拾肆の舞

 次の日。


 あの後帰ると案の定遅いと怒られた。主に鈴蘭に。だってしょうがないじゃないか。色々あったんだから。

 とまあ怒られはしたけど、迦具夜が義賊であることを知っているからか、怒りはしたけどそれほど厳しかったりはしなかった。

 事情を知る花火さんもその場に通りかかったが、元から放任主義なところがあるように、叱るようなことはなかった。変ににやついただけで一言も発することも無かったけど。何だったのか……。


 あと鈴蘭さん、軽めで許してくれたのは良いのだけど、戻る時間が遅いのはざらだからね? 義賊は出来るだけ人目を避ける為に夜を本番にしているから。昔なんて全て終わったのが陽が上がろうかしているような時ってのもあったからね? まぁあれは自分でも勘弁して欲しいから故意では絶対にしないけどね。


 てなわけで振り返りもここまでにして。

 屋敷の中。今日も皆はそれぞれ動いて町の方へと出かけて行った。鈴蘭さえも行った。迦具夜は珍しく自室で一人でいる。

 一人でいる理由は単純。聞いた歴史を忘れない間に脚本という形にするためである。本当は昨日のこともあるので今日も情報収集をしようとしていたのだが、花火に釘を差す……とまではいかないが促されたので、早めに取り掛かることにした。初めてのことだから、先にある程度決めていた方が後で人数や小道具など何が必要なのか分かりやすいからね。


 脚本を作る為に使うものは、書くのに筆と墨と墨をするための硯。それを書く対象の巻物である。始めは草紙のようなものの方が良いとは思ったが、長くなるだろうし、そういった物は持っていないので、花火から貰った巻物採用である。何故花火が何も書かれていない巻物を持っていたのかは知らない。


 早速、筆先に墨を少し付けて書き始めようとした……のだが、文字は今迄の生活の中で色々な人に教わったので読み書きは出来るのだが、筋立てほどの長い文章なんて書いたことが無いのでどう書き始めればいいのかが分からない。

 そもそも歴史を聞いたはいいが、何処から初めてどこで終わりかなども決めていなかった。やはりここは一から書いた方がいいのだろうか? でもそうすると結構な長さになるのは目に見えている。

 となると所々省く? だけどそれはそれで省く場所に悩まされる言葉や会話は下手に削ると内容が変わってしまうからなぁ……。文章って難しい……。


 筆を持ったまま固まっている間にも筆に付けた墨が垂れようとしていた。迦具夜は悩んでいるうちに筆に既に墨を付けていたことを忘れていた。それを思い出した頃には筆から黒い雫が垂れ落ちた。


「っ!?」


 その瞬間、迦具夜の脳は無駄な加速を果たした。

 足で防ごうにも正座していたので出せず、足払いの要領で雫を受け止めようとも思ったが、垂れ降りた雫をどうにかするのはもう遅い。ならどうするか。

 迦具夜は慌てず、広げていた巻物を引っ張ることで墨を躱した。巻物は真っ白のままで生き残った。……その代わりに畳に黒い染みが出来た。畳は犠牲となったのだ。


 そんな馬鹿なことは置いておいて。筆に墨を付けてから考えていてはひとつしかない巻物が汚れてしまうかもしれない。現に今そうなりかけた。

 今考えると、ひとつしかない分失敗は出来ないし、下手なことを書くのも勿体ない気がしてきた。墨を使っているから消してやり直しということも出来ない。慎重に使わねば。

 と、そこで迦具夜はあることを思い付いた。筆を置き、開いていた巻物を閉じて懐に忍ばせると、自室を後にした。目指すは外。


 というわけで、迦具夜は煌々華の庭に出ると早速とばかりに爪先で地面をなぞった。地面には少々見え辛くはあるがそのなぞった跡がはっきりと残る。うん、これぐらいなら丁度良いかも。

 迦具夜が外に出た目的は、巻物に書く前に練習としてまず草案を書くこと。失敗出来ないのならまずは練習することが大事。そのために書くのも消すのも簡単な土である。


「ま、こっちの方が気が楽だからね」


 巻物に書かないとなると遠慮なく地面に文字を書いていく迦具夜。ちなみに何も考えていない。まだ始まりを思い付いてはいない。とりあえず書いてみているだけ。肩慣らしみたいなやつです。決して遊びではない。

