一日目・メイドちゃんとおじうえ



 学園祭は二日間にわたり開催される。



 蒼司郎は、ちらりと窓を見る。

 窓からはまぶしい春の日差しが降り注いでいた。

 今日と明日、天気は晴れ。風も穏やかで、出かけるにはいい天候だろう。


 現に、学園祭には多くの人がやってきている。

 地元であるアトランティス本島から通っている学生の身内はもちろん、ヨーロッパや合衆国から留学してきている学生の身内も、この日のために遠路はるばるやってくる。特に学生の関係者でなくとも入れるので、島民がお祭り感覚でおしよせたりもするそうだ。



 そんな中、西洋文学部の出し物である『ブックカフェ』はそれなりに人で賑わっていた。

 テーブルは全体の七割から八割が埋まっている状態。蒼司郎には商売のことはわからないが、お客をあまり待たせることもなく、閑古鳥が鳴くわけでもなく、まぁまぁうまく回転しているように思える。


 蒼司郎はこの『ブックカフェ』の接客担当として、朝からメイド服の裾をひるがえし、ぱたぱたと忙しく働いていた。

 今日は夕方まで接客中心に他の仕事をすることになっている。

 そのかわり、明日は丸一日自由時間。文学部ではそういうシフト体制だ。


 働くのには不向き極まりない、ひらひらフリルいっぱいのメイド服をまとった蒼司郎はとにかく目立つようだ。

 身長はそれほど高くはなく、声も極端に低くはない蒼司郎だ。胸が無いのはメイド服のデザインで工夫して、ギャザーを寄せてフリルを飾ることでふっくらしてみえるようにしてあるし、髪もちゃんとセットして後頭部にメイドキャップをつけているので、なかなかそれらしく見える。

 顔立ちも、男物のスーツを着ていても少女に間違われることがあるぐらいなので、何も違和感はない。

 今朝、嵐のようにやってきたフェリシィに、ついでとばかり薄く化粧を施されたので、蒼司郎の今の姿は、どうみてもメイドにふんした麗しい女子学生だった。


 そこまでは別に蒼司郎も構わない。

 どうせ女装するなら徹底的に美しい女子になる努力をする。楽しいし、完璧に近づくことは嬉しいからだ。

 だが。

 だが、どうにも――



「ラピスラズリちゃん、これ二番テーブルにお願いね」

「五番テーブル片付けましょ、ラピスラズリちゃん」

「あっちのお客様が呼んでるから行ってきて、ラピスラズリちゃん」


「……はい」


 どうにも蒼司郎が納得がいかないこと。

 学園祭における、文学部の奇習。

 それは『ブックカフェ』の接客係たちは仮の名前……いわゆる源氏名で呼ばれる、というものだった。

 なんでも昔は本名で呼びあっていたのだが、外部の者に目をつけられ交際を迫られつきまといをされる、という事件があってからそういうことになったらしい。

 ……源氏名にそれらを防ぐ効果があるのかは、謎だ。蒼司郎にとっては、ただ奇習と呼ぶしかない。


「ラピスラズリちゃん。あのね、こっち、片付けるの手伝ってほしいな」

「あぁ、わかった。シトリン」


 蒼司郎とは微妙にデザインが異なるメイド服をまとったアウレリア――今の名はシトリンということになっている――が、布巾を片手にやってくる。


 今日の彼女は、朝一番の嵐ことフェリシィが、精魂込めてメイクと髪を仕上げていった成果だった。

 蒼司郎と相談して仕立て直したふりふりのメイド服に身を包み、亜麻色の髪は大きなリボンでゆるく三つ編みにまとめられている。

 そしてなにより肌。フェリシィが執念と根性と技術をこめてメイクを施した結果、みごとにそばかすは消えて、なめらかな、まさに陶磁器のようなつるりとした肌となっている。

 そのお陰で、彼女の持っている生来の美しさが見事に引き出されて――どう見ても、今の彼女は美少女だった。友人の目というのをさっぴいたとしても、美少女以外の何者でもない状態だ。


 アウレリアの接客自体はおどおどと、おぼつかないものだったが、逆にお客たちがカバーしてくれる。もちろん本物のカフェではこういうのはだめだろうが、今は学園祭の出し物なのだ。学生たちも客も、楽しめればこのぐらいゆるくていいのだろう。


 ……にしても、可愛いって武器だなぁ……。


 アウレリアの接客を横目で眺めながら、蒼司郎はこの世の真理にたどり着いた思いだった。




 午後。昼の休憩からあがってくると、クロエがいた。

 ……父母であるアルバンとクレールを伴って。

「こんにちは、蒼司郎。来ちゃった」

「来ちゃった、ってクロエ。お前な……お前な……」

「こんにちはー、ソウジロウ君。じゃなくて、今はラピスラズリちゃんだったかしら?」

「ふむ……メイド服か、なるほど。あぁ、こんにちは」

 クロエにはもう見られているのでどうということもないのだが、その両親にまで気合いを入れた女装を見られるというのは、なかなかにこたえる体験だと、蒼司郎はたった今知った。


