか?」
真顔で、そんな言葉を繰り出してきたツイル。
あまりにも真剣な口調だったので、蒼司郎は吹き出すタイミングも忘れてしまった。
「……まぁ、姫と呼ばれるような女性も、それなりにいたとは思うが」
「ですよね! きっとみんな綺麗だったと思います!」
そう言って力強く頷くツイルこそ、いかにも姫君がご先祖にいそうな、品のある姿をしている。
たぶん、シャム王国では貴族身分なのだろうと察することは容易だった。
「あ、あの、ソウジロウ先輩……。先輩の部活って、どこですか?」
「ここになるな、西洋文学部」
「じゃあ、ボクも西洋文学部に入部します!」
あまりに急な話に、蒼司郎は驚いたが、悪い気分ではなかった。
何より、今年の西洋文学部は人気が無い。
一人でも入部希望者がいるのは、ありがたいと言うしかない。
「じゃあ、部室にあとで案内する」
「はーい! ……あとで、ですか?」
「あぁ、先に司書さんのお叱りを受けてからだな」
さっきとは違う、沈んだ声で「はーい……」と呟き、司書のところにとぼとぼと歩いて行くツイルの後ろ姿。
それを見ながら、なんとなくそわそわとする蒼司郎だった。
後輩というのはなかなかいいもの、なのかもしれない。
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