ユミス・ラトラスタ・アトランティス
十二月三十一日。
一年が終わろうとするその日の夕方、蒼司郎は山手の街を歩いていた。
右手にはいつもの護身用ステッキ。左手には小包み。
実家宛の荷を送りわすれていた事を思い出し、郵便局に向かっているのだった。
年の瀬と、来たるべき新年を祝おうと、街はずいぶん賑わっている。
普段は比較的静かな山手側も例外ではない。
アルストロメリア学園は冬期休暇に入っていた。
とはいえ、ここは大西洋にぽつんと浮かぶ島。ヨーロッパも合衆国もあまりにも遠いため、ほとんどの学生は帰省することなく、それぞれの下宿で過ごしているという。
大きな郵便局に入り、小包みの発送の手続きを済ませる。
それ自体はなにも問題はなかった。
だが――
問題はなかったのに、なぜ蒼司郎は、学園長であり国際魔女連盟の長であるユミス・ラトラスタ・アトランティスにからまれる羽目になっているのだろうか。
「こんな日に郵便局だなんて、お国への荷物ですの?」
「……えぇ、まぁそうですね」
「ネンガジョウ、というものですかしら。あの年明けの挨拶に送られるというカード」
「今から年賀状を送ったとしても、どう考えても間に合いませんけどね」
さっきの小包みも実家につくのは船で二、三ヶ月ほどかかるだろう。
「まぁ、それもそうですわね」
ユミス学園長はあっさりと納得した様子だった。
黒い毛皮のコートに、揃いの帽子。くすんだラベンダー色のセンスの良いドレス。
その上に麗しい
ユミス・ラトラスタ・アトランティスは、この島の――いや全世界の新聞で写真が掲載されているような有名人だ。誰も気づかないわけがない。本来ならば。
「もしかして、何か魔法を使ってるんですか?」
「まぁ、少しばかりですわよ。周りの人の認識をちょこっと書き換えている程度です」
あの日のように、
「ソウジロウさん、今日はこれから何か予定がありまして?」
「……何もありません。下宿に戻るだけです」
「それでしたら――」
ふわり、と近づいてきたユミスがラベンダーの香りをさせて、ソウジロウの腕を取る。
「ちょっとつきあってくださいな、そうね――年が明けるまで」
蒼司郎はあまりのことに、何を言われたのか理解が遅れた。
「……学生に夜更かしをさせていいんですか」
「今日は特別ですわよ。なんてったって一年が終わって始まる夜ですもの。ほら、行きましょう!」
ユミスは言葉通り、どんどん蒼司郎を引っ張って行ってしまう。
「何か危険があればどうするんですか、だってあなたは」
「その時は、ソウジロウさんがその『ムラマサ・アヤカシブレード』で守ってくださいまし」
ちら、とユミスが刀が仕込まれたステッキを見ながら言う。
「なんですかその妙ちきりんな名前! これにはそんな大げさで奇妙な銘などありませんから! ……いいから、一度腕を離して下さい、ちゃんとエスコートいたしますので」
その言葉に、ユミスが止まった。
振り返ったその美しい
「本当に?」
「本当です……ほら、どうぞ」
蒼司郎は、ユミスに手を差し伸べた。
「……なんだか、嬉しくて、こそばゆいものがありますね」
てっきりエスコートされることに慣れていると思ったが、そうではないのかもしれない。彼女は、ぎこちなく手を蒼司郎の手を取ったのだった。
その後、港公園で魔器による明かりを贅沢に使った飾り付け――イルミネーションとユミスは呼んでいた――を眺めて過ごした。
港公園は、どこもかしこも恋人同士らしい若い男女ばかり。
周囲には自分たちが何者に見えているのか、気になるところだった。
それから、アルコール類を提供するようなタイプの
「お酒はもちろんだめですけど、ご飯ならごちそうしますわ」
「……どうも」
今日は年末の忙しい時期ということで、サービス代がかなり高い。そのため、この申し出は素直に受け取った。どうせユミスに付き合わされてここに来ているのだ。
「フォアグラステーキありますよ、ソウジロウさん食べます?」
「……クリスマスに下宿で出ましたが、苦手になりました。どうにもあの脂っこさが駄目ですね。西洋の食事はどうしてどれも油を使っているんでしょう」
蒼司郎はげんなりしながら応える。
