雪解けはすぐそこに
春が近い。
ぐずぐずに溶けた雪の道を見て、クロエはそんな事を考えていた。
春が近い。そう思うだけで、通学用のブーツが泥水に濡れることも寛大に受け止められる。
雪の間からは、何かの植物の芽が見える。
その生命の緑色を眺めているだけでも、わくわくするというのに。
先日、あたらしい
クロエが希望したとおり、白い綺麗なドレス。
わくわくする。
最近はようやく手袋やマフラーが不要になってきて、身軽で気分がいい。
雪解けを間近に控えて、わくわくしているのは何もクロエだけではない。
アルストロメリア学園全体が、学園祭という一大イベントを控えて浮き立っていた。
「では占術部は毎年恒例の占いの店を、学園祭の出し物とします。異議のある方は――いないようですね。では、書類を提出してきます」
クロエの所属する占術部のミーティング。満場一致で出し物が決定した。占術部だから占いの店。安直ではあるが、毎年大人気というのもあって恒例となっているのだ。
「学園祭楽しみだねぇ、クロエ」
「そうだね、フェリシィ」
中等学校からの友人であるフェリシィと、それぞれの占い道具の手入れをしながらそんなことを話す。
占いは魔女のたしなみとされるが、実際に占い道具から運命を読みとれる才は珍しくなってきているとも言われる。真偽はわからない。
フェリシィはピンクの髪を揺らしながら、小ぶりな水晶球をきゅっきゅと音がするほど磨きながら会話を続けた。
「リオルドやレベッカのアーチェリー部は今年も弓術体験やるんだってさー」
「あれ、そうなの? リオルドはなんか別のことやりたいって張り切ってたけど」
「それそれ。結局レベッカや部長さんが反対したみたいでねぇ。まぁ実際無理だと思うよぅー。馬術部の馬を走らせながら弓を射るだなんて、そんなの昔の人じゃあるまいしさぁー」
「まぁ、確かにね……学園祭でやるとなると安全性も考えなきゃいけないし」
リオルドは馬術部と合同で『ヤブサメ』をやるんだ! と張り切っていたが、どうやら彼の意見は却下されたようだ。
なお、そのリオルドに『ヤブサメ』という皇御国の言葉を教えてしまったソウジロウは、これ以上無いほど盛大に頭を抱えていた、らしい。
「でもってね。うちのアウレリアとそれにソウジロウがいる西洋文学部は、毎年カフェをやるんだってー」
「……カフェ?」
クロエは思わず首をかしげた。
文学部と、カフェ。
どういうつながりだろうか。
「本が読めるカフェ、なんだってさー」
「あぁ、そういうことね」
「それで、展示スペースに置く本を選ぶんだって、アウレリアは今朝から張り切ってたもん……ねぇ、クロエ」
「なぁに、フェリシィ」
タロットカードに傷がないか点検するのを中断して、クロエは友人の方を向く。
「ソウジロウってさ、クロエに本を薦めたりする?」
「一度もない」
フェリシィの疑問にずばっと回答すると、フェリシィは机に顔をつっぷした。
「一体どうしたの」
「クロエ……あのね、アウレリアに薦められた本が全然面白くないの、どうしよう」
あまりにも真剣な声で相談されたので、笑ってしまうことは避けられた。だって彼女はパートナーとのことを真面目に悩んでいるのだ。
「面白くないというか、読めないのよぅ。学園のテキストなら我慢してなんとか読めるんだけど……でも読まないってのもアウレリアに悪いしー……ほんとにほんとにどうしようー! って」
「フェリシィ、その言葉をそのままあなたの
ピンク色のふわふわ髪を軽くなでながら、クロエは答える。
「そうかな、アウレリアは怒ったりしない?」
「まだアウレリアが怒ったところは私はみたことないね、それはそれでパートナーとして良い体験じゃない」
「むぅ……人ごとだと思ってぇ……」
「実際、それ以外に道はあるの?」
「あるかもしれないじゃないのよぅ! そうだ、せめて占ってよ、ほんとにそのまま伝えるのがいいのか、他の道を探すのがいいのか、占ってクロエー!」
なにかに理由をつけて、占いをしてもらう口実を探す。
それがフェリシィ・ペルティエの昔からの癖。
クロエも中等学校時代からずっと彼女に占いをしてきたものだ。ある意味、彼女のおかげで占いの腕があがったといっていいぐらいに。
「早く自分で占えるようになればいいのに」
「自分のことを見ようとすると、水晶がぼやけちゃうんだもん……」
ぷー、とほっぺたを膨らせながら文句の言葉を吐き出すフェリシィ。
そんな姿も美少女なのは、フェリシィが元々可愛いのもあるが、彼女自身、自分が可愛く見えるように努力しているからだ――と気づいたのはいつの頃からだろう。
そして、その努力が透けて見えることすら、可愛いと思わされるのは、それはもうどこからが彼女の計算なのだろうか?
