拾の舞
迦具夜は走っている。犯人を追いかけて。
当の犯人は角を曲がり、次第に入り組んだ道を選んで進んでいく。足はそれほど速くも無ければ普通に歩いていても追い付けるぐらい。とは言っても、植物などで変に入り組んでいるところが多いために少しでも視界から外れれば見失う可能性がある。
だからといってそのまま追っていて気付かれたら、向こうも逃げるだろうからね。ここは―――。
迦具夜は勢いを殺さずに近くにあった丈夫そうな木に向かって跳びかかる。その枝に両手を掛けて勢いのままに回転、すぐ近くの家屋の屋根に着地した。そしてそのまま屋根伝いに走って追いかける。
「はっ、はっ、……迦具夜さん…凄い。…それに動き慣れてる……」
息を切らしながらなんとかついてきていた鈴蘭がそんな迦具夜の動きを見て驚く。身軽だとは分かっていてもここまでとは知らなかったのだからそれも当然だろう。
犯人を既に見失っている鈴蘭はそんな迦具夜を目印に追いかける。それとは別に迦具夜の方は身軽に屋根の上を跳びながら着実に距離を詰めていく。そんな迦具夜に下に居る町人たちは驚いているが、当の本人は目立っていることにも気を留めずに足を進めていく。正体を隠すことは何処へ行ったのだろうか…
そして追いかけてから十分もしない内に犯人を追い越した。
「ここまで来れば…きっと大丈夫……」
犯人はすぐ近くまで来ている迦具夜の存在に気付いてはいなかった。それどころか追われているということすら頭には無かった。それゆえ、突然目の前に振って来た人影に驚くことになる。
「大丈夫なことはないんだよねー」
屋根から正面に飛び降りた迦具夜に驚き、犯人は手に持っていた財布を落とす。あの色は間違いなく鈴蘭のものだ。それと同時に叫び声が上がりかけたが、迦具夜はそれよりも早くに相手の背後に回って口を塞ぐ。お蔭で今は手の中で暴れている。
「はいはい、叫ぶと迷惑だから静かにね」
本当に周りの迷惑になると思ったから塞いだのだけど、今に考えるとこれ……やっていること的には私の方が怪しいよね。放そう、そうしよう。
迦具夜が手を放すと、犯人は慌てて離れてこちらに相対する。顔は笠で隠してあってよく見えないが、顔を見なくてもその全身から敵意を向けているのが伝わる。そっちから仕掛けてきたのに逆に敵意を向けられてもねぇ……。
敵意を感じながらもそれを無視して、改めて相手を見る。身長は私や鈴蘭さんよりもかなり低い。もしかしたら子どもかもしれない。服装は着ていると言うよりは適当に布を纏っていると言う感じ…に笠をかぶっている。もう少し着物をしっかりとしたら流浪の剣客にでも居そうなものなのに勿体ない。……自分で言っておいて何が勿体ないのだろう?
向こうがこちらに敵意を向けながら動かないので、とりあえず落とした鈴蘭の財布を拾い上げる。すると、相手はそれを奪おうと手を伸ばしてきたが、それくらいならどうという事は無い。その手を避けて踊るように相手と場所を入れ替える。
その後も何度も手を伸ばしてきては同じように回って避ける。傍から見たらじゃれているようにしか見えないだろう。
それから次第に奪おうとする動きは遅くなる。疲れたのだろう。迦具夜は軽い足取りではあったが、相手は無駄に大きく動き回っていたのだから当然だろう。
やがてその動きも完全に止まり、俯く顔からは何かが落ちる。
「なんで…」
「ん?」
「なんで……邪魔を…するの…」
聴こえたのは絞り出すような幼い声。これで子どもなのは確定だろう。その足元には雫が落ちて濡れている。
「なんでと言われてもね…。…逆に聞くけどなんでこんなことをしたの?」
そう問うと、子どもは俯いたまま言葉を絞り出す。
「……お金が必要だった。でないと自由になれない……」
「自由になることになんでお金が必要なの。自由ぐらいなら好きにすればいいじゃない」
「それは出来ないの……私が逃げたら…みんなが自由になれない……」
「それはどういうこと?」
気になる言葉が出てきたことで迦具夜の雰囲気が変わる。先程までのじゃれていた空気を潜めて、陰で生きる者としての一面に。
子どももその雰囲気の変化を直感的に感じ取ったのか、一瞬迷いながらも少しずつ語り始めた。
「みんなの分もお金を集めないと……私も…みんなも……どこかに売られて、一人になっちゃう……逃げたら一生追われる……」
「……人身売買か」
人身売買、人権などを無視し人を商品としてお金で売買すると言う外道。この大和国においては数年前に奴隷制と共に廃止されたとされている。だけどこの子どもはそれと思しき状況に置かれているようだ。
まさか人身売買とは……。嫌な話だ。表では廃止されていても、そういうことを考える輩が居る限りは無くなることは無いという事なのか。
