拾陸の舞
陽は沈み、華乱は夜の帳に包まれ切り替わる。明けの町の殆どは黒を受け入れて静けさに満たされ、それとは対照的に宵の町は黒に反発するように紅い光が面妖な雰囲気を醸し出す。
そしてこの日、宵の町の一角に数日振りの賑わいの明かりが灯っていた。そこは芸人が集まる場としては少々他より変わった外観をしていた。火花一門が拠点とする『煌々華』だ。そこの一室では宴会という名の自由が広がっていた。
「今日は飲むぞぉー!」
なんてことを客たちが叫んでいたりする。客の中にはこの場を日々の息抜きとするものや明日への英気を養う目的の者など様々な人が来店している。といっても結局は酒である。誰に何かを言われることも無く自由に酒を飲みたいのであろう。
後はここを交流の場として新たな繋がりを持てればと言う者も居ない訳ではない。とはいえ、友人として腹を割って話をすることはあっても、色々絡んだ仕事上の話は大抵酒に流されるがね。
「迦具夜さん、向こうの机にも新しいお酒をお願いします」
「あ、はい」
控え目の種類を出しているとはいえ酒のにおいのする部屋の中で、迦具夜は縦横無尽に動き回っている。動き回っているといっても暴れているわけではなく、人の邪魔にならないように気を付けながら右に左にと注文などを運んでいる。運ぶものは酒や食べ物だけでなく、時に酔い潰れた人も部屋の隅へと運んでいる。無駄に賊としての技量が活かされていたりする。
「嬢ちゃん、良い動きするねー。うちでも働かないか?」
迦具夜自身未成年なので酒は飲めないが、先程から迦具夜の軽やかな動きをみて
こうして誘ってくる人が絶たない。それで無くても話し相手として誘われたりもしているが、迦具夜はそれらを全て断っている。「初仕事で余裕がないので」と。どう見ても余裕が無いようには見えないが、本人がそう言っているので皆深くは考えずに酒を飲み直している。
そんなことがあっても変わりない速度で仕事を続けているが、余裕が無いのはある意味その通りである。運ぶこと自体は問題はない。誘われることも問題はない。余裕が無くなりつつある原因は時間だ。それも作戦開始の合図の時間。それを見届けなければそもそもこの作戦は始められない。なのでそれを逃さない為に仕事を何処かで抜け出さなくてはならない。今はまだ時間があるからいいのだが、久しぶりだからなのか、食料の消費量が多く、客の回転も多いので、抜け出す暇が見当たらないのだ。これはどうしたものか。
なんて考えている間にもまた注文が入り、運んでは空いたものを回収をする。
「相変わらず夜なのに盛況だねー」
運んでから、またあるだろうと思って出入り口付近で待機していると、後ろにいつの間に来たのか千沙が立っていた。その手には室内と言えどいつも通り畳まれた番傘があった。
「いつ来たんです?」
「さっき普通にお客と一緒に」
そういえばと迦具夜は思い出す。大体の客は分かっているから心配ないと言われたが、人数の関係上、出迎えは誰も担当していないので千沙のように何時誰が来ても把握が出来ていないのだ。自由にも程があるが、この方針になってから結構経つようで、治安が治安なだけに何とかなっているとか。あの件などもあるので治安の話をすると本当に大丈夫なのかと思うが大丈夫らしい。嘘だぁ……
ちなみに今回の担当だが、迦具夜が運び、鈴蘭が裏方として食の用意、紫苑は接客。紫苑は見かけによらずお酒には強いらしいから酔い潰れるという事が無いし対人能力も高いようなので適任だろう。薊は後に備えて待機。それで花火だが……客と一緒に酒を飲んでいた。一応紫苑のように客の対応をしていると言えばしているのだが、逆に客に接待されているようにも見える。良いのだろうか…?
