甘い祝福




 新緑薫る五月二日の朝。

 この日、一つ齢を重ねて十六歳となったクロエ・ノイライは勢いよくベッドから起き上がった。



「お父さん、お母さん、おはよう!」

 勢いよく階段を駆け下り、父母に朝の挨拶をする。

「あぁ、おはようクロエ。誕生日おめでとう」

「おはようクロエ、私の娘。お誕生日おめでとう!」

 いつもよりもさらに元気が良いクロエを微笑ましく見ながら、父アルバンと母クレールはそれぞれに「おめでとう」をくれる。


 誕生日の朝というのはどうしてこんなにわくわくするのか。

 母が夕食にと用意しているごちそうの匂いが既に漂っているからだろうか、それとも父が用意してくれた誕生日プレゼントが棚に見えるせいだろうか。



「それじゃ、今日は早めに帰ってくるのよ、クロエ」

「もちろんだよ、今日はお誕生日のごちそうだもんね!」




 そう言って、クロエは元気よく家を出る。


 家のそばは自然の少ない賑やかな通りだが、朝は人が少ない。

 空気を胸いっぱいに吸い込むと、どこからか新緑の匂いがする、気がした。クロエの名前と同じ、新しい緑。その匂いと気配。


 クロエは踊るような軽い足取りで、学園に向かったのだった。



 鼻歌でも歌い出しそうになりながら、ロッカーにかばんをしまうと、がばっと後ろから抱きつかれた。ふわふわのピンクの髪がちらりと見える。


「やっほー、クロエ! 誕生日おめでとうだよー!」

「……クロエちゃん。その、誕生日おめでとう」


 抱きついているのはフェリシィ。

 そして、その少し後ろにおどおどと立っているのは、そのパートナーであるアウレリア。

「あの、クロエちゃん……これ、お誕生日プレゼント……私たち二人からなの」

 そう言って、アウレリアはリボンのかかった小さな箱を差し出す。

「中身はね、ハンカチだよぅ! 私がハンカチと糸買ってね、アウレリアが刺繍を入れたの。つまり二人の合作だね」

 ピンクの髪を揺らしながら、フェリシィが抱きついたまま教えてくれる。

 クロエは、自分の体に回された腕にそっと触れて、昔からの親友に感謝を告げる。

「ありがとう、フェリシィ。それにアウレリアもありがとう」

「どういたしましてだよー。それより早く中見てよ。アウレリアが刺繍してくれたやつ、すっごい可愛いんだから!」

「その前に、この抱きつき攻撃を解除して欲しいんだけど。このままじゃプレゼントの箱も受け取れないよ」

「えー……まぁ、仕方ないなぁ」


 もそもそと離れていくピンクの髪。

 ようやくプレゼントの箱を受け取れたその時、二人分の声がした。


「クロエ、ハッピーバースディだな。おめでとう」

「誕生日おめでとうございます、クロエ」


 体の大きな男子学生と、つんとすました女子学生――リオルドとレベッカが、それぞれに包装された箱を持って祝いの言葉をかけてくれる。

「ふたりとも、ありがとう!」


 リオルドはイギリス貴族らしい丁寧な所作で、プレゼントの小箱を差し出した。普段は豪放磊落ごうほうらいらくというか大雑把な雰囲気なのに、こういうことが出来るのはさすが貴族出身だと思わされる。

「俺からはアールグレイの紅茶だ。もちろんイギリスの会社のものだからな」

「まったく、これだからイギリス人は馬鹿の一つ覚えだと言うのです。クロエはフランス系なのですよ。それなら、イギリスの野暮ったい紅茶よりもこっちです」

 レベッカが差し出した小箱は、リオルドとほぼ同じ大きさ。

「フランスは花の都・パリの会社のハーブティーティザーヌです。今回はミントを中心としたブレンドティーですね。やはりフランス人なら紅茶なんかよりもハーブティーティザーヌです、それをわかっていないんですからね、イギリス人は。まったくもう」