「それ、どんな奴がやってるの? 見た目とか職業とか、居場所とか」
「分からない…」
「じゃあ、君に盗みを強要したのはそいつら? それとなんで君が選ばれたの?」
「…ん…盗みでもして金を集めることだなって……。私がしているのは…私が一番年上だったから……」
少しは口封じでもされていると思ったが、子どもは聞いたことの内、分かることには正直に答えた。
この子の言ったことを全て信用して考えると、捕まっている子は複数居て、それらを人質としてこの子に盗みを強要して金銭を集めている。犯人の素性は不明。性格も分からないが、商品と扱っているはずのこの子を本当に逃げるかもしれないのにわざわざ表に出しているというところは、奴らからすると一興とでも思っているのだろう。そう思うと反吐が出る。
本当なら居場所が分かれば良かったのだけど、随分と慎重派なのか、その手の情報を与えないように何かしらの細工をしているようだ。だけどそう考えるには疑問がある。慎重ならばもしもの為にこの子に監視を付けていても不思議ではないはずだが、そのような人物は気配を含めて見つからない。どういうつもりなのか?
この子の感じから悠長に考えている内容ではないのだが、なにせ情報が少ない。情報はまた調べておくという事で一先ずはこの子だ。
そう考えると、迦具夜は取り返した鈴蘭の財布ではなく、自分の所持金から銭を取り出して子どもの手に握らせる。すると、子どもは予想外とばかりに迦具夜の方を見る。
「ま、今日は見逃すけど、何かしらは無いと厳しいでしょ」
先程までの真面目な雰囲気とは違った、気を緩めた普段通りの迦具夜。
「…盗みを正当化したいわけじゃないけど、先人としてこれだけは言っておく。こういうことは自分の利益で動いちゃ駄目なの。誰かを助けるために、正義の為にしないとね」
きっと、その姿に昔の自分でも重なって見えたのだろう。自分が言えた立場ではないのは分かっているが、どうしても言わなければならない気がした。あの人に教えられ、今迄歩んできた中で見つけたことを。
「先人……?」
「ささっ、行った行った! 気が変わらない内に何処へでも行きな」
迦具夜がそう言うと、子どもは律儀に頭を下げた後に何処へなりと向かって走って行った。その後ろ姿を見届けた後、手元にある財布を見つめた。
さて、財布を取り戻すというこちらの目的は達したけど、厄介そうなものに出くわしたなぁ……人身売買とはね。知ってしまった以上、見逃すことはできない。思っていたよりも早くまた活動することになるとはね。
脚本のことなどとうに忘れて、迦具夜はこれからのことを計画し始める。
そんな時、背後から砂利を踏むような音が聞こえた。振り返るとそこには追いかけてきていたらしい鈴蘭がいたのだが、その表情はどこか変だ。走ったことで疲れたというよりは何かに驚いているような……
「鈴蘭さん、はい財布」
「さっき言っていた先人ってどういうことですか……」
財布を手渡そうとしていた迦具夜だったが、その言葉を聞いて動きを止めた。
聞かれた!? いや待て、慌てるのはまだ早い。もしかしたらそこだけ聞こえたのかもしれない。きっとそうに違いない。
「……何処から聞いてたの?」
「……『なんでと言われてもね』」
結構前だ!? というかそれだと殆ど聞いてたよね!? どう誤魔化そうか? 向こうがどう解釈しているかによって取れる手は変わってくる。ここは一度濁して……いや、あの顔は誤魔化せなさそうだね。もう観念して言うしかないかな。どうせいつかは気付くことだろうし。
「えっと、まぁ……その前にまず聞くけど鈴蘭さんは何だと思うの?」
「…先程の話や言い方から考えると、迦具夜さんも昔は盗みをしていたのですか?」
ほらやっぱり。もう殆ど正解みたいなものだよ。これはもう隠す必要もない。
「当たり。けど少し違うかな。その言い方だと昔だけやってたみたいになるけど、正確には今も続いてる。って言っても、ずっとしてたわけじゃなくて少し前に復帰した形だけど」
そう言うとさらに驚くのかと思っていたのだけど、それを聞いて鈴蘭は意外にも落ち着いていた。真面目に生きてる鈴蘭のことだから、良くて注意、最悪自警団にでも言うのかと思っていたのだけどそのどちらでも無かった。
それどころか、何かに関してようやく理解したみたいな顔をしている。
「もしかして……、このあいだの鍛冶屋さんの件は迦具夜さんがしたんですか」
持ち出された話は先日のならず者の騒動だった。まさか持ちだしてくるとは思わなかったな。確かにあれは迦具夜がしたことだ。それも鈴蘭の望んだ形にする為に勝手に動いたこと。その望んだ形を知っているのはその時に話していた当人と迦具夜の二人ぐらいだが、まさかそれだけで疑うに至ったのだろうか?
