第137話

 試合終了後、蛇人は戦いの後は必ず身を清めることが習わしとされているそうで、私とノティヴァンも武闘会進行係の蛇女に闘技場に併設されている浴場へと案内された。

 広い浴室には温かい湯を張った一般的なもの、砂風呂、冷水に満たされた水風呂の3種類の風呂が設置されている。


「火照った身体には水風呂も悪くないけど、やっぱり風呂と言ったら温かいものだよな」


 そう言うとノティヴァンは手桶で湯を掬い、身体の汚れを洗い流すと誰もいない浴槽を独り占めした。


 いつもは寝癖で跳ねているノティヴァンの髪も濡れて真っ直ぐに垂れ、目にかかった前髪を掻き上げる仕草は様になっている。


「アステルも入らないか?」


 誘われるも自身が浴槽に浸かっている絵面の異様さに思わず足が止まる。


『私が入ると油が浮いてしまいますから……』


 私が錆止め油を言い訳に断るも


「なら、俺が洗うから」


 言うが早いかノティヴァンは湯船から出るとあっという間に私の全身を泡まみれにし、錆止めを落とすとさーと頭から湯をかけた。


「これで問題ないだろ」


 綺麗に磨き油を落とされ、満足気に微笑まれては断れない。ノティヴァンに手を引かれ、浴槽に入ると隣に座るよう促された。座ると鎧の隙間から温かい湯が空の身体に流れ込み、洗い流すだけでは味わうことのない心地よさに身も心も溶けそうになる。

『「ふあぁ」』とどちらともなくため息が漏れ、思わず顔を見合わせ笑みが浮かぶ。


「こうやって、友達と一緒に風呂に入るのが夢だったんだよな」


 勇者と呼ばれ、特殊な扱いを受けていても勇者だって人の子。同性の友人と共に時間を過ごしたいと思うことだってある。今まで思っていてもそういう機会がノティヴァンには訪れなかった事に寂しさと同情の念が湧いた。


『私で良ければお付き合いしますよ』


「じゃあ、この旅が終わったら秘湯めぐりにでも行こう」


『それも良いですね』


「約束だからな」


 無邪気に笑うノティヴァンに嬉しさと心に残る少しだけの申し訳無さ。私はこの約束を守れるのだろうか、旅が終わっても私は彼と友人でいられるのか?そんな不安がよぎった。



 そうこうしているうちに浴場が騒がしくなってくる。私達に倒された蛇人たちが起きて浴場に案内されて来ているようだ。


 私の方に蛇人達の驚いたような視線が向けられるがそれも一瞬のこと。奇異なものに構ってる余裕はないと彼らは各自湯浴みで身綺麗にし、最後に香りの良い香油を頭髪に塗りつけ髪を整えると我先にと闘技場を後にしていった。


 彼らは敗者ではあるものの、武闘会に出場したもの達。勝敗に関わらず武闘会に出場したことで彼らには嫁を娶る資格が与えられている。ただ、勝者でない彼らは王宮に住まう最上位の女王や使える上位の女官や侍女達に求婚することは出来ない。

 しかし、城下町に住まう中位の職人や下位の住人には求婚することが出来るため、彼らはいそいそと闘技場を後に街にくり出すのだった。



 入浴を終え、ラミナ達と合流する頃には空は藍色に染まり、煌々と月明かりが出会いを求める若い男女たちの縁が結ばれるようにと祈っているかのように優しく街を照らす。そんな彼らを見かけるたびに微笑ましく見送りながら私達は王宮へ帰路についた。



 翌日行われた青年の部、その翌々日に行われた壮年の部の優勝者は過去、決勝でアートルム王に挑み敗退したものだったが、その力量は現在の私とノティヴァンと大差はないように見える。

 簡単には勝たせてくれない強者だ。おまけに最終日に行われた中年の部の優勝者に至っては先代の蛇王だったりする。王と対決するまでにも険しい道程だが、弱音を吐いてはいられない。

 すべての予選が終わり、決勝が行われるのは数日間休憩を入れた翌週。

 そして、翌週となり、決勝トーナメントの対戦表が発表された。


 一回戦

 第一試合

 アステル(少年)vs先王パテル(中年)

 第二試合                   

 ミーレス(青年)vsスマラグド(壮年)

 第三試合                       

 スキエンティア(中年)vsルーベル(青年)

 第四試合                   

 ノティヴァン(少年)vsウィオラケウス(壮年)

