肆の舞 その女、煌々華の主

 迦具夜は「煌々華」に戻っていた。というより「煌々華」の中の一室に連れて来られていた。夜の町であった妖艶な女性はここは冷えると言って迦具夜を連れて「煌々華」まで来ると我が物顔でずかずかと奥へと入って行き、一番装飾の豪華な部屋へと通された。まぁ、我が物顔も何も自宅らしいのだから当然ではあるが。


 部屋の中は一般の和室に比べると広く、置かれている物が非常に少ないこともあってよりそれが感じられた。女性の後ろには水墨画の掛け軸が掛かっている。

 そして現在、その部屋で迦具夜は正座で、かなり崩れた座り方をしている妖艶な女性と対面していた。


「……」


「……ふぅん」


 迦具夜が何から切り出したらよいかと黙っていると、相手も特に言うこともなく迦具夜を観察していた。そんな静寂に外から入る虫の音が響き渡る。それに釣られるように女性は格子戸の向こうに見える月に視線を移した。


「前に会った時もこんな月の日やったなぁ」


「…そうですね。もうあれから五年は経ちますね」


 迦具夜も月に目を向ける。すると、視界の端では女性が何処からか酒瓶を取り出し、杯に中身を注ぐと口に軽く運ぶ。

 迦具夜はそれを見て昔のことを思い出す。


「お酒は止めたんじゃなかったんですか?」


「誰も永久に止めたなどとは言ってないわ。あの頃はお前が興味本位で盗ろうとしていたから止めていただけ」


 そう言いながらも飲み続ける女性。これは言っても止まらないと諦めた迦具夜はそのまま飲ませることにした。そうして一瓶が空になった頃、女性は思い出したようにあることを言い出した。


「そういえば最近噂を耳にした。…各地で悪人に対して盗みを働く賊がいるってね」


「へ、へぇ……」


 女性は明らかに迦具夜のことを言っており、その眼は確信があるかのように、それでいて何処か悪童のように怪しげな光を宿してこちらを見据えている。その問いは当たっているために迦具夜は棒読みな返事でしか答えることはできなかった。それこそが肯定だと女性は受け取って静かに呆れた。


「はぁ…。まだ盗みは止めてはいなかったのね」


「で、でも人を選んでしてますよ? 貴女に教えられたように自分の思う正義の為に」


「……」


 義賊として動いていた迦具夜は己の信じる正義に従い、悪にのみ盗みを繰り返してきた。そうするようになったのは目の前に女性が由来だった。


 昔、迦具夜はこの女性と一年程暮らしていた。女性の名は花火。二人が出会ったのは六年前。その時の迦具夜は親に捨てられ小さな村で暮らしていた。幼い頃の迦具夜は自身が捨てられたということを知らず、それでいて明るく、何にでも興味を持つ子だった。でも、この世の中は子どもが一人で生きていくには難しく、迦具夜は持ち前の器用さとすばしっこさを活かして盗みをして生活をしていた。

 そんなある日、迦具夜はいつもと同じように興味で盗む物を選んですれ違い様に標的から盗もうとした。そしてそれは失敗し、返り討ちにしたのが花火だった。


『どういう訳があるから知らへんけど、それは自分で選んだことなのかい?』


 当時の花火は今のように何処かに居を構えることはせず、自由気ままに各地を渡っていた。以前何故そのような事をしているのかと訊いてみたが、答えは得られずはぐらかされてばかりだった。

 迦具夜を捕まえた花火はそのまま人前に付き出したりはせず、ほんの気まぐれで迦具夜を拾った。その時に親というよりは年の離れた姉妹だなと花火が言っていたことを今でも覚えている。それからは共に各地を行き、色んな景色を見せては常識や知識の無かった迦具夜に様々なことを教えた。


 人の世の見せてその広さを教え、そこに住まう様々な人々を見せて十人十色の価値観や在り方を教え、ものの善悪を教えて己のしてきた行いを見直させ、そして…己の正義の考えさせてこれから進む未来のことを。


 そして一年に渡る教育の旅は突然終わりを告げ、迦具夜はその時に立ち寄った小さな町で暮らし始め、花火は今現在の町で拠点を建てて迦具夜が訪れたときの為に目印をつけておくことを言い残し、また次の場所へと行ってしまった。