「蒼司郎君、ではなくてラピスラズリ君だったね。そのメイド服のデザインは、機能性は一切考えずに装飾を施したのだろうが、それではメイド服というものがもたらす良さが死んでしまっていると思うのだよ。僕ならこの胸の部分はあえてフリルを」

「お父さん、ごめん黙ってちょうだい」

 アルバンが真剣な瞳でメイド服の改良点を述べようとしたところで、クロエが強制的に止めた。

「あらあら……ごめんね、ラピスラズリちゃん」

「い、いえ。その、できれば拝聴したいぐらいでした……またの機会にぜひお願いします……。えぇとご注文はどうしますか?」

 蒼司郎はメニューが書かれた厚紙をさしだして、三人に尋ねる。


「店員さんのおすすめはありますか?」


 あらかじめ情報を得ているクロエは、メニューをちらりと見てからそう言った。

「そうですね……お客様でしたら『酔わないいちご水』がおすすめです。本は『緑の切妻屋根邸の赤毛娘』を合わせるといいでしょう」


 これが西洋文学部『ブックカフェ』の隠れメニュー的存在である『店員のおすすめ』だった。……もっとも、隠れメニューといっても『学園祭のしおり』などにはしっかり書かれているのだが。

「じゃあそれでお願いします! 本は一冊で飲み物は同じものを三つお願いします」



 注文の品が届くと、ノイライ一家はおしゃべりしながら本を読んでいた。

 ……クロエの家族は、とても仲が良いようだ。

 蒼司郎もよくクロエが、母がこんな料理を作っただの、父がこんな失敗をしただのと話すのを聞く。


 ……蒼司郎は少しだけ、皇御国の家族が恋しくなった。

 父は、母は、兄は、妹は今どうしているだろうか。


 ……まさか、世界の反対側で次男坊が女装をしているとは思うまい。


 ちょっとだけ切なくなったあと、そんな風に自虐をして、自身の心を慰めた蒼司郎だった。



 だが、その日の夕刻。閉店時間も近い頃。

 蒼司郎にとって、とてもとても見覚えのある顔がブックカフェにやってきたのだった。


 その人物は黒髪と黒目の皇御国人だった。

 服装はきちんとした仕立てのスーツだが、少し崩した着こなしをしていて、あごには無精ヒゲが生えている。だが、不思議と不潔な感じはせず、むしろ大人の余裕のような、色気のようなものすら感じられる。


 その人物を認めたとき、蒼司郎は驚きのあまりおぼんを落としそうになった。

「お……叔父上……?」

「よう、蒼司郎。どうやら元気なようで何よりだ」

 変わり者、そう緋野一族から呼ばれている叔父は、芝居がかった仕草で実に粋に帽子をとってみせる。


「あの……そ、ソウジロウ君の……じゃない、ラピスラズリちゃんの、おじさまですか……?」

 目をぱちくりさせるアウレリア。叔父はウインクをひとつ飛ばす。

「アウレリア、じゃない、シトリン……えぇと、これは、じゃない……この人は、俺の叔父で、今は合衆国に住んでるんだ……にしても、まさか来るとは思わなかったが……」

「ははは、せっかくだから兄さんと義姉さんの代わりに見守ろうと思ってな。うっかり船の時間に遅れて、こんな時間になったがまぁ許してくれ。で、席はどこでもいいのか?」

 そう言って叔父は、さっそく椅子に手をかけている。

「まあ、どこでもいいですよ」


 席に着いた叔父は、アウレリアが差し出したメニューを見ている。

 蒼司郎はテーブルを指でこつこつさせ、ふくれながら言ってやった。

「もう店じまいですから今からだと、炭酸水しか出せませんので」

「ひでぇな、おい」


 蒼司郎は叔父の文句を聞くことなく、炭酸水のボトルと何冊もの本を彼に差し出した。

「おい、何冊あるんだよ」

 つんと澄ましてソウジロウは言ってやった。

「そんなに多くはないです。全部でたった十八巻ですよ。光源氏の君の物語よりは少ないはずです。問題ありません」

「いやあるだろ」

「では、炭酸水と本です。こちらの本はとある船乗りが陥れられ投獄され、隠された財宝を得て伯爵を名乗り、復讐鬼となって故郷に舞い戻るといったストーリーです」

「あれか、題名ぐらいは聞いたことがあるな、にしても十八巻は長いだろ」

「それは、その、あの…………せいぜい、ごゆっくりどうぞ!」


 ぷいっ、と蒼司郎は叔父から顔を背けた。

 来てくれて嬉しい、という表情を……彼に見せたくなかったのだ。

 そして、帰らないで欲しい、という思いも見せたくなかった。


 塔のように積み上げられた本。これを読み終わるまで帰らないで、とは面と向かってはさすがに言えない。



「まったく、まだまだ子供だな」

「う、うるさいです!!」



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