「こんなにお客が居るのに何で一部屋だけでやってるの? この部屋も充分広いけど酔い潰れて寝てる人も居るから少し手狭かな」
「まぁ…復帰ということもありますから」
実はこの部屋は、境になっている襖を開けることで二つを一つにしている大部屋なのだが、それでもこの人数だと千沙が感じているように狭く思える。
ふと思ったことなのだが、こうして二部屋を使ってもまだお客用の部屋は余っているのだが、普段はどういう使い方をしているのだろうか?複数使うにしても対応する人が明らかに足りていないのですが……。今度暇な時にでも確認しておこうかな。
「そういえば決まったの?やりたいこと」
「まぁ決まりはしたんですけどね。中々上手くいかないもので」
そう言って迦具夜は懐から脚本である巻物を取り出して千沙に見せた。そんな時、また注文が入ったので、巻物を懐に戻して今ある空いている酒瓶を持って裏方へと消えた。そして新しい酒瓶と皿を持って戻って来た。
「君も案外忙しいみたいだね」
「はい?」
待機している状態を暇そうとでも見えていたのだろうか。まぁ確かに待っている間は特にすることは無いですがね?それでも抜け出す程の時間は無いから困りものである。動くに動けない。仕事は動いてますけど。
なんて思いながら特に飲む気はないらしい千沙と共に再び待機していると部屋の中に違った盛り上がりが生まれた。盛り上がっている場所は迦具夜たちの居る場所の正面奥。部屋の奥には誰も居ない空間を設けられており、今そこに一人の着物の女性が立った。
「あれ、こんなところで披露するんだ?」
奥に現れたのは薊だ。服装や化粧もしっかりと整えており、普段以上に気迫のようなものを感じられる。言ってしまえば、声をかけづらいものがさらにかけづらくなった。
薊の登場にさらなる盛り上がりを見せる客たち。だが、薊が動き出した途端、その盛り上がりは奪われた。
それ用に持ってきたのだろう扇子を開き、その場で舞い始める薊。飾り気のない舞ではあったが、洗練されたその動きに魅せられた客たちが声を発することを忘れて見入っている。
静寂の中の舞。薊の舞はしばしの間続けられ、終始音を消し去るその舞が終わる頃、拍手喝采に包まれた。舞を終えた薊は客たちに一礼をして部屋を出ていった。
客たちが先程の舞の話をしながら再び飲んでいる中、迦具夜はとある答えを得ていた。以前に劇場で見つけた形跡、あれは恐らく薊のものだったのだろう。先程の舞での足の動き、小さい範囲内での動きだったが、あの動きならあのような形跡が出来るだろう。
本人の人柄はまだあまり分かってはいないが、人前で堂々と練習するような感じはなく、どちらかと言うと薊は練習を見られたくなく隠れてしているような性格をしていそうだから間違いないだろう。(ここまで全て推測である)
「いやぁ……凄い綺麗な動きだったね。あれは結構練習したんだろうな……私も負けてられない」
「負けてられないって芸の基礎から違いますが」
「それでも練習の成果というのは変わらないでしょ?」
「まあそうですけど……おっと、運ばないと」
雑談をしている間にも、酒が進む客たちによって空きの瓶や皿が増えていき、次が要求される。それと同時にそろそろ切り上げようとする客も出て来た。迦具夜は注文を順番に処理しながら、帰ろうとしながらも酔っている客を出口まで誘導したりする。心配したのか、時折裏から出て来た鈴蘭も一緒に注文を運んでいたりもする。
そんな状況を傍から終始見ていた千沙は見兼ねたのか助け舟を出そうとした。
「あの…手伝おっか?」
「え、本当に?」
時間も迫っていることもあって、これは願ってもない申し出だった。なので迦具夜は千沙に簡単な説明をしてここを任せることにした。然程難しいことではないから大丈夫だろう。
「迦具夜さんそろそろ……」
「うん、御免。少し抜けてくる」
事情を知っている鈴蘭に促され、迦具夜は宴会場を抜けて自室へと向かって行く。それを遠くから見ていた花火は悟ったように酒を飲んでいた。