下宿の料理は、たしかに美味い。だがそれは、西洋料理という枠の中で美味いということだ。蒼司郎が本当に食べたいのはそれではなかった。
味付けされていない米と、塩だけで漬けた白菜の浅漬けと、真っ赤な梅干し、それに大根が入った熱い味噌汁。これでいい。だがもっと贅沢をいうなら、新鮮な魚介類の刺身が食べたい。そして、刺身を引き立てるのはやはり醤油だ。
「あら、じゃあ何が食べたいのですの?」
「……新鮮な魚介類」
蒼司郎は言ってから、はっと口を押さえる。思わず、考えていたことが口にでてしまっていた。
「新鮮な
と、ユミスは店員を呼んで手早く注文を済ませてしまう。
「楽しみにしていてくださいね」
あまり待つことなく、ユミスに白ワインのグラスが運ばれてきた。
そして、次に運ばれてきたのはどうみても、ブリキのバケツとしか形容できない代物。
テーブルにどんっ! と置かれ、中身がこぼれおちそうになる。
バケツの中に入っていたのは――殻がついたままの
「か、
「レモンでいただくのも美味ですけれど、こちらには
「な、生牡蠣……それに醤油……?」
この牡蠣に醤油をかけて食べるのか。生牡蠣に醤油。まずいわけがない、美味いに決まっている。
「……まさか、アトランティスでは魚介類を生で食べるんですか?」
「ヨーロッパでは昔から牡蠣は生食ですわ。ローマ帝国の時代から、牡蠣は生牡蠣。こちらでは年末のごちそうのひとつですわよ」
蒼司郎の驚きも歓喜も予想のうちだったらしい、ユミスはくすくす笑って答えてくれた。
「では、いただきましょうか」
「……はい!」
二人はのんびりとティーサロンを後にする。
牡蠣で腹を満たすなんて、皇御国にいた時でもなかった贅沢な経験だ。
「それじゃ、そろそろ時間ね。行きましょうか」
そう言って、ユミスは蒼司郎の腕を引く。
「どちらへ?」
「そりゃあ、この時間ですもの。大時計前で新年へのカウントダウンですわよ」
アトランティス本島にはいくつかの大きな通りがある。そしてそれらが交わっているところには、巨大な塔があるのだ。塔には時計と鐘があり、今も住人に時を知らせている。
大時計前には、新年を待つたくさんの人が集まっていた。
屋台が出て、飲み食いしている者もいるぐらいだ。これもまた祭りなのだろう。
「はぐれてはいけませんよ」
ユミスがぎゅっ、と蒼司郎の腕を握った。
「わかっています」
「……ソウジロウさん、あと三十秒ぐらいですわ!」
「ちゃんと見えてます」
周囲では、新年までの時を数える声。
そして――
重厚で荘厳な鐘の音色が、新しい年の訪れを知らせた。
続けて、祝いのための魔法式花火が空に咲く。
白い炎のペガサス花火が天をかける。青い炎の蝶々花火が舞い、ゆっくりと降りてくる。
そして赤い炎のドラゴン花火が夜空に吠え猛ったかと思うと、地上をなめるほどに低空で飛び去り、人々を驚かせた。
そんな賑やかな中、ユミスは一度蒼司郎の腕を放した。
そして、何をするかと思いきや、皇御国式に深々とお辞儀をしたのだった。
「アケマシテオメデトウゴザイマス」
「……あ、あけまして、おめでとうございます……ユミス学園長」
――はっきりわかった、今ので確信した。
ユミスは、皇御国のことをよく知っている。
「……皇御国に、ご友人でも?」
ぴくりと、ユミスの肩が震える。
「どうしてそのように思いまして?」
彼女の声からは、一切の感情が消えていた。
聞いてはならないことだったのだろうか。
だが、皇御国の知識を披露する彼女は、とても楽しそうだった。さっきだって。
「……あなたは」
「アルストロメリア学園に在学時のパートナーが、その人が……皇御国から来た留学生でしたのよ」
蒼司郎の疑問にそれだけ言葉を返し、ユミスは微笑む。
花火の散発的な明かりが、彼女の整った
そして、ユミスは唐突に背を向けた。
「それじゃあ、ごきげんよう。今度は学園で」
「……はい」
ユミスの背中がぼけやるように遠ざかっていく。ソウジロウも、彼女の魔法の効果を受け始めているようだ。
どうしてだろうか。
蒼司郎には彼女が……ユミス・ラトラスタ・アトランティスがほんの一瞬だけ、泣いているようにも見えたのだった。
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