雨と白猫一家




 きゃあ、という華やかな声が、校舎一階渡り廊下の方から複数あがった。



 一体何事だろうかとクロエが廊下をのぞき込むと、そこには女子学生何人かが、黄色い悲鳴をあげている。

 彼女たちの足下には、白っぽい毛玉。もとい、白い仔猫が三匹。

 少し離れたところには、仔猫たちの母であるあの白猫。


 女子学生たちは、仔猫たちを撫でていた。

 仔猫たちも、愛らしく甘えて彼女たちの手にじゃれついている。

 野生の動物、たとえば鳥の雛などは、人のにおいがつくともう親鳥は育てようとしない、なんて言われているが……母白猫は目の前で仔猫たちが撫でられても気にした様子はない。

 むしろクロエには、自分の子たちは可愛いだろう? と胸を張っている気さえしてくる。


 妙にふてぶてしいし、度胸があるというか根性がすわっているというか、不思議な猫である。

 本当にあれは野良猫なんだろうか。

 それとも、実は誰かの飼い猫だったりするのだろうか。


 ……そこまで考えて、クロエはあの冬の終わりかけの日のことを思い出した。

 白猫を抱き上げて、微笑む女性。生きながらにして伝説となった魔女。国際魔女連盟の長であり、アルストロメリア学園の学園長を兼ねる、偉大な存在。

 ユミス・ラトラスタ・アトランティス。

 あまりにも多岐にわたる才能から、アトランティス島が開拓されて以来の天才とうたわれ、学園席次一位で入学し、そして三年間頂点に立ち続けたという女性。

 卒業後は国際魔女連盟で辣腕らつわんを振るい、数々の武勇伝を打ち立て、あっという間に幹部候補生から幹部へ――そして、二十二歳という、史上まれに見る若さで彼女は国際魔女連盟の長の地位を得たのだ。


 これは、アトランティス島の住人なら誰でも知っている、彼女の半生の物語ストーリー

 けれど……真のユミスは、その物語は、もしかしたら全然違うものなのかもしれない。




「今度は猫用ミルクもってくるねー!」

「あ、じゃあ私はお魚の缶詰もってくるよ!」

 女子学生たちのにぎやかな声で、クロエは現実に引き戻される。


 白猫一家は、もう立ち去ってしまったらしい。

 女子学生たちが口々に猫が食べれるようなモノの名前をあげて、名残惜しそうに手を振っている。

 あの様子なら、この長雨でもエサに困ることはなさそうだ。

 愛らしい白猫一家は、すっかり学園の人気者。もうあの冬の日のように、クロエに食べ物をねだりに来ることもないのだろう。


 ……クロエは、安心すると同時に、少しの寂しさを覚えていた。

 それは、所詮は人間のエゴなんだろう。そう言い聞かせても、心のどこかにぽっかり空いた穴のようなものは埋まってはくれないのだ。




「と、まぁ試験に関してはこの通りだ」

 仕立て科の教師であるイジャード・シハーヴが全員に紙を配ってから、真剣な光を宿す金色の瞳で教室を見渡し、そう宣言する。

 その日、仕立て科との合同授業の終わりに、学年末試験のことが発表となった。


 クロエはソウジロウと一緒に、配られた紙を見る。

 そこには、一年の学年末試験はトーナメント形式での『魔女の戦い』による、と書かれていた。

 注意事項としては、着用するドレスは今回の試験のために作ったものであること。という一文がある。つまり、以前作って貰ったドレスは試験には着ていけない。これぐらいは誰もが承知しているだろう。

 他には、今回はドレスと小物のみを評価とする。下着の魔呪盛装マギックドレスは使用不可。という点に注意が必要だろうか。


「詳細は後日、一学年用の掲示板にて発表する。では、これで授業は終わりだ」


 イジャードが壇上のテキスト類をまとめて教室を出ると、学生たちはそれぞれに声をあげた。

 隣の席にいるパートナーと話し合う者。雄叫びをあげる者。顔面蒼白で悲鳴をあげるものもいる。……まだ対戦相手も決まっていないのだから、気が早い気もする。


「クロエ」

 ソウジロウは、一見落ち着いているようにも見えた。だが、その見開いた黒い瞳の奥には、ちらちらと炎が燃えている。

 それは、勝利を求めるあまりに、彼自身をも焼き尽くそうとする、あまりにも強い炎。

「勝ちに行く。絶対だ」

「うん」


 だけどクロエは、その炎を消そうとは思わない。

 それがソウジロウを突き動かしているならば、燃えるままにすればいいのだ。

 むしろ、燃え尽きないように燃料を投げ込んでやりたいくらいだ。


「放課後、時間はあるか?」

「もちろんあるよ。三年生も二年生も試験があるから、最近は部活も休みなの」

「それは良かった。なら放課後、またこの教室で。採寸と、あとはデザインの意見も聞きたい。古都のユウゼンを使っての魔呪盛装マギックドレス作りは俺も初めてだから、裁断してしまう前にやれることはやっておきたいんだ」


 ソウジロウはふらりと立ち上がった。

 男子にしては細い体だが、常に一本の鋼の芯が背中に入っているような雰囲気のある彼には珍しいことだった。

 もしかして、ろくに休んでいないんだろうか。

「ソウジロウ。あの、ちゃんと睡眠はとっている?」

 クロエの問いかけに、物憂げに彼は答えた。

「ん……あぁ、昨日眠ったのは、ウシミツドキぐらいだな」


 そう言って、彼は立ち去った。

 ……スメラミクニ語が出ていることにも気づかなかったのだろう。彼らしくない失態だ。

 ウシミツドキ、というのが何時なのかは具体的にはわからないが、かなりの夜中であることは間違いないだろう。


「……」

 クロエは、ソウジロウの立ち去った方向をじっと見つめて、ひとつため息をつく。

 それから自分もテキスト類をまとめ、無言で教室を出たのだった。



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