その日にありがとう、と




 その日の一番最初の授業は、魔女科と仕立て科の合同授業となっていた。



 クロエはやや早めに教室に入り、着席して待っていた。

 授業までまだ時間もあるし、タロットで今日のことでも占おうかと思っているところに知った顔――リオルドがやってくる。


「よう、おはよう。クロエ」

「おはよう、リオルド」

「ソウジロウならもうすぐ来るぞ。……で、クロエ。お前プレゼントは何を用意した?」


 きょとん、とクロエは大きな目をまんまるにする。

 プレゼント。今は十一月……クリスマスならまだ先だ。

「プレゼント……?」

「あぁ、うっかり同じプレゼントがかぶったら一大事だからな」

 はははっ、と笑ってみせるリオルド。

 だが、クロエにはそれが何のことなのかさっぱりわからない。


「……今日は、何かある日なの?」

 その質問に、今度はリオルドが目をまるくする番だった。そして……苦虫をかみつぶしたような顔をして、両手で頭を抱える。

「あいつ……ソウジロウの奴、まさかパートナーに自分の誕生日を教えてないってのかよ?!」


「た」

 たんじょうび。誕生日。フランス語ならアニヴェルセール。

「嘘……でしょ……」


 まさか、ありえない。

 今日は十一月の二十九日。……今日が、ソウジロウの誕生日だったなんて!


「嘘でしょ、なんで!」

 クロエは焦って、勢いよく手で机を叩きながら立ち上がった。

「なんで、ソウジロウは私に誕生日教えてくれてないのよ……!」


 私はパートナーなのに、パートナーなのに!


 すると、リオルドは頭を傾げながらも、こんな知識を披露してくれた。

 曰く――

「スメラミクニでは、ヨーロッパと違って誕生日というものを祝う習慣がほとんどない……らしいぞ。なんでもほんの数百年前、偉大なサムライロード・ダイロクテンマオウが自分の誕生日を家臣達に祝わせたのが、あの国での最初の誕生日だったとかなんとか、聞いたことが。今でも、年明けに齢を一つ増やして計算する者が多いという……」


 ……とりあえず、原因はわかった。

 彼は、ソウジロウは――スメラミクニ人は、誕生日を祝う習慣がないから、誕生日を人に教える習慣もなかったのだ。


 そういう事情なら、クロエがソウジロウにパートナーとして見られていないのでは、という疑惑はとりあえず脇に置いておくことにする。

 今はそれよりも、何よりも大事なことがある。


「プレゼント、用意しなきゃ……でもどうやって……」

「財布は持ってきているかクロエ、中身はちゃんと入っているか!?」

「も、持ってきてる……月末だからあまり入ってないけど……」

 クロエは自分のお財布をかばんから取り出し、急いで中身を確かめた。残金を考えるとあまり高価なプレゼントは買えそうにない。

 が、そもそもまずどこでプレゼントを買えば良いのか。

 アルストロメリア学園では、その日最初の授業が始まれば、基本的には最後の授業が終わるまで学園敷地内からは出られない規則だ。よって、街には買いに行けない。


「もう時間がない、購買に走ってこいクロエ!」

「わ、わかった!」


 クロエは教室を飛び出し、緑のお下げをなびかせて購買部目指し走った。

 途中で、見慣れた黒髪の東洋人男子学生――ソウジロウとすれ違った気もしたが、今はプレゼントを手に入れる方が先だった!