迦具夜は自室には入り、すぐさま夜の装束を身に纏う。
鈴蘭さんは知っているし、花火さんには後で説明すれば分かってくれるだろうけど、後の二人に途中で抜けたことをどう説明すればいいのだろうか。絶対に居なくなってることには勘付かれるよね……。よし、考えないようにしよう。今は次の事に切り替えよう。
支度が出来た迦具夜は思考を切り替え、二階から外の屋根へと抜け出した。空には雲一つなく月が輝いている。視界は良好。高い所に登れば遠くまで見渡せるだろう。
ということで迦具夜は煌々華の屋根を上り、周辺を見渡し始めた。周辺は特に変わったことのない夜景が広がっていた。暫くそのまま変化が無いかと見渡していると、遠くの方に光が瞬いた。その光は低い位置で光ったかと思えば、それよりも少し高い地点で回るように光を放ち始めた。間違いない、あれが目印だ。
迦具夜はその光が消える前に屋根伝いに駆け始めた。光はすぐに見えなくなったが、その場所にあった建物が他よりも特徴があったので覚えている。迦具夜はその地点を目指し、木や瓦の屋根を跳んでいく。月光に照らされながら飛び跳ねるその様はまるで月の兎の如く。
迦具夜が光を頼りに駆けている時より少し前、華乱の端の方に位置する少し変わった形の一軒の家屋。場所は明けの町なのだが、家屋の造りがどちらかと言うと宵の町の建物に少し似ている。そんな建物は外観からすればそれほど大きくはないが、だからと言って狭いという訳ではなかった。
その建物には地下が存在し、その地下室には多くの子どもが押し込められていた。その中には迦具夜たちが出会った少女の姿もあった。
「…本当?」
「うん。上手くいけばみんな此処から逃げられるから…。もう少しの辛抱だよ…」
「でも、失敗したらもっと酷い目に合うかも……」
「かもしれない……けど今しないと一生自由になれない」
そう少女は他の子どもたちを説得するが、やはりそれだけでは決心するには難しい程の恐怖がある。少女たちをここに連れて来た者たちに受けた心の傷は相当深い。だが少女は小さいながらも見つけた光を勇気に変えようとしていた。
少女は思い出す。陽がまだ沈んでいなかった時、迦具夜が説明した作戦の段取りを。
「これを夜更けぐらいになったら点火して空に投げて。遠くから見えるように出来るだけ高くに」
そう言われて少女が受け取ったのは、輪っか状の細い紙だった。それは迦具夜たちが報告の時に貰ったものの一つの鼠花火だった。鼠花火は本来点火した後、地面で走り回るものだが、迦具夜はそれを合図に使おうと言うのだ。何でもこれは使われている火薬の配分を間違えている不良品で、正規の物とは違うと言うが、見た目からはその違いが分からない。
「これはかなり君にも危険があるけど出来る?」
確かにこれは少女が行動することにそれなりの危険がある。犯人の目を盗んで抜け出し、花火を点火して空に投げねばならない。気付かれればまず合図を送れないだろうし、万が一合図を送れても、その後の少しの間自分でどうにかしないといけない。
「場所さえ分かれば仕掛けられる。大丈夫だって、何とかするから」
その時の言葉を信じ、後のことは考えずに少女は動き出した。
「それでどうだった、目ぼしい餓鬼は居たか?」
「ああ、活きの良いのがちらほらな。にしても餓鬼は簡単で助かるぜ。餌をちらつかせて少し良くしてやれば全然疑わねえし、調教してやれば逆らわなくなるからな」
「全くだ。お蔭で楽に商品が調達できる」
がははと犯人の大きな声が頭上から聞こえる。声の数からして犯人は全員で三人。外に出される時はいつも目隠しなどをされて情報を遮断されるが、自分たちが地下に閉じ込められているのは分かった。
犯人たちの様子は恐らく次の得物を決めようとしているところなのだろう。その会話で無意識に忘れようとしていた記憶が繋がり、少女は理解した。