「わかったわかった、占ってあげるから。タロットでいいよね」
「ありがとうクロエー!」
タロットカード占いという説得が無事に終わり、フェリシィは悩みつつも、自分の気持ちを正直に打ちあけることを決めてくれた。
ちゃんと思うようにカードが出てくれたことにほっとしていると、今度は三年生の先輩が話しかけてきた。
「ねぇ、一年の魔女科って今年は『バトルロイヤル』やるって本当なのかしら?」
「ほんとですよー! 席次上位から数十人ぐらいで、闘技場で一斉にどーん! です」
悩みに向き合うことを決めたら元気がでたらしいフェリシィが、明るく応える。
「今年の一年生は派手なことするのねぇ」
呆れているのか感心しているのか、ほぅっとため息をつく先輩。
「学園祭はお祭りですもん、派手な方が楽しいですよ」
「まぁ、それもそうよね。ところで、あなたたちも出るの?」
クロエとフェリシィは思わず顔を見合わせた。
「バトルロイヤル形式なら、強い人を集中攻撃するのもありだし、誰かと手を組むのもありなんでしょう?」
……。
「クロエ」
「フェリシィ」
お互いに見つめ合い――緑とピンクの頭は、同時にこくりとうなづいた。
道が雪解けでぐずぐず。
少しだけ憂鬱だけど、春は確実に近づいている。
夕暮れ時。
学園の並木道はちょうど誰もいない。
長い影が、まっすぐに道に落ちている。
と、そこを駆けていく、白い毛玉。いや、白い猫。
「猫ちゃん!」
例のふてぶてしい白猫。
あの猫は、この冬を無事に過ごせたのだ!
「待って、猫ちゃん!」
なんだか嬉しくなって、並木道を駆ける白猫の後を追いかける。
猫は一度振り返り、ちょっとだけスピードを落とす。まるでクロエについてこいとでも言うように。
「待って、ねぇ、あなたはどこに住んでいるの?」
クロエの質問が聞こえているのか、いないのか。
猫はスピードをあげながら走り、どんどん学校の敷地の奥へと――中庭へと。
そして。
いかにも柔らかそうな白く美しい手が、白猫を抱き上げたのだった。
「あっ……」
クロエは、その美しい手の主を見て、反射的に木陰に隠れてしまった。
アトランティスに住まうものなら、いや、全世界の者が知る偉大な魔女。
学園の長と国際魔女連盟の長を兼ねる存在。
ユミス・ラトラスタ・アトランティス。
その偉大な魔女が、抱き上げた野良猫にじゃれつかれて、無邪気に微笑んでいた。
数々の異名――『生きながらにして伝説となった魔女』『アトランティスの至宝』『選ばれし天才』そんな風に呼ばれ崇められる絶対的存在の……あまりにも、意外な顔。
「……」
クロエは、そっと通学路に戻った。
今見たことは、忘れよう。……忘れた方が、いいだろう。
そんなことを思いながら、だけど、頭の中はあの無邪気で美しい姿でいっぱいだった。
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