拾漆の舞

 相良は走っていた。

 仕事ではなく予期せぬ行動だったが為に、羽織は着ていても武器となる十手の一つも持ってはいない状況で走っていた。どんな時でも準備を怠らぬ彼がこれほど準備が儘なっておらぬ状態で走っているのには理由があった。


 その原因はほんの数分前。

 相良は見回りの番を代わり、木堂たちと共に休息を取っていた。自警団は有事に備えて、休めるときに休んでおくという方針をとっている為、このように交代で休むようになっている。事件が既に起きているのは確かではあるが自警団が備えているのは主に武装沙汰であるので今は大勢ではあまり動かない。この場合は動けないと言う方がいいか。

 そして相良も就寝しようとしたが、事件のことが気になって中々休めず、気分を変えるために夜風に当たりに外へと出た。念の為に羽織だけは着たままで。

 明けと宵を繋ぐ小さな橋の上で風に当たりながら、忘れておくことも出来ないならと事件のことを整理することにし、今把握している情報を思い出していた。ふと顔を上げるとそこには綺麗な月があった。


「そういえば、こうして月を眺めるのはいつぶりだろうな……」


 月を眺めていて昔のことなどを思い出していた。事件のことで一杯だった頭は一度治まり、もう寝ようと方向を変えた時、自分ではない影が見えた。

 周囲には人は居ないことから上だろうと思い、顔を上げるとその影の正体は屋根の上を軽やかに移動し、町の外側に向かって進んでいった。普段ならこんな時間に屋根の上を走っているとは何者だと思ったであろう。


「あの影はもしかして…!」


 だが、相良はどういう訳か直感した。あれは自分たちが追うべき者であると。そして冒頭に戻る。


 そこらの者とは違う身のこなしは只者ではない。間違いない、あれは恐らく例の賊だ。だが一体何処へ向かっているんだ?行き先は次第に宵から明けへと移っていく。自分がこういうのもどうかと思うが、明けに奴が狙いそうなものはあまり……。

 その後は続かなかった。賊で在る以上は罪人であることは変わらないが、噂通りなら奴の動く先には何かがある。そして今ここで奴が動きそうな案件となれば……。


「少々癪ではあるが、ここは案内してもらう」


 今は用意が不十分だから制圧は出来ないが、少なくとも犯人の特定だけでも出来るだろうと相良は考え、速度を上げつつある影に引き離されないように後を追っていく。その後結局は途中で見失う事となったが、その代わりに不審な建物を見つけた。






 静まり返っている月光の下、戦いの音が鳴り響く。

 砂利を踏み込む音、得物を叩き付ける音、積まれた藁が崩れる音、そして掌を叩き込む音。


「ぐはっ……っちぃ!この野郎ぉ!!」


 男は迦具夜を振り払うと手にしていた長物で斬りつける。だがそれは寸での

所で躱される。反射的に距離を取った迦具夜は再び、相手の背後を取るように動き、そして首目がけて足を叩きこむ。


――――!


「いい加減それは見切ったぞ」


 叩き込んだはずの足からは皮膚や骨ではない硬い感触が伝わってきた。迦具夜の右足は、振り返った男の左腕で止められていた。そして男は右腕に持っていた長物を捨てると、そのまま迦具夜の足を掴んで投げ飛ばした。

 迦具夜は落ちる瞬間、受け身をとって倒れることなく立ち上がる。男は再び落とした得物を拾い上げる。


「随分としぶてぇな おい」


 それはこちらの台詞である。これでも既に三度は気絶させるつもりで全力の回し蹴りを叩きこんでいる。それなのに、相手はまだ元気である。それどころか準備運動が終わったかのように少しずつ反応が良くなっていっている。

 それに対してこちらは少し状況が悪い。先程蹴りを防がれた時に、腕にかなり硬質な篭手でも仕込んでいたのか、その足を痛めたらしい。相手にはまだ知られてはいないが、早めに終わらせないとまずい。