 一通り地面に自分が知っている文字を書き終えると、それらを消していく。さてそれじゃあ本題に行こう。


「まずは始まり方なんだよね……やっぱり一番始めのきっかけは必要か。そこから少し早めで進めていけばいいかな?」


 地面に分からないなりに書いていく。大雑把といえど歴史の説明という面があるので、始めに現状解説のようなものも必要だろうか? 一応始めの部分に加えておこう。


 始めてみれば意外と進むものだね。文章力はまだまだとはいえ、気分がのってきた。最初の場面はあっという間に形になった。といっても聞いた内容をそのまま叩き込んだようなものだけど。その時の台詞や心境は独自解釈を入れないと厳しかったけど。


 ここまで出来た部分にさらに手を加えていこう。巻物に書き込むのはそれからだ。って、筆と墨は自室に置いてきたんだった。戻ってから書いていくとしても途中で出来た分を忘れそうだし、後で取りに行かないとなぁ。


 それにしても手を加えるとは言ったけど、こういうことは第三者から見た方が変更するべき点が分かり易かったりするのではないだろうか? 自分で書いただけあって、自分では気付かないこともありそうだし。語尾などの軽い手直しぐらいなら一人でも出来るけど。

 まぁ、少しは直したしそろそろ巻物に移ろう。まずは自室に筆と墨を取りに行く。戻ってきたら縁側に巻物とそれらを広げる。あとは地面に書いた字を見ながら慎重に書き写していくだけ。あ、場面ごとに風景や場所とかを記していた方が分かり易いかな?後で清書の上に小さく書いておこう。


「……この距離だと結構見え辛いなぁ」


 あと言うと姿勢的にも結構くる。正座ではなく四つん這いのような姿勢を保ちながら筆を動かしている為、普段使わないようなところに負荷が……。

 で、結局は一々庭に出て見に行くということをしながら書き写していくこと数分。気付くと昼頃になっていたようで、何処かしらからそのような声がよく聞こえる。


「そういえば、お腹空いたといえば空いたかな? ……ん?」


 筆を置いて、伸びをする。

 すると、屋敷の中から誰かの足音が聞こえた。集中している間に誰かが戻って来たのだろうか? 足音が段々と大きくなってように聞こえるのでこちらに近づいているのだろう。そしてその人物が廊下の角から現れた。


「そんなところで何をしているんだい」


 角から現れたのは花火だった。

 その花火だが、迦具夜がここに居るとは思っていなかったのだろう、角を曲がって迦具夜の姿を認識した彼女は急に足を止めたような動きをした。その手には陶器の小瓶を持っているところを見ると一人の内に酒でも飲もうとかそういう算段だったのだろう。今の仕入れ事情だと他の人に止められるから。呑みすぎるからそうじゃなくても止めるけど。


「……いや、貴女の方が何をしようとしてるんですか」


「なぁに、ちょいとした息抜きさ」


「その手の小瓶は何処から持ってきたんですか」


「賄賂だ」


「ちょっ!?」


「ふふ。冗談だ」


 そう茶化した花火は迦具夜の横に座ると、早速小瓶を傾けて口元へと運ぶ。少量を少しずつ味わう為なのか、それほど流し込むことなくすぐに口を離した。


「ほぅ。少しは進んでいるようね」


 花火は横に広げてある巻物の内容に目を通して言った。ついでに庭に書いてあるものにも気付き、それが練習であるとすぐに察してようだ。だからだろうか……


「お前、字が書けたのね……?」


「何でそこで疑問形なんですか! そりゃ書けますよ! 色々生活してきたんですから!」


 自分が字を教えた記憶が無いからと私を甘く見てませんか? 私だって花火さんと別れてから、即日払いの仕事とか色々やってましたし、仕事に便利とかで教えて貰いもしましたからね!

 花火は少し驚いたような表情をしたが、すぐに戻して空を見上げながら再び酒を飲み始めた。


「…ところで知っているかい?」


 そこでいきなり話題を変えようとしないで下さい。ま、いいですけどね。

 それで話を伺うと、町で噂を聞いたという。


「昨日も子どもが消えたらしいわ」


 その内容は一連の誘拐のことであり、しかも昨日迦具夜が出くわしたものだ。出ようとしたら攪乱用の煙を使うなどかなり用意周到な相手だった。数回繰り返しているからと言うだけでなく、そういった経験でもあるのか?

