無垢なる白き炎



 縫う。

 縫う。

 縫う。

 ひたすらに、縫う。

 たまに、全体のバランスを見る。

 また縫う。

 そしてバランスを見る。 


「……」


 そして、一体何度くりかえしたかわからないその作業を経て――



「出来た……」

 その言葉は、ようやく紡ぎ出された。


 蒼司郎の目の前にはトルソー。

 それは、白いシンプルなドレスを纏っている。

 ……そのドレスこそが、緋野蒼司郎が長い時間をかけて作り上げた、初めての魔呪盛装マギックドレスだ。

 ついに、出来たのだ。


 同じように作業をしていた周囲の学生のうち数名からも、同じように声が上がっていた。

 なかには感極まって大泣きしている者すらいる。……それが、席次一位の男子学生だったことは、見なかったふりをしたほうがいいのかもしれない。


「おぉ、完成した諸君。よくやったな。まだ未完成の諸君も、慌てずに作業するように。くれぐれも針を乱して怪我をすることがないようにな」

 今日の授業を担当している教師イジャードが、ごく短く拍手をして、完成したことを讃えてくれる。


「では、ドレスを完成させた者――速やかに各々のパートナーに届けるように」

 教室にいる何人かの学生が、その言葉に頷いた。もちろん蒼司郎も。

 そう……魔呪礼装マギックドレスは魔女に着用されることで、はじめて完成したといえるのだ。



「あ……ソウジロウ君も……完成したんだね、おめでとう」

「アウレリア。お前のところもか。おめでとう」

 さっそくドレスを抱えて廊下に出ると、アウレリアも同様に白いドレスを抱えて隣の教室から出てくるところだった。

「クロエちゃんは、今は何の授業なの?」

「こっちはダンスの授業らしいぞ」

「それなら私と同じだ……。その、フェリシィちゃんもダンスの授業なの。一緒に届けに行きましょう」

 日頃はおどおどと内気な印象のアウレリアだが、ソウジロウとは同じ西洋文学部所属ということもあって、それなりに話をする。入部初日に、ヴィクトリア朝時代を舞台にした推理小説について議論を戦わせたので、遠慮はいらない相手だとでも思われているのかもしれない。

「あぁ、早く届けてやろう」




 クロエ達がダンスの授業をしているホールには、特にとがめられることなく入ることが出来た。

 今日はバレエダンスをしているようで、教師のかけ声に合わせて生徒達は規則正しく、美しく手足を動かしている。


「あら、仕立て科の生徒ね。連絡は来ていますよ。初めての魔呪盛装マギックドレスですもの、はやくあなた方のパートナーに届けてあげて」

 ダンスの授業を受けている生徒は、みんな同じような練習着を着ていたが、クロエをすぐに見つけることができた。あの緑色の髪は本当に目立つ。

 アウレリアも、派手なピンクの髪を目印にすぐにフェリシィがわかったらしく、そちらへ駆けていった。


「ソウジロウ……」

「クロエ、待たせたな。お前の魔呪盛装マギックドレスができた」

「……本当に、本当なんだ……私の……私のドレス」

 真っ白なドレスを手渡すと、クロエは緑色の瞳を輝かせながら見入っていた。

「このドレスに銘はあるの?」

「つけたぞ。……“無垢なる白き炎”と言う銘だ」

 そう言ってやると、彼女ははじめてのドレスを胸に抱きしめた。



「クロエさん、それにフェリシィさん。さっそく着てらっしゃいな」

「い、いいんですか?」

「さっそくって……本当に」

「もちろんよ、他じゃどうか知りませんが、この学園ではそういうことになっていますからね。魔呪盛装マギックドレスは魔女にとって何よりも大事なものですよ」

 そう言って、舞踏教師は緑とピンクの二人組を更衣室に押し込めたのだった。


「……」

「ねぇ、ソウジロウ君」

 いつの間にか隣に来ていたアウレリアが、自分の制服のエプロンを握りしめて不安げにこぼした。

「……私たちの作ったドレス、私たちの魔女パートナーは、どんな風に着てくれるのかな。本当に喜んでくれるのかな。ねぇ、私のドレスのせいで、あんなに綺麗なフェリシィちゃんが綺麗じゃなくなってたらどうしよう……」

