拾玖の舞

 囚われていた子どもたちが解放された夜が明けた次の日、迦具夜は自室にいた。

 心の中で気掛かりでもあった案件が無事に解決し、少しは肩の荷が下りたというのに、迦具夜は変に静かに部屋で筆を進めていた。


 本当なら、あの後のことなど改めて確認に行けたら良かったのだが、それには事情がある。簡単に言えば怒られました。それも当然か。昨夜の営業中に仕事を押し付けて姿を消していたのだから。

 その後に足を少し痛めている状態で鈴蘭と正面から帰った時は、少々状況を問われたりしたが、答えを訊く前に色々とお叱りを受けた。その時の紫苑は印象的で怖かった。顔はにこやかな笑顔なのに凄く怒ってますって雰囲気を全開にしていたのだから。その雰囲気が可視化していたとしたならば、恐らくとんでもないものでも視えたことだろう。普段怒らない人が怒ると怖いとはよく聞くけど本当なんだなぁ…恐ろしや。

 同じく怒っていただろう薊は特に何も言ってきてはおらず、普段通りといえば普段通りなのだが、それはそれで何か怖い。後で何かされるのではないかと。

 残っていた中で唯一事情を知っている花火はその光景を見ていただけで、気付いた時には何処かへ消えていた。


 それでいて、朝になったら謹慎という罰である。妥当と言えば妥当なのかも知れないが、こういった組織では破門とかを思っていたので少し肩透かし的な仕置きである。…いや、それで本当に破門されても文句が出るのだけど。貴女から促してきたりしませんでしたっけ?とか、事情を知っているのだからもう少し酌んでくれても良かったのではとか。…もしかしたら知っているからこそ謹慎で済んでいるのか?


 ともあれ、謹慎で済むのならそうさせてもらおう。療養とまでは必要ないとはいえ足のこともあるし、そろそろ脚本の方も進めないといけなかった訳だから、丁度良い機会といえば嘘になる。


「ふぅ……」


 進めていた筆を一度止めて息を抜く。朝食を食べてからずっと未だに慣れないことを続けていた為か、身体を伸ばすと身体のあちこちから小さな音が鳴る。…暴れている時以外では珍しい気がするなぁ。


 身体の調子を考えながら伸ばしていた腕を降ろすと、その手が何かとぶつかった。それは黒い鞘に収められている短刀だった。


「そういえば、そのままだったなぁ」


 脇差どころか刀という形とも違う異質の短い刀。持つと戦いの道具としての独特の重みがある。迦具夜自身に剣術の心得が無いので刃物というより鈍器のように使ったが、これは正真正銘の刃物だ。そんなものが此処にあって良いのだろうか?

 鈴蘭から投げ渡された時は役になったし正直助けられた。けどその後に返しそびれて今も迦具夜の手元に残っている。


 ちなみに戻って来た時には服の中に隠していたので、迦具夜が短刀を持っていることは渡した鈴蘭を除くと紫苑たちは疎か、花火さえ知らない。もし見つかった時にどう説明すればいいのかも分からない。芸の小道具って言えば何とかなるかな……駄目か。


「どうしよっかな、これ」


「――迦具夜さん、お茶を淹れてきたのですが居ますか?」


 如何したものかと短剣をぶらぶらさせていると、部屋の外にこの短剣を寄越した張本人がやってきたらしい。特に断る理由は無く、丁度良かったこともあり、部屋に通す。

 戸を空けて、湯呑を乗せたお盆を持ちながら鈴蘭が入ってくる。すると鈴蘭は迦具夜がぶらぶらさせていた短剣が目に入ったようで、お盆を近くに置いてはそちらを見ていた。


「改めて見ますと、本当に分厚いですね…」


「それは私も思った。というかこれってもしかしなくても例の刀だよね」


「はい。鍛冶屋さんがあの時から作っていた刀のようですね」


 鈴蘭がにこやかに答えた。


 勘で何となく感じ取っていたはいたが、どうやら間違いではなかったらしい。

 以前に迦具夜がならず者集団から奪い返した四振りの失敗作の刀を砕いて溶かして打ち直したものがこの短剣。その割には短いが、その分この分厚い刀身に凝縮されているという事なのだろうか? 相手を斬り倒すという目的には向いてはいなさそうだが、命は取らない迦具夜のやり方には向いているのかも知れない。


「って、そうじゃなくて、これどうすればいいの?」


「どうすれば…ですか?」


「いや、返さなくてもいいのかなぁって」


「それなら多分大丈夫だと思いますよ。恐らくですけど、迦具夜さんに渡すつもりだったと思いますよ」


「私? 何で?」


「迦具夜さん…というより、刀を盗り返してくれた方へのお礼なんでしょうね。あの時に私が誰がしたのかを知っていると感じ取ったみたいですから」


 それで鈴蘭に渡せば私の所まで届くと思ったのか。そしてそれは間違いではなく、現に此処にあると。

 それなら有難く、護身用にでも持っておこうかな。一般人は持っている人はあまり見かけないけど、別にこの町では帯刀を禁じられているわけではないし。ちなみに刀の銘は知らないらしい。それともまだ無いのかな?