 それより花火がこの話題を出してきたという事は、迦具夜がこの件に関わっているということを何処かで知ったのだろうか?


「……その反応はやはり噛んでいるようだね。お前らしいといえばらしいか」


 どうやら今ので確信に変わったらしい。鎌でもかけてたのか。というかそれが分かるぐらいの反応でもしていたのだろうか。そうならこれから気を付けないと。最近隠すのが下手になってきている気がするから。

 花火はもう確認したからとまた空を見上げた。


「花火さんは事件について何か知っているんですか?」


 こういった事件を何もしないで見逃しているような花火ではないだろうと予測して訊いてみたが、花火は変わらず空を見続けていた。

 流石にそういう余裕はなかったかと思っていると、花火はこちらを見ることなかったが口元が動いた。


「お前さんは何処まで知っているんだい?」


 花火は迦具夜が収集した情報を聞くと、それを踏まえた上で言葉に出した。


「随分と調べているものだねぇ。それにしても人身売買か……やはりそういうことか」


「見当は付いていたんですか?」


「そういうことを企む輩は何処にでもいるからねぇ。……こちらが把握していることは、犯人は必ず一度は対象に接触しているであろうということ、犯人が戦いで生きてきた者だろうということぐらいさ。他の事はお前さんも知っていることばかりだ」


 把握と言いながら殆ど予測を述べているが、それらが外れているとは思わなかった。その訳はそうと考えられる要素があったからだ。

 一度は対象と接触していることは、これまで円滑に誘拐が出来た理由としてあり得るし、犯行前に事前に下見をしたりするのはよくある話だ。私もその辺のことは少し思っていた。

 戦いで生きてきた者というのも、あの時の準備具合と一瞬を逃さず逃走した俊敏性を思えば、ありえない話ではない。だけど、どの程度の猛者かによってはかなり面倒な事になりうる。この間のならず者の時は何とかなったが、迦具夜は基本的に戦いというものは専門外なのである。もし正面から戦うことになったら必ず苦戦するだろう。

 と、その前に一つ気になることが…


「ていうか、何でそんなことが分かるんですか? そこまで深い情報は出回ってはいなかったですけど……」


「なに、只の推測さ。

目撃証言や現場状態から考えられることや同じ条件で取れるだろう行動を予測しただけのこと」


 花火自身も独自に調査していたらしい。証言や現場からと言ってはいるが、花火のことだ、それ以外からも情報を集めたに違いない。そういう人だから。

 だがそうなると何故彼女は何もしない?


「そこまで分かっているのに何故動かないんですか」


 そう問われて花火は少し考えるように再び小瓶を傾ける。だがもう空になったようで中からは何も落ちてはこない。


「居場所を特定するまでには至っていないというのがあるが……、結局は私が早々に表立って動けば先に逃げられるのが関の山だろうというところか。

まぁ、自警団はそれでも動いているようだけどねぇ」


 確かに言われてみればその可能性はあった。花火さんがこの町でどれほど有名なのかはまだ分からないが、探られていると分かれば切りの良い所で控えるのも考えられる。私も存在を悟られたら姿を見られる前に逃げることがあるし。というか先日した。

 というか、目的は天と地ほどに違うけど意外と私がどう出るかを当てはめれば案外犯人に近づけるのではないだろうか? 先程花火さんが「同じ条件で取れるだろう行動」と言ったように。


 迦具夜が考え込んでいると、その横で座っていた花火は小さく笑い、空になった小瓶を持って立ち上がった。そして来た道を戻るように立ち去ろうとする。


「……そうそう言い忘れていたけど」


「……はい?」


「仕入れの件は何とかなった。数日後には店をまた開けるわ。その時はお前にも働いてもらうから」


「へ、そんなこと聞いてませんけど!」


「今言った。脚本の方頑張りなさいな」


 そう言い残して花火は去っていった。

 数日後とはまた唐突な。それに働いてもらうって。…ここに住んでいる以上は仕方がないか。

 そう自分自身に言い聞かせながら、迦具夜は再び筆を取った。

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