「そのときは」

「そのときは?」

「また作ればいい。お前のフェリシィパートナーが綺麗になるようなドレスを。何度だって作ればいいだろ」

「……うん、そうだよね」

 声は震えていたが、アウレリアはぎゅっと握りしめていたエプロンから手を放した。

 蒼司郎も、深呼吸をしてその時を待つ。


「おまたせー!」

「アウレリア、今見せるよー」


 更衣室の向こうからそんな声が響いて、扉は開いた。


「はう……フェリシィちゃん……」

「…………」

 そこに立っているのは、おそろいの白いドレスを纏った若く愛らしい魔女達。


 クロエの纏っているドレスは、すっきりとした白い無地のドレス。

 襟ぐりは四角く大きく開いたスクエアネック。

 袖はフレンチスリーブ。肩を覆うその短く小さくふわりとした袖に、パールビーズの刺繍をほどこしてある。

 身頃はクロエの美しい体のラインがはっきり出るようにと、飾りはない。

 そして、彼女のすらりと長い足が際立たせるためにスカートはボリュームを抑え、丈もやや短くした。その裾には、緑色のリボン刺繍で飾りをつけたのだ。

 彼女のためのドレスはとても綺麗だった。……似合っていた。


 そして、フェリシィのドレスも、ほとんど同じデザインのシンプルな白のドレス。

 だが、彼女の髪の色や可愛らしい雰囲気に合わせて、スカートのボリュームや飾りをアウレリアは計算したのだろう。フェリシィの魅力を引き立てている。


「……ねぇ、ソウジロウ君」

「あぁ」

「綺麗だね、私たちの魔女パートナー

「……あぁ、そうだな」

 アウレリアは憧憬と羨望と満足と、そしてほんの少しの嫉妬を声に含ませて、言った。

「こんなに素敵に着こなしてもらえて、幸せだね」

「……ちょっと悔しいが、そうだな」

「ソウジロウ君も、そう……思うの?」


「……思うさ」



 いつのまにか、新しい魔呪盛装マギックドレスを纏った二人は、ホールの舞台に上がっていた。

「ほらほら、これからクロエさんとフェリシィさんによる『魔女の戦い』が始まりますよ。仕立て師のお二人は一番前で見るようにね!」

「ひゃっ……お、押さないでくださいぃ……」

「……っ……っと、二人の『魔女の戦い』が」




「ふっふーん! 負っけないからねー、クロエ!」

 軽やかにステップを踏みながら、彼女は呪文を唱える。

「風の妖精、さぁはねを広げて。ねぇ私をそっと包み込んで。優しく――強く」

 歌うような詠唱を終えると、フェリシィのつまさきがふわりと空中に浮いた。

 風を、まるでヴェールのように纏っている。

 フェリシィのドレスは風精の魔呪盛装マギックドレスだ。


 それに対し――

「さあ、どうだろうね。かかっておいでよフェリシィ!」

 クロエは力強く宣言する。

「ゆらり、ゆらりと炎はゆらめく」

 つま先に炎が宿る。白い炎が。

「あぁ、ゆらりと、ゆらめく炎は美しさよ、けれどそれは時に堅牢なりや」

 詠唱しながら、右足を軸に左足で円を描くようにくるりと回転すると――そこから炎が生じる。燃えさかる円状の炎の壁となる。

 クロエのドレスは、火精の魔呪盛装マギックドレス



「行っくよー!!」

「来い!!」


 突進するは風。守護せしは炎。

 周囲からは歓声があがっていた。


 それを、二人の新米仕立て師は声もなく見つめていたのだった。






「俺らの作ったドレスと俺らの魔女パートナーに、乾杯!!」

 その日、初めての魔呪盛装マギックドレスを作り上げた仕立て科の一年生達は中庭に集っていた。手にしているのは葡萄色の液体が入ったグラスだが、もちろんワインではない。単なる新鮮な葡萄果汁だ

 席次一位の学生が幹事となってこうして初めてのドレス完成を祝うのは、いつの頃からかアルストロメリア学園での恒例、なのだそうだ。


 時折二年生や三年生もやってきては、祝いだったり激励だったりの言葉を投げかけてくる。


「よぅ、飲んでるか!」

 葡萄果汁の瓶を何本も抱えた一人の男子学生が、蒼司郎たちがいるグループのところにやってきた。

「あぁ、飲んでるよ」

「もちろん飲んでるぞ、シィグ」

「……えっと、その……幹事、お疲れさま……シィグ君」

 席次一位シィグ・アルカンナはまるで太陽のように笑って、ねぎらいの言葉を心地よさそうに受けた。

「じゃ、こっちの瓶置いていくから、ガンガン飲んでくれよ! また来るから」



 中庭の少し離れたところにある東屋には、教師達が一年生を見守っている。

 ちら、と蒼司郎がそちらを見ると、そのうちの一人――学園長であるユミスと目が合って微笑まれた。

「……」

 学生達を見守るユミス・ラトラスタ・アトランティス学園長に対して、笑顔を返すのもなんだか違うように思えたのでとりあえず軽い会釈だけ返してみたら、なぜか今度は満面の笑みで手まで振られてしまった。

 ……そのせいか、なんだか教師達ににざわつかれているような。蒼司郎としては気のせいだと思いたい。




 見上げれば、はらりと……赤く染まった葉が落ちる。

 もう木々に残された葉は、ほんの僅か。


 それは、秋の終わりを示していた。



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