夏の長雨・試験・信じるこころ

ぽつりぽつりと




 ぽつり、ぽつり、ぽつり、ぽつり、雨は降り続く。




 硝子窓はくもって、雨のしずくがびっしりとついていた。

 教室のくもり窓に、クロエは指先でくるくると渦巻きを描く。


 アトランティス諸島の短い春も終わり、雨の季節。

 一年で一番憂鬱な季節がやってきてしまった。

 普段は良いお天気が多いアトランティスだが、この時期ばかりは何日も雨が続く。



「こっちにもツユはあるんだな」


 デザイン画を描きながら、こちらを見もせずにソウジロウはそう呟いた。

「ツユ? スメラミクニでは長雨のことをそう呼ぶの?」

「長雨というか、この雨の季節のことだな。本格的な夏に入る前の雨が多い季節をそう呼ぶんだよ」

「そっか。でもツユって、なんだか綺麗な響きの名前だね」

 そう感想を言うと、彼はこちらを向いた。その表情はとても意外そうな顔。

「……そうか?」

「うん」


 雨のしずくがきらきらと、緑の葉っぱに降り注いでいるような、そんな名前。

 それをそのままソウジロウに伝えると、彼は今度は苦笑いをした。

「クロエにスメラミクニの雨と湿気のひどさを教えたいよ、まったく」

「そんなにひどいの?」

「この時期はなんでもかんでも、あっという間に傷むんだ。特に食べ物。ちょっとの間だと思っていても、すぐダメになってる。それに布だ。服もいつのまにか湿気て、カビている」

「それは困るなぁ」

「だろ?」


 人気の無い教室に、二人の笑い声が小さく響く。

 雨はまだまだ止む気配がない。

 今日は部活もない。


 のんびりと、ソウジロウと過ごす時間を心地よいと思えるようになったのは、いつの頃からだろうか。



「クロエ、ちょっとこれを見てもらえるか」

 そう言ってソウジロウが大きな作業机の上に置いたのは、綺麗に巻かれた布。

 どうやらなめらかな絹で出来ているようで、つやつやとしているのが見える。


「これは? ずいぶん上等な絹のようだけど」

「先日実家から送られてきた。西の都で作られたユウゼンという布だよ」

 ソウジロウはその布を少しずつ広げていく。


 そこには、自然の景色がありのままに、けれど美しく描かれている。

 水面に浮かぶ見たことのない鳥と、名前も知らない植物。そして可憐に咲く花。


 模様のある布というより、もはや絵画と呼ぶにふさわしい、そんなあまりにも贅沢な存在がそこにある。


「ソウジロウ……これって」

「実家に無理を言って調達してもらった品だ。……夏には、学年末には試験がある。その時の魔呪盛装マギックドレス用のものだな」

「やっぱりそうなの?!」

 クロエは思わず、悲鳴のような歓声のような、そんな声を発した。

 綺麗な布で出来たドレスを着られることは、もちろん嬉しい。

 しかし、その前にこれはクロエのような学生魔女が着てもいいものなんだろうか、という気持ちが出てくる。


「それだけ本気ってことだよ、次の試験に。それだけしないと勝てないんだ。いや、しても勝てるかどうか危ういぐらいだ。一位のシィグは天才だからな、それも二重の意味で」

 彼はユウゼンに咲く花に触れながら、口惜しそうにそう言う。


 仕立て科一学年の席次一位であるシィグ・アルカンナは、はっきり言えばドレス作りの天才だ。

 いつも明るくて、ちょっとお人好しな少年である彼は、ドレス作りの天才であると同時に努力の天才でもある。

 天性の才能とセンス、それに常に努力を忘れない心と、それを持続させられる精神力、それに加えて、アトランティスでも優れた仕立て師の家系という環境。


 まさに、シィグは仕立て科一学年にとって至高の存在だった。


「ソウジロウ」

「あいつは自分の持てるすべてで、努力をし続けて結果を出している。だから、だから俺も、出来ることはなんでもする。実家の力でもなんでも使うさ。……どっちにしろ、この学園で学ぶことが出来るのだって、もともと実家の理解と金のおかげなんだしな」

 そう言って、ぷいっと彼は横を向いた。


「……くやしいさ、すごく。でも、これだけやっても勝てないんだ。シィグにも、リオルドにも。この学園にいると、俺はまだまだなにもないんだって思い知らされるよ」

 震える声で、彼はそうしぼり出す。

 そんなことはない、ソウジロウは努力している。

 そう言ってやるのはあまりにも簡単だけど、そんな言葉彼には届かないだろう。


「そんなことはない、ソウジロウは――」

 クロエはそこで言葉を止めた。そして言い直す。

「ソウジロウには、たくさん貰っているよ。私はたくさん貰ったもの」


 硝子窓を、雨粒が叩く音だけが響く。


「クロエ、あのな」

 ようやく、彼は口を開いた。

 クロエと目を合わせることなく、視線をさまよわせている。


「本当に俺は、お前に何かを与えられているんだろうか」

 その言葉に、クロエはこくりとうなづく。

「……俺は、自分の作りたいようにドレスを作ってきただけなのかもしれないぞ。それをお前に着せて、自己満足していただけかもしれない。……ずっと、昔からそうだったように」

「昔?」


 そこでソウジロウは慌てたように何度も首を振った。

「すまん、なんでもないんだ。……今のは忘れてほしい。頼むから忘れろ」


 取り繕うように言い、彼はユウゼンを元通りに巻き直す。

 布の上に描かれた小さなスメラミクニの風景は、あっという間に見えなくなった。




「……今日はもう帰るか。待っていても雨はきっと止まないだろうしな」

「うん、そうだね」




 ぽつり、ぽつり、ぽつり、ぽつり、まだまだ雨は降り続く。




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