 そんな時、再び男は得物を構え、一直線で身体の中心を狙ってくる。突きだ。男は迦具夜がそれを躱すや否やすぐに腕を引き、次の突きを繰り出す。連続突きだろうと迦具夜は頭で考えず反射で全て躱すが、だが、足の影響が出たのか、次第にその攻撃は掠るようになっていく。そして迦具夜が大きく半身を逸らした時、長物を懐めがけて叩き込み、そのまま近くにあった壁に叩き付けた。迦具夜の身体には大きな衝撃が奔った。

 木製だった壁は大きな穴を開け、迦具夜は飛び込んだ部屋に転がり、近くにあった穴に落ちようとしたのを何とかもちこたえた。


「……っ」


 男がゆっくりとこちらに向かってくる中、口から軽く血を吐きながら迦具夜は身体を起こす。

 この男の戦い方は以前に交えたならず者とは同じようで違う。あちらは本能任せで動き、我流のような荒々しさが感じられたが、こちらは同じ荒々しさの中にも行動を狙っていたかのような狡猾さを感じる。戦いの中で生きてきた者の技とでも言うのか。


「あ、だ、大丈夫……?」


 別行動していたはずの少女が駆け寄ってくる。少女には迦具夜が気を引いている内に子どもを誘導するよう頼んでいた。その少女がここに居るという事は…!

 迦具夜は自分の居る場所を確認した。その場には少女の他に数人の子どもの姿があり、今も迦具夜が落ちそうになった穴から子どもが登ってきている。


「ちっ、やっぱりか。

おい動くなよ餓鬼共、妙な真似や逃げようなどしたらどうなるか分かってるんだろうなあ!!」


 男は得物をちらつかせ大声を出すことで、子ども達の恐怖心を煽る。そうすることで子ども達の動きを抑制し、穴から上がってこようとしていた子どもは怖気づいて戻っていく。既に出ている少女たちも立ち竦んでいる。これはまずい。だけど―――


(下ががら空きだ!)


「…うおっ!?」


 迦具夜は瞬時に男の足を払って体勢を崩すと、すぐさま駆けて、お返しとばかりにその腹元に渾身の回し蹴りを叩き込んだ。男は不意打ちに反応できず、もろに攻撃を受けて外まで弾き飛ばされた。


「ぐ…この程度で倒れるとでも―――っ!」


 迦具夜の反撃はそれだけでは終わらない。

 男は体内から上ってくる液を耐え、反撃に出ようと正面を見た。だが、そこには既に迦具夜の姿は無かった。男は辺りを見渡す。子どもの姿はあれど迦具夜の姿は何処にもない。逃げたにしてもほんの一瞬で行方を晦ますことはできないはず。なら一体何処へ。そんな時、地面に影が映った。


 男が必死に探す中、迦具夜は男の頭上に居た。

 迦具夜は男が蹴りを受けて視界が下がった一瞬の隙に、屋根の縁を掴んで勢いに任せて上へと跳んだ。屋根は少し壊れ、言うほど高くも無いが、男の不意を突くには十分だった。迦具夜はそこから片足を出した体勢で前に回転し、男に接触すると同時に足を振り下ろす。


(これで…何とか!)


 重力による落下を利用した踵落とし。それが的確に頭に命中し、流石の男も渾身の一撃を急所に受ければ耐えられなかったのだろう、苦痛の声が出た後にその場に前のめりに倒れた。脳震盪を起こしているだろうからすぐには起きないだろう。これで少しは大丈夫。今のうちに…


 迦具夜は小屋へ戻り、地下に居る子ども達を引き上げる手伝いをすることにした。先程の反撃の時に恐怖から脱した子たちが先導し、かなりの人数が既に上がっているようだった。

