陸の舞 火花一門

〈火花一門〉。

それは花火が設立し、門を潜った者と共に寝食を共にしながら育成する芸人一家の名前らしい。


 迦具夜と別れてまたしばらく放浪を続けた後に『華乱』に戻ってきた花火は前々から購入し改築を頼んでいた物件を拠点としてこの一門を開いた。始めは他の者からその目的の不明な店舗に懐疑的な目を向けられていたが、花火はそれを気にすることなく店先で思うままに舞った。すると、その洗練された動きと表現力で見た者を魅了したという。

 それからである。花火は竜胆という芸名を名乗るようになり、火花一門は芸事を極める一門の一つと知られるようになった。花火の舞に影響を受けた者が幾度と門を叩くようになったのだが、花火はそれを受け入れなかった。


『憧れはいい。だが、自分の中の願いとは別にその憧れをそのまま目標とする者はそれを越えたときにそれ以上の成長や変化はない。…君たちの本当の熱意の芽吹く場所はここではないだろう?』


 独自の考えを持つ花火は自身を目標と言う者たちに他所への道標を示しながら遠回しに断り続けた。その後も一年程は弟子を取るようなことはせず自由気ままに過ごしていたらしい。世間では芸事を極める一門と認知されているが花火本人としては明確な方向性を誰にも言ってはいない。花火の気紛れで存在しているだけだ。

 そんなある日、花火は他者を受け入れた。その者は自分から門を叩いたという訳ではなく、花火が見つけてその才に興味を持っては誘い拾ったのだ。


 それからは同じように花火自身が誘うという手段で現在のように薊、紫苑、鈴蘭の三名を門下としたという。それが世間に知られてから、この一門は希望者が門を叩くのではなく、内から認めた者に対してのみ門を開くという他とは違った変則的な手段をとる特殊な一門と認識を改められた。

 一門に加わった薊、紫苑、鈴蘭の三名は普段は平穏に暮らしているが、それぞれが才能を認められてこの場に居るため、裏ではきちんとその技術を基本として一から磨いている。


「懐かしいものだ…」


 紫苑の持ってきた湯呑でお茶を啜りながら、迦具夜の来訪を機に昔を懐かしんでいた花火。思えば昔の花火はこのような日常を送るとは思っていなかった。花火は元々自分の場所を手に入れて、各地の人々から学んだ在り方や術を基に自身だけが出来ることをするつもりだった。それが自分の気紛れとはいえ、気付けばこのような組織になっている。でも後悔もない。これでもまだ自分の好きなように生きることはできる。それに、これはこれで楽しめそうだ。


 花火はそう思いながら湯呑を傾けるが、何も流れてはこない。既に飲み干していた湯呑を傍に置いて空を眺める。しばらくすると紫苑がやってきて空の湯呑を運んでいく。


「では、私も用がありますので失礼します」


「ああ」


 去り際に紫苑はそう告げる。紫苑に限らず他の者たちもそれぞれ自分の出来ることをしている。ここでは毎時間練習漬けという訳ではなく比較的放任であるため、花火の指示や仕事以外では皆自分で決めて行動をしている。

 先程出かけていった紫苑もそれであり、花火が把握している範囲では今日は確か近所の子どもの相手をしているはずだ。


「さて、あの子たちは何をしているかねぇ」


 予定が無い花火は何を始めるわけでもなく今一度空を見上げてそう呟いた。呟いた言葉は誰に届くわけでもなく風の音に消えた。









 紹介を交えた朝食の後、迦具夜は鈴蘭に連れられて町へと出かけていた。鈴蘭に改めて町を案内すると言われ、これからこの町に住む上で色々と知っておいた方が良いと思ってその提案に乗ったのだ。

 この町は広い。一度自由に歩き回っているといってもまだまだ行っていない場所も多い。この機会に全体を回ってみたいものである。


「あ、あそこも甘味処なんだ?」


「はい、確か氷菓子を出していたと思います」


 周囲を見ながら歩いていた迦具夜の目に入ったのは、小橋の手前の坂の下にある商店。軒先には甘味と書かれた小さな旗が垂れていたので、甘味処かその手のものだとすぐに分かった。


