硝子玉とエメラルド
その休日は、十二月にしては日差しがあたたかな日だった。
混雑する路面電車に乗って、ようやく目的地である港公園前に着いた蒼司郎は、見慣れた緑の髪をすぐに見つけそちらへ向かう。
向こうもこちらに気づいたようで、手を振っていた。
「おはよう、ソウジロウ!」
「おはよう、クロエ」
今日のクロエは、いつも学園で見るのとは違うコートを着ていた。
全体は白無地のコートだが、大きな襟の片方にだけ赤と薄いピンクで薔薇の花の刺繍があり、袖口は焦茶色の毛皮で飾られている。なかなかに凝った品物だった。
中に着ているのはベージュのドレス。きっちりとひだが折りたたまれたプリーツスカートが、清楚な印象を与える。
それに、コートと揃いで仕立てられたのだろう白い帽子と白い手袋。
クロエの装いはいつもちゃんとしていて、見ていてこちらまで気分がいい。
「もう始まってるし、入ろう。いいの無くなっちゃう」
「そうだな」
二、三ヶ月に一度、大きな
普段は島民の憩いの場所であるそこに、今日はさまざまな骨董が並んでいる。
ご近所同士で集まって家庭の不要品を出している場合もあるが、雑貨店や骨董店を営む者が出店していることがほとんどだ。
港区という立地の関係か、はるばる外国から運ばれてきたはいいが、巧くさばけなかったらしい積み荷がここで販売されることもあるという。
古びた文房具、ガラスの空き瓶、お菓子の空き缶、使用済み切手、不揃いな食器、一つきりのボタン、昔のおもちゃ、作者不詳の絵画、謎の置物……。
そんな品々がいっしょくたにお日様の下に並べられている光景に、なんだか心が浮き立つような不思議な気持ちになる。
「さぁて、張り切って掘り出し物を探すよー!」
「なぁ……仮に掘り出し物があったとして、その事実を確認する手段があるのか?」
「ま、そこは自分の目を信じるってことで」
「いいけどな、こういう場所では『掘り出し物を探す』ってある意味お約束の合言葉みたいなものだし」
「そうそう、ソウジロウもわかってるじゃないの!」
大量の骨董やガラクタを前に気分が高揚しているらしいクロエに、バンバン背中を叩かれる。彼女は結構力が強いのでそれなりに痛い。
会場はあまりに広く、品物はあまりに多い。一日かけてもじっくり見て回るのは不可能なので、二人はある程度見るものを絞ることにした。
狙いはヨーロッパ製のアンティークアクセサリーや、ヴィンテージレース、ヴィンテージファブリックの類である。
「なんでも、昔の
「……さすがにそれは、
「多分、こういう場で取引されるのってアトランティスぐらいじゃない? あ、もちろん、
妙にまじめくさった顔で、彼女はそう忠告してくれる。
「……いや、買わないしな」
いろいろ気になるのは事実だが、あまり買おうとは思わない、というのが本音だった。
家庭の不要品を並べているという『店』で、二人は思わぬ品物に出会ってしまった。
のんびりと持参の飲み物をすすりながら、中年女性『店主』が呟く。
「そうなんだよ、曾祖母のクローゼットを開けたら出てきたドレスでね。元はちゃんとしたものなんだろうけど、どれもこれも虫食いがあるし、シミもひどいしねぇ。お安くしておくよ」
確かに彼女の言葉通り、あまり状態はよくないドレスだった。だが、まだ充分に『使える』ものだ。もっと正確に言うと『使える部分がある』となるが。
「これはいいレースだな……今ではこんなのもう作れないぞ……」
「ソウジロウ、こっちはどう? この刺繍のところとか、結構綺麗に残ってる」
「あぁ、それはぜひ確保しておいてくれ」
掘り出し物というものは、あるところにはある。
そして見ることの出来る者には、見つけられるもの。
「ソウジロウ、こっちのレースもいいものだよ。もしかしてベルギーレースかもしれない」
「!」
ベルギーレースは糸の宝石とも呼ばれる、今では貴重な手編みのレースだ。ちゃんとしたものを買おうと思えば、当然高額な品物である。