 残りの子どもも引き上げ終わると、倒れている男を見た子ども達は安心したかのように喜んだり、自由になった事を噛み締めているようだった。喜びのあまり素性が分かっていないはずの迦具夜に抱きついたりする子たちも居た。


「いや、苦しいから…」


 そんな中、少女だけが何かを思い出そうとしているかのように悩んでいた。それは迦具夜も把握していないであろうこと。それを少女が思い出したと同時にそれはゆっくりと迦具夜の背後に現れた。


「犯人はまだ残ってる!」


 その叫びと同時に迦具夜の背後の影は手にしたものを振り下ろした。






「くそっ…何なんだ一体っ!」


 未だ痛みの残る後頭部を摩りながら男は敷地の外を歩いていた。迦具夜に瓦を落とされて気絶していた彼は、当たり所が良かったのか、それほど時間が経たずに目を覚ましたのだが、遠くに倒れていた仲間の一人を見て、逃げの一手を打ったのだ。ここで捕まるのは御免だと。あわよくば外に出ている仲間と合流する為に。


 そうして壁沿いに逃げていると、男は一人の男に見つかった。そいつは見覚えのある羽織を着ていた。会いたくはなかった格好だ。


「おい、そこのお前。こんな時間に何をしている?」


 相良は不審人物に質問を投げかけた。相良はこの場所に辿り着いてからずっと様子を窺っていた。そんな時に敷地の中から怪しげな男が出て来たのを見て接触を図ったのだ。もしこの男が犯人だとしても、相手が一人なら武器は無くとも素手で制圧することは可能だと考えたからだ。それに、抜かりはない。


 犯人は動きを止めるが返事は無い。相良はもう一度問う。ここで何をしている、…と。


「いや、ちょっと酔っ払いに絡まれててな。今帰るところなんだ」


「そうか。…にしても随分と争ったようだな」


「ああ…、その酔っ払いが殴りかかってくるもんだからこれが大変だのなんの。

…おっと、こうしている場合ではないな。悪いが俺は急ぐぜ。少しでも早くも戻って上さんに説明しねえとさ」


「そうか。それは悪かったな」


 話を切り上げて犯人の男は早々に立ち去ろうとした。さっきの酔っ払いめ、などと呟いて被害者を装いながら。だが、すぐにその腕を相良は掴んだ。


「まだ何か? 早く戻らねえといけないんだが」


「ああすまない、一つ忘れていた」


 相良がそう言って止めると、犯人の男の表情に早くしてくれと言いそうなほどの焦りが出てきていた。そして相良は重要なことを話題に出した。


「君はここが何なのかを知っているか? 知っているのなら教えて欲しいのだが」


 相良がそう聞くが、男は知らないと言って去ろうとする。だが相良は手を放さない。それは可笑しいことなのだ。相良はこの男が中から出てきたことを知っている。確認の為に少し泳がせていたが、隠そうしたということは犯人かその関係者の可能性が高い。もういいかと相良は口を開いた。


「そうか。俺は君がここから出てくるのをしっかりと見ていたんだがな」


 そう言い終わるよりも前に男は相良の腕を振り払い、逃走しようとした。が、それはもう遅かった。次の瞬間、男は逃げようとした方向とは反対の方向に吹き飛んでいった。


「ぐほっ――!?」


 突如顔面に物理的な横槍――槍というより蹴りだが――を受け、男は壁に叩き付けられて気絶した。そして相良の目の前にその横槍の主が着地する。


「…顔面か」


「なんだ、情け容赦は気にしないでいい相手じゃなかったのか?」


 犯人の一味だったのだから間違いではないが。見事な顔面跳び蹴りをかましたのは相良を探しに来たのであろう木堂だった。


「狙ったような頃合いで出てきたな木堂」


「そいつは偶然だって。さっきまで動いてたんだからな」


 木堂は風に当たりに行ったきり中々戻ってこない相良を探して外に出て、十手を持っていないことを考えて近くに居るだろうと周囲を探している時に、地面に変な物を見つけた。それは印だった。印は複数存在し、案内するかのように一定間隔毎に付けられていた。それは此処に来る間に念のために相良が付けていたものだった。そして相良の読み通り、木堂はそれに導かれるように此処に辿り着き、先程のことに繋がる。