 別れてから五年が経ち、この町にやって来た迦具夜はその目印のお蔭で一度はこの場所に辿り着くことが出来たと。肝心の花火は不在だったけど。


「今の私があるのは花火さんのお蔭です。そのことには感謝しています」


そう言うと、昔を思い出していたであろう花火は照れなのか酔いによるものなのか、顔が少し赤く見えた。


「…それで? 今も盗みを続けているのはどういうことだい?」


「それも色々とありまして…ね?」


 花火から学び、盗みから足を洗った迦具夜が盗みをまたするようになったのは、花火と別れた三年後のこと。迦具夜は花火から学んだことを活かし真っ当な道を歩んでいた。そんなある日、世話になっていた人が悪徳な地主に自身の罪を擦り付けられた上で巨額の金を要求されることがあった。調べるとその地主は同じ手口で様々な人から大金を毟り取っていた。迦具夜は助けようとは思ったが手元に大金はなく、証拠を見つけようにも隠されていた為に容易ではなかった。

 そこで迦具夜は夜に地主の家に忍び込むことにした。警備は思いの外薄くて盗みは成功した。皆が取られた金と帳簿などの証拠となりそうな物を手当たり次第に盗み、各家に帰しては回り、証拠は民衆に知らしめる為に掲示した。するとその地主の行為は明るみに出てお縄となった。本来はそのとき限りのつもりだったが、それからは自然と幾度と行うこととなった。


「それで今では巷で義賊と呼ばれているわけか…」


「気が付いたらそうなってました」


「はぁ…まあよい。行いはどうであれ、今度は自身で理解した上で行っているのなら、あれそれとは言う気はないわ」


 上部だけを見れば結局は昔に戻っているので何かしら言われると思っていたが、花火は特に言及するつもりもなく、二本目となる酒瓶を開けて杯に注いでいた。


「さっきの様子だと今宵もしたのね?」


「え、あ、はい。昼間にここで会った子と少々仲良くなって、その子と行ったところの店主が困っていたらしいのでつい…」


 迦具夜はその後に補足としてならず者のことなどを話す。花火は始めは静かに聞きながら酒を飲んでいたが、酔いが回ってきた影響なのか、途中からは談笑へと変わっていた。どうでもよいが、花火は酔うと少しだらしなくなるらしい。着崩していた着物がさらにはだけてきていて、結果として色気が増している。流石に危ないかと思って迦具夜ははだけた着物を直接直そうかとしたが、伸ばした手を花火に弾かれてしまった。これは骨が折れそうだ。


 そんな中、遠くから誰かの足音が聞こえてくる。それはこちらに近付いてきていて音が止むと迦具夜の背後の障子に薄らと灯りに照らされた人影が映った。


「太夫、戻ってらっしゃったのですか?」


 障子の向こうから聞こえた声は最近何処かで聞いたような声であり、迦具夜の脳裏に誰かが過る。確か、昼間に出会った薊って人だった気がする。


「ええ。…先程戻ったばかりよ。ぅぇ…」


 太夫って花火のことだったらしく、酒を飲みながらも返事をしている。そんなことより言葉の最後にも酔いの影響が出てきているのですが…。

 気になって確認したことで分かったのだが、花火が飲んでいる酒は迦具夜も聞いたことがあるぐらいに強いことで有名な酒だった。それはこうなりますね。いや、この場合は逆に考えてこの程度で済んでいると思えばいいのだろうか。


「太夫、店の件でご報告があるのですがよろしいですか?」


「ええ。良いわよ」


 花火の許可が出たことで後ろの障子が開き、その向こうからはやっぱり薊の姿が現れた。薊は昼間に見たときと同じように黒い着物をしっかりと着込んでいた。当の薊は迦具夜の姿を見つけると、そこまで晴れてはいなかったが表情が曇り、不審がっているような視線を向けてきた。その視線に意味に気付いたのか花火は言った。


「それについては気にしなくとも良い。私の妹みたいなものだ」


 お前たちと似た類のな、と最後に付け足す。そう言われると渋々といった体で薊は迦具夜に向けていた視線を止めた。

 その前に花火は迦具夜のことを妹と言ったがそれは理解できる。迦具夜も同じような感覚で接しているから。その後に言った似た類といったのはどういうことなのだろうか。…そういえば鈴蘭が、ここに暮らしている者たちは家族のようなものだと言っていたことを思い出したが、似た類というのはそういうことなのだろうか。それなら確かに似た類かもしれない。