「ぜぇ……はぁ……はぁ……」

 呼吸を整えながら、購買部を見回す。

 当たり前だが――小洒落た雑貨など、置いているわけもない。

 購買部は基本的に、学生生活に必要な品物しか置いていないものだ。


「うぅん……」

 西洋文学部に所属しているソウジロウは、よく英語の本を読んでいる。

 購買部にも、英語の本はあるが……どれもピンとこない。

 それに、すでにソウジロウが持っている、あるいは読んだことのある、あるいは趣味に合わない本だったりした場合、とても気まずい思いをすることだろう。

 というわけで、本という線は潰れた。


 狭い購買部を何度も何度も見て回る。

 そして――

「あ……」

 とある品物が、クロエの目に入った。


「これなら……!」

 クロエは急いでその品物を掴むと、すぐに会計に向かうのだった。




 授業の終わりを告げるベルが鳴る。


 それとほぼ同時に、教師であるマグノリアとイジャードはテキストを閉じて教室を出て行く。

 すぐに教室には、授業の時とは違った賑やかで楽しげな声が満ちた。


 ちらりと、クロエは隣の席に座っているソウジロウを見る。それから自分のかばんを見る。そこにはさっき購入したばかりのプレゼントが入っているのだ。

 いつ渡そうか思案していると、リオルドがソウジロウの席にやってきていた。

「ソウジロウ、ハッピーパースディ。これはプレゼントだ、受け取れ。中身はイギリスの紅茶だ」

 ……彼は、プレゼントを受け取ってもなお、きょとんとした表情をしていた。本当に彼の故郷では誕生日を祝う習慣がないのだろう。

「お前な、少しは喜べよ」

「そう言われてもな……あ、でも紅茶は嬉しい。ダージリンか? それともニルギリか?」

「アッサムだ」

「アッサムか。確か……ミルクティーにすると美味いんだったか?」

「おぉ、ソウジロウもわかってきたな!」


 楽しそうに、紅茶談義で盛り上がり始めた男子二人。


 クロエは意を決して――ソウジロウの腕を掴んだ。


「……クロエ?」

「ソウジロウ、ちょっと顔貸して。すぐに終わらせるから」


 クロエの低い声が響き……教室が静まりかえる。

 ひゅっ、と……誰かが、恐怖に息をのんだ音が聞こえた。




 ソウジロウの腕を掴んだまま、人のいないところを探して歩く。

 一年生の校舎の隅、階段の踊り場まで来て、ようやくクロエは彼の腕を解放した。


「あの……クロエ?」

「……ごめん、その」

「な、なんだ」


「誕生日、おめでとうソウジロウ!」

 ばっ! と、クロエはそれを差し出しながら言った。


 それは……ラッピングすらされてない、三冊セットの大きな白ノート。

「こんなものしか用意できなくて……ごめんね……!」

 すると、ソウジロウはゆっくりとそれを受け取って――微笑んだ。


「いや、嬉しい。ちょうど必要だったし、欲しかったんだ」


 前から思っていたことだが、ソウジロウは笑うとより一層可愛くて美人なのだ。

 まつげの長い黒い瞳が細められるのも、なめらかにカーブを描く眉尻が下がるのも、そして唇がちょっと開いて白い歯が見えるのも、何もかも可愛い。

 思わずクロエまで笑顔になって、ふんわりと幸せに包まれる。


「これにいっぱいデザイン画を描くからな、クロエのドレスのデザイン画」

「……うん!」


 ソウジロウの笑顔が可愛くて、幸せに包まれて、安心したら、なんだか今度は文句が言いたくなってきてしまう。


「それにしても、だよ。誕生日はちゃんと教えてよね! 私たちはペアなの! パートナー同士なんだから!」

「……すまない、その、そんなにも重大な日だと思わなくて」

「私の誕生日、いつなのかわかる?」

「……すまない」

「五月二日! クロエって名前は新緑を意味する言葉なの、だからちょうど新緑の時期に生まれてるの!」

「わ、わかった……覚えたから……ちゃんと覚えたから」


 クロエはびしっと腰に両手をあてたポーズで、ソウジロウへの文句を続ける。

「これからは、ソウジロウの誕生日は私が祝うんだから。もう忘れないようにね!」

「そんなに、大事おおごとにしなくても……」

「だぁめ! 誕生日はね、ソウジロウが生まれてありがとうって日なの! その日に感謝しなきゃなの、ありがとうって。そういう日なの」

「そう、なのか」

 ソウジロウは納得したような、していないような、そんな表情だった。

 けれど。

「わかった、クロエの誕生日は忘れないからな。ちゃんとありがとうってするからな」と言ってくれた。


「でね、ソウジロウには今回の埋め合わせをきちんとしてもらうから」

「……まさか『虹の架け橋』のスペシャルマカロンタワーをおごれとか言い出さないだろうな?」


 ……ずいぶん失礼な事を言われた気がする。

 だが、クロエの要求はそんなものではないのだ。


「今度、一緒にお出かけね。ちょうど次の休みに港公園でのみの市があるから、それに行きましょ。二人で」



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