 可能性の一つとして打っていた手であって、本当に来るとは相良も思っていなかった。


「よく印の意図に気付いたな……」


「ん、あーあれか。確かに始めは子どもの遊びの後とでも思ったが、それだととっくに消えてるはずだし、真新しい感じがしたからな」


 印は矢印でも何でもなかったのに真新しいというだけで来たらしい。納得する材料としては足りないであろうに、こういった勘だけはいいからな。

 そうして少し状況確認をした後、木堂は懐から取り出した小さな縄で気絶している男の腕を後ろで縛る。木堂はどうせ気絶しているのだからと足まで縛ろうとしていたが、その必要はあるのだろうか? 結局止めることはなかったから蛹のようになってしまったが。


「ぅし、そんじゃあ、今度は此処に突入といくか」


「まぁ…そうなるよな。……ん?」


「どうした相良?」


 今、ちらりとしか見えなかったが、誰かが中に入って行ったように見えた。犯人か? それにしては何かが違ったような。それに、近くに犯人の一人を捕えた自警団が居ると言うのに今更犯人が戻ってくるか? となるとまさか一般人が入ったのか…

 

「木堂、そいつは此処に置いておいて俺たちも中に入ろう」


「そうこないとな!」


 相良と木堂は縛った男をその辺に転がして、共に様子を窺いながら静かに中へと入って行った。中は思いの外静かで…争うような音が聞こえた。






 振り下ろされた刃は迦具夜を分断することはなく、頭の前で止まっていた。気配を察した迦具夜は咄嗟に身体を反転させて、両手で刃を挟むように受け止めていた。真剣白羽取りである。


 迦具夜は至近距離で相手を見た。顔に覚えはないが背格好には見覚えがあった。そいつは以前に町中で遭遇した犯人だった。

 その男は止められた刀を力づくで引き抜くと一度距離を取り、姿勢を低くして刀の先端を真横に向けるように構えた。


 あの構えは技だ。先程の男やならず者の剣とは違う、型のある本物の剣術。

 迦具夜は視線を逸らさず、後ろに居る子ども達に退くように指示する。その時、男の持つ刀が月の光を反射したことで迦具夜は一瞬目を閉じた。その隙を逃さないように男は間合いを詰め、構えていた刀を水平に振り払った。


 迦具夜は転がるように躱すが、払われた刃は周囲に置かれている物諸共柱を切断した。それにより頭上の木材などが崩れて落ちてくる。

 迦具夜は急いで逃げ遅れている子どもを抱えて小屋を飛び出した。小屋がそれほど丈夫ではないことを利用して生き埋めにでもしようとしたのだろう。何という策だ。

 などと思っていると、すぐさま先程の男が斬りかかってくる。男は既に子どもなど眼中に無いようで、迦具夜にのみ襲い掛かってくる。

 迦具夜は出来るだけ子ども達の居る方向に行かないように気を付けながら、全神経を集中させて斬撃を躱しにかかる。右に左に振るわれる刃を、時に流れに身を任せ、時に落ちている物を利用して躱す。だが、反撃する隙を探してはいるが、躱すのが精一杯でその余裕が無い。躱す流れで相手に掌打を叩き込もうとしても、手が届くよりも先に相手の刃がこちらに届いてしまうだろう。


 迦具夜は移動しながら何とか糸口を探す。そんな時だった。

 視界の端に鈴蘭の姿が見えた。手には何かを持っていて、急いできたのか息を切らしている。何故此処に!? と思うよりも先に鈴蘭は何かを言ってこちらに向かって持っていた物を投げた。そしてに視線を向ける。


それは黒い鞘に入った短刀だった。

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