「氷菓子ってかき氷とか? あれもあれでいいよね。一気に食べると痛みみたいなのが来るけど」


「迦具夜さん、甘味が好きなんですか?」


「うん、よく食べ歩くくらいには好きだよ」


 そう答えると鈴蘭の視線は迦具夜の身体へと下がった。その眼からは疑問の色が見て取れた。女子ならば何となく言おうとしていることは分かるだろう。


「その割には痩せてますよね…何かしていたんですか?」


「まあ…していたと言えばしていたような…よく動くことを…」


 流石に盗みの事は言えないので迦具夜は一瞬返答に困り、そのことを隠しながら誤魔化すように答えた。あやふやな返答をしたにも関わらず、鈴蘭はそのことよりも迦具夜の腰に手を回すことに意識が向いていた。

 そして触っていたからなのか、話題は急に迦具夜の服装のことになった。


「初めて見たときから気になっていたのですが、迦具夜さんのその着物変わった意匠をしていますね。運動性を重視して動きの邪魔をしないようにしつつも、配色や工夫もしっかりなされています…」


「あ、これは前に知人に手伝ってもらいながら自分で作ったの。自分で言うのもなんだけど、有り合わせの布でした割にはいい線いってると思う」


 服装を観察している鈴蘭に自作であることを言う迦具夜。今着ている着物を含め迦具夜は自作を三着持っている。その内の二着は先に言った通り知人の協力の下製作したものだが、残りの一着は盗みの時に着る偽装用にと隠れて作っておいたものである。

 聞けば、鈴蘭に限らず火花一門にある着物のいくつかは一門で作ったものであり、市にも何着か流しているという。言われてみれば鈴蘭たちが着ているものと似たような意匠のものを何処かで見かけた気がしなくもない。制作は主に紫苑と鈴蘭が行っているようで、一年程前から花火の着ているものは自作のものにしているらしい。花火さんのあの豊かさを思えばそっちの方が何かといいかもね。


「今度、迦具夜さんも一緒に作りませんか?」


「と言っても私もう感覚忘れたと思うよ。これ作ったのも結構前だから」


「多分大丈夫ですよ」


その自信は何処から来るのだろうか…。


 そんなこんなで結局、いずれ一緒に着物を製作する約束が結ばれた後、二人は小さな橋を渡った。すると、橋の向こうでは何やらざわざわと騒がしい。


「号外!号外だよ!」


 騒ぎの中心からは素性を隠すように布で覆っている男性が数枚の紙を空へと投げながらそんなことを叫んでいた。舞い落ちる紙を拾った町人たちがそこに書かれている内容を見て、周りに騒がしさが広まっていく。


「町の近くに居たならず者たちに対して自警団が動いたぞ! しかもそこにはあの賊も出たらしいよ!」

「それならもう知って……って、あの賊?」

「まさか、この町にも奴が来るのか!?」


 町人たちが謎の盛り上がりを見せている。迦具夜たちは進路であるため迂回はせずにそのままその騒ぎの中へ向かって行く。


「…何の騒ぎ?」


「はて?何でしょう…ん?」


 鈴蘭が気になって落ちている紙を一枚拾い上げそこに書かれている内容を見た。そこには昨日のことが記されていた。どうやらこれは瓦版らしい。

 瓦版とは、国や町が認めている職人が衆人に時事を伝える為に発行している記事板とは違い、そちらが諸事情で伏せている非公式な情報すらも加えて公表する記事板の亜種のことである。それを配っているということはあの素性を隠している男性はその手の類のようだ。


 鈴蘭が手に持っている瓦版を横から覗き込む。そこには昨夜、迦具夜が引き起こしたと言える騒動のことが書かれていた。この内容の結末は此処に来るまでに見かけた掲示板でも掲載されていたことだ。重要なのはそこじゃない。この記事には何処から情報を得たのかは分からないが盗賊の、迦具夜の出現報告が載っていたのだ。


 嘘、何処からそんな情報が…。

 盗み対象に姿を晒すのは仕方がないとして、それ以外には極力姿を見られないように動いているのに。その対象が言ったというのも考えられるけど、あのような大将が証拠も無しにそのような証言をするとも思えない。…そういえば、あの場には自警団も居たけどまさかその中の誰かに見られた? 見届けたのがまずかったかな?