ここに居る子どもたちの殆どは捕まる前に一度、変装した犯人を遊び仲間として接触していることを。そしてその日の皆が寝静まる頃に、子どもが偶然起きたかのように何かしらの細工をし、それからさも偶然かのように不審に出歩く遊び仲間を目撃させて、油断したところを攫っていたことを。
「そんじゃあ、行くとすっか」
「おう。だが気を付けろよ。あの間抜けな自警団も流石に俺たちを探しているみたいだからな」
「はっ、今さら捜し出したところで俺たちは捕まえられねえよ。
それより先にとんずらすりゃいいからな」
その言葉の後に足音が遠ざかっていく。出て行ったのだろう。あと残っているのは二人。この地下の出口は梯子で今犯人たちのいる部屋に繋がっている。だから今抜け出そうとしても簡単に捕まってしまう。少女は機を窺う。
「それにしても、こうも上手くいきすぎると身体が鈍る。……一人ぐらい餓鬼を斬り殺してもいいか?」
「駄目に決まってるだろうが。大事な商品なんだぞ」
「ちっ」
また足音が遠くなっていく。残る監視は一人になった。これならまだ可能性があるかもしれない。少女は手に鼠花火を握りしめ、静かに梯子へと近づいていく。そして音を出さないように梯子をゆっくりと昇り、頭を少し出す。犯人は後ろを向いて酒を飲んでいる。抜け出すなら今かもしれない。
少女は静かに梯子を登りきり、そのまま出口の方へと忍び足で向かって行く。犯人は未だに少女には気付いておらず、明かりの火のぱちぱちという音だけが聞こえる。
少女は何とか外へと抜けだした。少女は初めて周辺の景色を見た。一門などが有する敷地ほど広くはないが、周りが塀に囲まれている。
ふと近くを見ると、犯人の一人と思しき男が素振りにしては荒々しく長物を振り回していた。少女は急いで近くの物陰に身を隠した。ここなら小柄なこともあって視界には入らないだろう。
「(この後は花火を点ければいいんだよね。でも火はどうしよう……あ、あれなら)」
少女は周辺を探すと丁度よく松明を見つけた。少女は近付いて急いで点火しようとしたが、少女の身長では僅かに火の部分に届かない。そして苦戦していると犯人に見つかってしまった。
「おい、餓鬼が外に逃げてるぞ!」
先程振り回していた犯人がこちらに向かってくる。少女は急いだ。何度も跳んで何とか点火に成功し、そのまま塀の上に向かってその花火を投げた。
その投擲はお世辞にも高いとは言えないものだったが、投げられた鼠花火が火花を撒き散らし回転しながら空に向かって昇っていく。その光は周りの景色には無い色を放ちながら希望を待つ。
「この餓鬼!何しやがった!」
犯人が背後から殴りかかって少女はその場に倒された。だがすぐに立ち上がり、少女は逃げるように走った。少しでも時間を稼ぐために。
もう一人が加わり、二人の男が少女を追う。少女はふらつきながらも小柄を活かして一心不乱に逃げる。
「ちっ、ちょこまかと!
おい! 他の餓鬼共の様子を確認しろ! 他にも何かやらかすかもしれねえ!」
犯人の片割れがその場を離れる。だが捕えた子どもの確認をすることは無かった。片割れは突如頭上から落ちてきた瓦に頭をぶつけ、その場に倒れ込んだ。
「おい、どうし―――」
もう一人が振り返って状況を確認するよりも先に、頭上に人影が横切った。その影は近くの塀に着地し、先程まで逃げていた筈の少女を小脇に抱えていた。
「何者だてめえ……そいつはうちの商品と分かってるのか?」
その影――迦具夜はその問いに応えず、抱えている少女に確認する。
「他の子どもは?」
「みんな地下室に……」
「地下室なんてあるんだ。見た目廃れてる感じなのに」
「おい、聞いてんのか! そいつを返して貰おうか!」
男は叫ぶ。それに対して迦具夜は侮蔑のような視線を送る。
「これはお前たちの罪の証拠、だから私が頂戴する」
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