 そう言って彼女はあきれたように肩をすくめる。

「お前な、人を祝うときにその態度はないだろ」

「む……!」


 クロエにそれぞれプレゼントを押しつけ、二人はいつも通り口喧嘩を始めてしまった。

 この二人は今はこの調子だが、なんだかんだで気があっているのだろう。

 対等な関係でないと、そもそも喧嘩さえできないものだ。


「ねぇ、ソウジロウからはもうプレゼントもらったのー?」

 フェリシィが二人の口喧嘩を眺めながら、そう尋ねてくる。

「んー、まだ。今日はまだ顔を合わせてないし」

「そっかそっか、きっとソウジロウのことだもん、素敵なプレゼント用意してるよ!」




 だが、その日の授業で顔を合わせても、ソウジロウからは何もなかった。


 プレゼントはおろか、祝いの言葉すらなし。

 ほかの友人たちからはいろいろとプレゼントを貰った。

 プレゼントを用意していなかった人も、今日がクロエの誕生日だと知ると祝いの言葉をくれた。


 なのに、パートナーであるソウジロウからは何もない。

「……」

 帰り際の並木道で、クロエは石ころを蹴り上げた。

 本当に自分たちはペアなのか。元々学園が定めたペアであるとはいえ、もっと仲良くしてもいいのではないか。

「……パートナーなら、仲良くする義務ぐらい感じるじゃないの。なのに」


 言葉に出して気がついた。

 パートナーは、仲良くするのが義務。


 ……クロエは、今まで、義務感で、ソウジロウと仲良くしようとしてた、と。


「……!」

 通学用のかばんをぎゅっと抱きしめて立ちすくむ。


 私、私は……。



「にゃぅ、なー」

「きゃっ!」

 不意に、足下にやわらかでふわふわした感触。

「にゃー、うー」

「みゃー、みゃーん?」

 下を見ると……ちっちゃな仔猫が三匹、クロエの足にまとわりついていた。


「あ、あなたたち……どこから」

「にゃあ、にゃーう」

 今にも混乱で悲鳴をあげそうなクロエだったが、聞き覚えのある鳴き声に振り返ると……あの白猫がいた。

 ふてぶてしくて、神経が太くて、だけど綺麗で可愛いあの白猫が。

「こ、この子たち……もしかしてあなたの子なの?」

 その疑問に、白猫は頷いたりはしなかった。だけどその瞳の輝きが答えだった。


「そっか……あなた、お母さんになったのね」

「にゃん!」


 そう白猫が返事をするように鳴くと、仔猫たちは母の元に戻った。

 そして、まるで兵隊さんの行進のように列を作って、ふにふにてくてくと可愛らしくどこかへ行ってしまう。


 あれはもしかして……なぐさめにでも来てくれたんだろうか。


「おーい! クロエ!!」

 その時、ソウジロウの――クロエのパートナーの声がした。



「占術部に行ったんだけど、帰ったって聞いて焦ったぞ」

「ソウジロウ……」

 彼は少し息を切らしていた。リオルドによると、彼はほぼ毎日剣の鍛錬をしているらしく、かなり鍛えているという。それなのに息を切らせるぐらいの勢いで彼は走ってきたのだ。


「これ、受け取ってくれ」

 ソウジロウが差し出したのは、手のひらに載るぐらいの箱。綺麗な薄緑色の包装紙に、ラピスラズリ色のリボンがかかっている。

「これって、まさか」

「……誕生日おめでとう、クロエ」

「ソウジロウ…………ありがとぅ……」


 クロエは、自分の表情がくしゃくしゃになるまで、笑った。


「そんなに喜ばれると、その、たいしたものではないし」

「もらえたこと自体が嬉しいんだってば。でも中身は何か聞いても良い?」

「……マカロン。『虹の架け橋』で売られていたから、買ったんだ。スペシャルマカロンタワーはさすがに無理だから、せめて同じマカロンをと思ってな」

「ソウジロウ」


 彼は忘れてなかった。

 なのに、自分が勝手にいじけていて。


「スペシャルマカロンタワーはいつかきっとね。それはそれとして……ソウジロウ、今日は私の家で夕飯食べて行ってよ!」

「お、おぅ……?」

「今日は私の誕生日のごちそうなの、一緒に食べよう!」


 この美しいパートナーのことを誤解してしまった、せめてものお詫びだ。

 一緒に楽しく、誕生日のごちそうを食べてほしかった。


「わかった、じゃあ一度下宿に寄って良いか? マダムに今日の夕食はいらないって伝えたいから」

「うん!」





 ソウジロウとともに、誕生日のディナーを食べた後、クロエは彼のくれたマカロンを一個だけつまんだ。

 ピンクのフランボワーズ味のマカロンは、甘酸っぱくて、さくっとして、そしてとけていく。


 それは甘い祝福だった。



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