 二回戦

 第一試合

 第一試合勝者vs第二試合勝者

 第二試合

 第三試合勝者vs第四試合勝者

 三回戦

 第五試合勝者vs第六試合勝者

 順当に勝ち進めば私とノティヴァンが当たるのは最終試合。運営の操作が感じられるトーナメント順だが、逆に言えばそれだけ私とノティヴァンが期待されているとも取れる。


「アステルとの対決は最終試合か……俺も勝ち残らないとな」


 闘技場上空に魔術で映し出された対戦表を見つめながら隣に立つノティヴァンがどこか楽しげに呟いた。


『最終試合で会いましょう』


 ノティヴァンに拳を向けると応える様に彼も拳を作り軽く拳を打ち付ける。コンと軽い音がなり、それを出発の合図に私は客席に残るラミナ達に手を振り舞台へと向かった。




「第1試合!異国からの挑戦者アステル、対するは先王パテル様だ。この勝負勝利はどちらに?第1試合開始」


 既に興奮し、熱のこもった声で審判兼司会進行役の蛇女の騎士が試合開始を告げた。


 アートルム様も立派な体躯の方だったが、今私の前に立つ御年600歳の先王パテル様も高齢にも関わらず、現王に劣らぬ立派な体躯の持ち主で私と一回りほどの差がある。

これだけでも分かるのは完全に重量負けしている事。真っ向から攻撃を受けたら最悪、一撃で場外退場にされてしまう。攻撃は出来るだけ受けずに躱すか流す方向でいかないと。

 刃先の潰された試合用の剣を構え、方針を考えている私に対してパテル様は両腕を組み楽しげに私を見下ろしていた。


「アートルムから面白いものが見れると久方ぶりに嫁取りに来てみたが確かにこれは面白そうじゃ。ラミューナの婿殿、儂を落胆させてくれるなよ」


 穏やかな水面のような光をたたえていたパテル様の橙色の瞳が沸き立つ湯のような闘気を放つと同時に巌のような拳が迫ってくる。半身引いて完全に拳は私の脇を通過していったが拳から生み出された衝撃波に上体を揺らされる。


「この一撃ぐらい躱してくれなくては話が始まらないからのう」


 攻撃を躱されてもパテル様の余裕は全く消えず、その口からは楽しげな声が溢れた。

 2撃、3撃と連続で迫る拳を避けていると足元を狙った尾の横薙ぎが迫るも飛び退き躱す。拳と尾の怒涛の連撃を体捌きだけで躱していく。受ければ体勢を崩されるだけでなく、刀身をへし折られかねない。合間に反撃を行うも刃が潰れた剣で切りつけたところでは効果はイマイチと言ったところ。

 互いにまだ余力はあるものの決定打に欠けているというのが現状だった。

 剣に魔力を通せば威力は上がるもののこの剣では一度で刀身が砕けてしまうだろう。やるならばこの一撃で決める時。


「出し惜しみしていてはいつまでたっても終わらんな。儂のとっておきを披露するとしようか」


 そう言うとパテル様は全身の魔力を高め、両肩に集中させる。集まった魔力は腕の形を描くと最初は半透明だった腕は次第に質量のある実体へと変化していった。肩から生えたかのような魔力で作られた腕が動きを確かめるように手を握っては開いてを繰り返す姿は普通に生えている腕と何ら遜色もない。


「これぞ、幻4腕ファンタズマ・クアトル・ブラキウム。儂は2本までだったが、アートルムめは6本生やしおったぞ。奴に挑むつもりなら儂に倒されてくれるなよ若造」


 牙をむき出し笑うパテル様は4本の腕で拳を作り、茶褐色の鱗に覆われた丸太のような尾は柳の葉のように軽やかに揺れる。


 ぐっと下半身をかがめたパテル様。来る!そう感じた瞬間バネが弾ける様にパテル様の巨躯が宙を舞い私の頭上に迫って来ていた。

 上空から繰り出される乱打を咄嗟に双剣で受けしのぐも、空いてしまった脇腹を狙った尾の一撃は避けられない。バチーンと派手な音をたてて吹き飛ばされるも舞台の中央にいたおかげで場外退場には至らなかった。

 脇腹に魔力を送って硬化させるのが間に合ったおかげで身体は軽く凹む程度ですんだ。受け身もとれたものの衝撃で内蔵を掻き回されたような不快感に襲われすぐに立ち上がれない。

 そんな私に構わずドシンと重量感のある着地音を響かせたパテル様が正面から迫る。この体勢からは受けるのも避けるのも出来ない。ならば押し切るまで。

 込めれるだけの魔力を剣に込め、向かってきた拳に叩きつける。拳と剣が触れた瞬間、光が溢れほんの少し遅れて爆発音が響いた。

 吹き飛び宙を舞うパテル様と柄だけ残った剣を握り爆心地で片膝をついている私。

 会場が固唾を飲む中、豪快な笑い声が響いた。声の主は勿論パテル様。


「いやー、愉快愉快。久方ぶりに楽しめたわい」


 むくりと起き上がり、パテル様はゆっくりと私の元に向かってくると血まみれの左手を差し出した。


『あっ……』


 思わず後悔で声が漏れる。両肩に生えていたパテル様の腕は無くなり、本来生えている両腕も皮膚が裂け一部は肉がむき出しになって紫の血が滴り落ちている。右腕においては折れているのか力なく垂れ下がっていた。


『……申し訳ありません』


 ここまでやるつもりは……。咄嗟の事に力の加減が出来なかった。謝罪し、俯く私の頭に大きな手が添えられる。


「戦いに傷は付き物。謝ることではない。むしろ、勝者なら胸を張らんかい」


 勝者?私が?あっけにとられ目を丸くしていると右腕を天に向かって掲げさせられていた。


「勝者!アステルゥゥゥゥ!!」


 腕が上がると同時に司会が開始以上の熱のこもった声で勝者を宣言すると静まり返っていた会場から大きな歓声が上がる。


「アートルムとの対戦楽しみにしておるぞ」


 そう言い残し、先王は進行役に連れ添われ、満足そうに退場していった。


 こうして波乱の一回戦を私は勝利で収めることが出来た。その後の二回戦も私とノティヴァンはなんとか勝利を収め決勝戦である三回戦へと駒を進めていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る