 そこでふと迦具夜は思った。


「…え、それってまさか正体ばれてたりする…?」


 そんな所から正体が露呈する可能性なんて思ってもみなかったものだから、何も策を打ってはいなかった。おそらく向こうは瓦版などからの情報で義賊がしたという事は既に悟っていることだろう。もしそこから本格的に情報を集めれば突き止められるのも時間の問題かもしれない。


「それも大丈夫だと思いますよ。私の知り合いであることは分かっているかもしれませんが、個人の特定まではしていないようですから。

それに、鍛冶屋のおじさんは少なくとも恩義を感じているようでしたから、恩人を売るようなことは無いでしょう」


 私よりは付き合いが長いだろう鈴蘭が言うのだから信じても良いだろう。少し不愛想な感じを受けることもあるけど、その辺りはしっかりしていそうだからね、あのおじさんは。


 とりあえず落ち着いてお茶でも呑もう。湯呑に口を付けてずずずっと。元からそうだったのか、話している間に冷めたのかは分からないが、お茶は適度に温かった。

 よく見るとお盆の上には湯呑以外に煎餅の乗った小皿もあった。その煎餅は表面はいい焼き色とは別に茶色い。これは醤油とみた。うん、当たり。美味しい。しばらく休憩っと。


「それにしても…あの子たち、無事に家に帰れたでしょうか?」


 醤油煎餅をばりばりもぐもぐと食べていると、鈴蘭がそんなことを言ってきた。


「ん? あーそれか。ま、大丈夫でしょ。一応自警団なんだからその辺はきちんとしてくれるよ」


 そう答えて迦具夜はまた暢気に煎餅を齧る。

 実際、もし家が見つからなくても、ある程度は保護してくれると言うことを本人の口から聞いているのだ。




 実はあの夜、迦具夜たちは早めに姿を消してはいたが、そのまま真っ直ぐ煌々華に向かったわけではなく、ある程度見届ける為に建物の陰や屋根の上で隠れて休みながら様子を見ていた。


「……随分と元気だこと…」


「解放されて嬉しいんですよ、きっと」


「にしても、自警団は一人だけか。もう一人はさっきの奴らを先に連れて行ったのかな」


 迦具夜たちが見据える先には、解放された子どもたちが夜であるにもかかわらず元気に歩いており、その後ろを保護者のように自警団の木堂が歩いている。

 木堂はこの状態でそれぞれの家へと向かうつもりらしい。


「家はどっちだ?」


「「「「あっち!」」」」


「……すまん、言い方を間違えた。ここから家が近い奴居るか?」


 それぞれ違う方向を示す子ども達に男は苦労しているようだ。それでも止めようとしない辺りは大したものだが、そのままだと振り回されることだろう。

 ここで木堂は気付いたことがあった。


「そっちの奴は家は何処だ?さっきから何も言わねえけど」


 木堂が気付いたのは、元気に答える子ども達とは何も応えていない三割程の子ども達だった。木堂が訊くと、その子ども達は様々な事情で行く当てを失っているようだった。


「仕方ねえな。安心しろ、そういう奴らは俺らのところで一度保護するから、当てなんざそれから探せばいいって。…さて、そんじゃあ近くから回っていくか」


 そう言うと木堂は再開するように子ども達の前に出て先導していく。子ども達は全員素直にそれに付いていく。


「それじゃあ、そろそろ私たちも帰りますか」


「迦具夜さんは帰ったら念の為に足の手当てですよ?」


 そんな会話をしながら、迦具夜は鈴蘭を再び抱えて、夜闇の中に飛び込んだ。そうしてこの夜の一件は幕を閉じ、後は先に述べた通り、謹慎中。




「というか、鈴蘭さんは町で噂か何か聞いてないの?そのことに関する事」


「いえ、まだ外に出ていないので何も聞いてはいないんです。すみません…」


「いや、謝らなくていいから」


 そうなると、気にはなるけど今日知るのは無理そうかな。自分で探りに行こうとしても今日は外に出れないから、まぁ信じるしかないよね。心配ではないと言えば嘘になるけど。


「さて、どうなっていようと今日は如何も出来ないから、続きでもしますか」


 このまま気にして唸っていても時間が勿体ないと判断し、迦具夜は空になった湯呑を置くと、開きっぱなしにしていた巻物に向き直り、筆を再び持つ。

 休憩を入れたからか、先程よりは少し進みが良い。と言っても今の場面は昔話をそのまま転用していたりするが。


「そちらの調子はどうですか?」


「まあまあかな。といってもこの程度書いて実際にはどれくらいの時間を使うのかは分からないけどね」


 時間のことは考えずに書き進めていると言っても、題材が題材なのでそれなりに長くはなりそうだとは個人的に思ってはいるが、今書けている分だけでも一時間使うかどうか怪しかったりする。下手すれば半刻ぐらいに収められる場合だってある。別に長くしたいという訳ではなく、演技初心者としては短い方がいいが、短すぎると伝えるべきものが色々と足りない気がするのだ。