「どうしてそう思うの?」
気になったぐらいの純粋な気持ちで迦具夜は鈴蘭にそこに至った経緯を訊いた。すると、その答えは予想外なものだった。
「前にその話をした時、迦具夜さん変でしたから」
「変ってどんな?」
「妙にあっさりとしていたり、急に話題を変えたりと」
言われてみればたしかにそんな感じだったかな。だけど、装っていたのも確かにあったけど、後半は本当に素で別のものが気になったとかだったんだけど……。
とはいえ、変にあっさりするのも駄目なのね。これから気を付けよう。
「よく見てるね。で、それを知って鈴蘭さんはどうするの?」
「え?」
「理由はどうあれ窃盗は悪なんだよ? あの自警団にでも気付かれれば面倒事になるのは目に見えてるし」
「迦具夜さんはそれを分かった上でしていたのですか?」
迦具夜は素直に肯定した。盗みをしている理由はこれが一番手っ取り早かったというのもあるが、自分にはやはりこれしかなかったというのが大きい。それで何とかなったという事もこれまでで沢山あった。
だけど、いくら正義の下に行動しようと人から奪うという行為自体は悪である。それは既に覚悟の上だ。
「これまでも、これからも、私は賊で在り続けると思う。……止めるなら今の内だよ?」
「いえ……止めません」
真面目な雰囲気から少々茶目っ気を覗かせて言った言葉に、鈴蘭は真面目に返答した。その言動には諦めたというより、受け入れたという意思が感じられた。
「確かに盗みはいけません。ですけど……迦具夜さんは誰彼構わず奪う、そういう人ではないですから」
澄んだ瞳で迦具夜を見つめた後に微笑みながらそう言った。まだそれほど共に過ごした時間が長くはないのによく言えるものだ。
目を瞑れば同罪になるかもしれないということを理解していない訳ではない。
「ふぅ……随分なお人好しですね」
「前にも何度か言われました」
でもまぁ、そんなのだからどんなことでも受け入れられるのだろうけど。
ということで、その後迦具夜はまだ手に持っていた財布を鈴蘭に返して、二人で並んで帰路につくことにした。……未だにあることは忘れている。
「先程の件ですけど、もしかして手を出そうとしてませんか?」
「あ、やっぱり分かる? って言っても動こうにもまだ情報が足りないんだよね。場所だけでも分かってれば動きやすかったんだけど」
分かっていることと言えば、子どもで人身売買を行う連中がいるということ。それから確定ではないが、あの子が華乱で動いていたところからするとこの町の何処かにはいる可能性がある。
この町に居るのならぶらぶら歩いていれば出くわせそうではあるけど、それだといつになるか分からないし第一、証拠がないから犯人が居ても判別できない。となると結局はまだ動けないということに。
「となると、演劇の方はどうするのですか? 脚本もまったく進んでいませんし…」
そう言われて歩みを止める迦具夜。そうだそれだ! さっきのことがあって、言われるまで忘れていた。
「……どうしようか…?」
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