「盗賊が出たらしいですよ迦具夜さん」


「そうらしいね。それよりこのならず者ってあのならず者だよね」


 当事者なので全てを知っているがそれを気付かれないように知らない体を装う。先程見かけた掲示板を案内はしたがその内容までは確認していなかった鈴蘭は迦具夜の台詞によってようやく気付いたようで驚いていた。


「え、では刀は?! 鍛冶屋さんは大丈夫なのでしょうか!?」


「それは私に言われても…。ならこれから行ってみます?」


 迦具夜としても何もないとは思うが念のために確認しておきたい。鈴蘭もその提案に乗り、二人は鍛冶屋のある方向へと歩き出そうとした。するとその方向から大きな声が聞こえた。


「またお前か!」


「やべっ…」


 大きな声が聞こえた途端、瓦版を配っていた男は血相を変えて一目散に走り去っていった。その後を追うように自警団と思われる男が現れた。

 ところで、なぜあの男が逃げていったのかと言うと、彼らが御上の許可なく無断で非公式な情報すらも公表するというところにある。情報というものは人間社会でかなりの力を発揮する。真実を追い求める姿勢は良いが、彼らはその情報によって引き起こされるであろう混乱の可能性なども気にせずに広めるため、治安維持の団体などから追われる身となっている。素性を隠しているのもそれが理由である。その辺は少し迦具夜に似ているとも言えなくもない。流石に好感は持てないが。

 彼らの欲の為なら何処へでも行く野次馬精神には呆れることを通り越して感心すらしてしまいそうになるが、その野次馬精神が後に厄介になるのではと迦具夜は薄々感じていた。


「あー、悪いんすけど散ってくれますか?」


 自警団の一人が男を追って行った後、追う気が無いようにゆっくりと来たもう一人が瓦版で集まっていた人たちを他所へと散らしていく。そうしながらも地面にまだ残っている瓦版を集めることも忘れてはいない。気のせいか、昨日見た人に似ているような?


 そんな光景を横目に迦具夜たちは鍛冶屋の方へと向かって行った。後ろではそんな二人に気付いた自警団だったが、それほど気にも留めずに再び拾い始めていた。


 二人が鍛冶屋に到着すると、店内は静かでこれといって変わったようなことは見当たらず、その奥では鍛冶屋の主人が刀の手入れをしていた。主人は来客の気配に気付くと手入れをしていた刀を鞘に収めてこちらに向き直った。


「ああ、いらっしゃい。ってお嬢ちゃんたちか」


「おじさん、何か変わったことはありませんですか? 自警団が来たとか…」


「自警団? そんなのが来るようなことはないよ。…んー?変わったことといえば、今朝起きたらここに刀が置かれていたな。それも奴らが持っていったはずの四振りがな」


 そう言って主人は自分の近くを指差した。確かにそこは迦具夜が置いた場所だった。

 鈴蘭はそれを聞いて始めは訳が分からずに多少は混乱したものの、望んでいた結末になったことに安堵したような表情になった。


「何処の誰かは知らんがご苦労なこった。だがまあ……感謝はしている」


 鈴蘭たちに見られないようにそっぽを向いていたが、主人のその表情はどこか笑っているように思えた。

 主人はそれから黙って戻ってきた四振りの刀を見つめた後、何かを決めたように近くにあった槌でその刀を叩き始めた。鈴蘭は突然のことに驚きの声を上げているが、主人は気にせず刀を叩き続ける。


「そんなことをしたら割れてしまいますよ!?」


「それでいいんだよ。元はといえば儂がこんながらくたを後回しにしてそこらに放っていたのが悪いんだ。だからこれらは今砕いて次に造る刀の礎にするんだ」


 主人は話しながらもその手を動かし続け、ぼろぼろになったそれらの刀を叩き割った。すると主人の意欲に火が付いたのかそれだけでは終わらず、他にも放っていた失敗作の刀を取り出しては叩き割る。折れた刀の破片を慣れた手つきで木箱の中に入れていく。作り方は噂で聞いたほどしか知らないが、あれを全部溶かして一つの刀に仕上げるつもりらしい。


 その眼は真剣そのもので普段とは別人のような雰囲気を放っていた為、声をかけることを躊躇われた。なので二人は聞こえているかは分からないが帰ることを伝えて、鍛冶屋を出ることにした。


「あんな火の付いたようなおじさん、初めて見たかもしれません」


「あれなら凄いものを作りそうだね」


「そうですね。でも、誰が取り返してくれたんでしょう?」


「あ、あそこにも茶屋がありますよ。ちょっと寄って行きません?」


 鈴蘭の疑問には答えは出ず、そんなことよりも視界に入った茶屋が気になった迦具夜は鈴蘭を連れて走り出した。


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