 あと人員のことだが、出来上がってから考えるつもりで放置していたが、今出来ている分だけで判断すると、一人で複数の役を掛け持っても最低でも四人程は人員が必要になってしまっている。そういった場面が出来てしまっているのだ。本人の同意もあり鈴蘭の参加は決まっているが、出来れば裏方のことも考えてもう少し人員を欲しい所だが……


「怒られた手前、頼み辛いけど他の人に行ってみるかな…。花火さん絶対傍観選ぶけど」


「それはありそうですね。姉さんたちには私から言いましょうか?」


「有難いけど、その必要がある時は自分で行くよ。……なんか怖いけど」


「そうですか。…あ、じゃあお茶のお代わりでも入れてきますね」


 そう言って、鈴蘭は湯呑を回収して部屋を出て行く。それを見届けてから迦具夜は再び続きに取り掛かる。


 この辺りってどういうことだっけ、などと途中記憶を掘り返したりしながらも少しずつ書き進めていると、誰かの足音が聞こえて来た。少し早いなと思いながらも案の定部屋の戸を開けたのは鈴蘭だった。だけど、その手には何も持ってはいなかった。


「どうしたの?」


「迦具夜さんにお客さんみたいです」


「お客…?」


 正直自分を訪ねてくる者に心当たりはない。

 自分で言うのも何だけど、私が此処に居ることを知っていて名差しで用件のある人なんてこの町では煌々華の皆か千沙ぐらいしか居ないはず。だけど皆の場合は態々尋ねる必要は無いし、鈴蘭の反応からして千沙でもないのだろう。となると本当に誰なのか?


 鈴蘭に促されるままに部屋を出て、玄関へと向かう。

 すると、そこには服装が少し違うが、例の件で幾度と関わった少女の姿があった。以前外で会った時のように顔を隠すものは無く、身嗜みを整えていた。

 何故ここに居るのが分かったのかと少女に訊くと、少女は此処に来るまでに聞いて回っていたらしい。流石に迦具夜という名前だけでは不十分だったが、鈴蘭の名前を出したら此処に辿り着いたとか。そういえば普通に名前を呼んでたから名前は知ってるよね。ちなみに義賊の件は伏せていたらしい。それは有難い。


「お礼がしたくて…」


 何用かと問うとそう言ってから口籠る。お礼とは言ったものの、少女自身何をすればいいかとも決まってはいなかったらしい。品を渡そうにもお金は持ってはおらず、役に立とうにも何が役に立つのか分からなかったようで、結局言うだけでもと此処まで来たという。

 その当人は先程から彼方此方と視線を動かしている。此処がどういった所か分かっていないらしい。初見では分かり辛いところあるよね…、特にこの娘みたいな子には。


「おや、何で外に出ているのかねぇ?」


 まだ建物の中なんだから別にいいでしょ。


 いつの間にか外出していたらしい花火が戻って来た。昔は兎も角、迦具夜が此処に来てからは、朝は大抵居たりするので、朝から出ていることは珍しい。

 腕を組んでいるので自然と胸が強調されるような姿勢になっている。そんなことより両手に何も持っていないところを見るからに、酒を求めたという訳ではないのか。


「太夫おかえりなさい」


「ああ、ただいま。それでこの童は誰だい?」


「一応私のお客。例の件絡みの」


 花火は内容を大体把握しているので簡単にそう言うと、少女の方を見てはその頭に手を置いて撫でたりしている。鈴蘭は花火が知っていることを知らないのであたふたしていたりするが特に問題は無い。

 そして充分撫で終わると、関心が無くなったかのように静かに奥へと歩いていく。


「まぁ、好きにしろ」


 その好きにしろ発言は一体何に対してなのかはさておき、とりあえずこのまま玄関で居るのもどうかということで、少女を迦具夜の部屋まで通すことにした。下手に他の部屋に通せないからね。一応謹慎の立場なもので。

 

「そういえば、聞いてなかったけど名前は何ていうの?」


「名前……」


 少女は困っていた。どういう訳か少女には名前が無いらしい。理由を尋ねようとも思ったが、名前は無い程なのだから言い辛い理由だったりしそうなので聞かないことにした。

 という訳で、無いなら無いで呼び辛いので、今の間だけでも呼び名を決めておくことにした。何にしようかな?


「そういえば、鈴蘭さんたちは偽名だったよね?」


「はい。太夫に付けてもらいました。皆色々と事情があったりしますので」


 迦具夜さんは違いますが、と続ける鈴蘭。

 迦具夜を除く皆は揃って花の名を花火から貰っている。これは花火自身、植物の偽名を使っているからなのだろうか。

 ならばその命名則に則った方がいいかと思ったが、そもそも植物の名前あんまり知らないなということで結果、少女に安直な名が仮で付けられたとさ。

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