「それは確保しておいてくれ、すぐに見に行く」
午前中の買い物が終わって、二人は軽い昼食を食べることにした。
のみの市は一種のお祭りらしい。
人が大勢やってくるこの日は、食べ物や飲み物の屋台も多く出ていた。
「けっこう収穫あったねぇ」
スパイス入りの紅茶をふぅふぅしながら、クロエは満足そうに言う。
蒼司郎もその言葉に頷いて、さっき買ったパンを食べる。ドネルケバブなる名前のサンドイッチで、焼いた羊肉の塊をそぎ切りにしたものと生野菜を袋状のパンの中に詰め込んだ料理だ。
噛みしめると、新鮮な野菜がしゃきしゃきと音を立て、肉からは香辛料と塩で味付けされた肉汁があふれ出る。下宿では出ないタイプの料理だが、これはこれで美味い。
「この後はゆっくりアクセサリーでも見ようか」
「そうだな、荷物もかなり多くなってしまったし」
公園のベンチに座る二人の足下には、戦利品がいっぱいにつまったかばん、というより袋。この袋はクロエが持参してきたものだった。のみの市では包装などはしてもらえないので、こういったものは必須なのだという。
ケバブについてきた揚げジャガイモも綺麗に食べ終わって、クロエは元気に立ち上がった。
「さて、午後も掘り出し物みつけるよー!」
今度はアンティークのアクセサリーを探して、ゆっくり公園内を見て回る。
鑑定書がついている由緒正しい品もあれば、まさに玉石混合という言葉をそのまま使いたくなるような品々もあった。
「かわいいお嬢ちゃんたち、見ていかないかね。綺麗なものがそろっているよ」
唐突に、そんな言葉に呼び止められて振り向くと――そこにはアクセサリーばかりが並んでいた。
「お嬢ちゃんたちならお安くしておくよ」
火のついていない煙管をくわえて、うさんくさい初老の男はそう言った。
「ソウジロウ、見てみようよ」
「……そうは言っても」
こんなもの一目でわかる。
いかにも怪しげな店主による怪しげなアクセサリー屋だが、並んでいるのはアンティークらしく見えるように作られた、硝子玉を使った装身具。
「どう見たって……」
硝子玉だぞ、という言葉は店主の手前さすがにのみこんだ。
わかっていないはずないだろうに、クロエは好奇心いっぱいの瞳で『偽物』の品々を眺めている。
やがて、ひとつのブローチを手に取った。
十九世紀前半ぐらいに流行したようなデザインを模している、緑色の硝子がはめ込まれたブローチ。
「おじさん、これはいくらぐらいなの?」
「おや、それかい。それなら……」
店主が提示した額は、それなりに安くはある金額だ。間違っても『本物』が買えるわけがない金額でもある。
「じゃ、これ買うね」
「お買い上げ、ありがとう」
包装などもないので、クロエはそのままそれを持ってきた。
その表情は心から満足そうにしている。
「……どう見てもガラス玉だぞ」
「いいの、気に入ったからね」
そう呟いて彼女は、ブローチを太陽にかざす。緑色の光がこぼれおちて、確かに綺麗だった。
「信じられなければ、どんな立派な宝石も石ころなんだって。うちのお父さんがそう言ってたの」
きらきら、緑の光が、きらきら、降り注ぐ。
「それなら逆にね、たとえ緑の硝子玉だったとしても、信じればそれはエメラルドになると思わない?」
きらきら、きらきら。
クロエの緑色の瞳も冬の太陽でまぶしく輝いていた。
「……そうなのかもな」
蒼司郎は独り言のようにそう呟いた。
信じれば、緑色の硝子玉がエメラルドになる――本当にそんなことがあるんだろうか。
あるとするなら、それはもはや魔法を超えた奇跡。
本当にそんなことが、あるんだろうか。
「ソウジロウ」
「ん」
蒼司郎とクロエはかさばる荷物を持って、再び並んで歩き出したのだった。
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