「それで、そちらは調子はどうなってる?」


花火が問うと、薊は未だに迦具夜の存在を気にしながらも答えた。


「再開の目途はまだつきそうにございません。仕入れ先で問題があったらしく、それが治まるまではこちらに物資を送ることは出来ないということです」


「その問題というのは?」


「聞いた話によると生産の段階で手違いがあったり、生産した物が紛失する騒ぎがあったらしいです」


「そう…」


 薊の報告を受けて花火は先程までの酔いは何処へやら、冷静な雰囲気で何かを考え出した。

 急に二人が真面目な話を始めたものだから迦具夜は反射的に聞いてはいけないと思って部屋の隅に移動した。そして話が終わるまで外の景色でも眺めていることにした。


「ちなみにその中には酒類も入っていますので、太夫も当分は我慢していただくこととなります」


「……」


 背後の会話から花火の声が消えた。多分酒が飲めないことに対する沈黙なのだろう。貴女知らない間にそこまで酒に浸かってたんですか…。


「あの、そろそろ聞いていいですか?」


話を変えよう。聞かないようにしていてもつい気になってしまうものでして。花火を少しでも酒から意識を遠ざけるために気になっていたことを聞いてみる。


「このお店、休業してたんですか? 休みを取ってたのではなくて」


「ええ。この営業の性質上、仕入れ経路が止まってしまうとどうにも運営を続けるのは難しくてね。まぁ昔みたいに内容を限定すれば営業は可能といえば可能ではあるが」


 その後に花火は昔に営業していたことを言った。今のように酒や食事は無かったが、完成度の高い芸事一本で勝負していたらしい。ちなみにその時はまだ花火が一人で行っていたという。

 昔、知識以外にも色々教えてもらっていたから迦具夜は知っているが、この人も凡人以上に能力が高くて才に恵まれてた人だったからなぁ。


「まあよい。このことは後日対策を立てるとしよう。もう下がってよいぞ薊」


「はい」


 少し語りすぎたなと言って話を切り上げにかかる花火。薊もそれを受けて素直に部屋を後にする。そして花火は迦具夜の方を見た。


「聞き忘れていたけど迦具夜、こちらに来たのは何の用件かしら? ただ会いに来た、ってわけではないのでしょう?」


「え、いえ何も」


「……」


 半開きの目で睨まれた。あの眼は絶対に何を考えているの?的なことを語っている。本音を言うと、ふと二人で過ごしていた頃を思い出したというのが大きい。後は盗みの技が何処かで役に立つ気がしたから。


「ところで、何も考えずにこの町に来て住む当てはあるの?」


「いやぁ…そこは花火さんに頼ろうかと昼間にここに来たわけでして…」


「…まぁいい。いつかは来るかもしれないと思っていたからな。空きの部屋ぐらい用意できるわ」


 よかった。これで住むところには困らないで済む。花火さんにあてにしてみてよかった。


 花火は迦具夜を空いている部屋に連れて行くため部屋を出る。花火の部屋は他の者よりも奥にあり、その部屋も勿論離れている。階段を降りては昇って辿り着いた階で先程の薊たちが居るらしい部屋を素通りして辿り着いた部屋。案内を終えると花火は戻って行った。部屋の中は好きにしていいらしく、これからのことはまた明日になってからにするようだ。


迦具夜は自分に割り当てられた部屋の障子を開く。


 その部屋は使われていないのが一目で分かる通り、箱や布が部屋中に置かれていた。と言っても散乱しているわけではなく、きちんと足の踏み入る空間は確保されている。それに加えて畳に埃が見当たらない所を見ると、ここまで掃除が行き届いているのが分かる。


「とりあえずもう寝ようかな。好きにしていいらしいからこの辺りのものを借りて…」


 整理はまた後にすることにして、迦具夜は畳の上に寝転がり、都合の良い事に横に置かれていた布の下に埋まっていた布団を引き抜いて被った。


外から漏れる月の光を見ながら迦具夜は眠りについた。

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