第32話
和やかにお茶を楽しんでいると俄かに周りが騒がしくなった。
「何かしら?」
マリーが騒ぎ声のする方を見る。わたしもそちらを見ると地響きと悲鳴と共に人の波が割れていった。嫌な予感がする。
開けた人波の先に小さな影が見えた。よく見ればそれはソアレと同じくらいの年頃の少年だった。
徐々に地響きは少年に迫りその姿を現した。体高がわたしより一回りほど大きく、灰色の体毛、口元から直角に伸び上がった牙を持つ猪のような魔物、ファングボアがその姿を現した。
少年はファングボアの進行方向にいた。このままで轢かれてしまう。
考えるよりも身体が動いていた。
わたしは悲鳴と怒号でごった返す人垣を飛び越え少年の元に駆け寄り抱き上げる。
眼前に迫るファングボアをすんでのとこで半身を捻る事でかわし、通り抜けるその頭に回し蹴りを叩き込んだ。
<ブモオオオオ>
とファングボアは1声吼えるとずどんと大きな音を立てて崩れ落ち、地面に横たわたわると騒がしかった群衆が一斉に沈黙した。それから一拍置いてから「良かった」「無事だった」などの喜びの歓声が上がっていた。
無事を喜ぶ群衆の中、片眼鏡をかけた栗色の髪をツインテールに結った少女だけがにんまりと笑みを浮かべ「レアもの見つけた」と小さく呟いていた。
暫くするとファングボアが走ってきた方向から息を切らせたシルクハットに燕尾服の恰幅の良い男性を先頭に数人の衛兵が此方に駆け寄ってきた。
燕尾服の男性は一目散に倒れたファングボアに駆け寄り、ボアが息をしていることを確認すると安堵の表情を浮かべた後にわたしの方に向き直ると、深々と一礼し名乗り始めた。
「私、この度西都に巡業に参りました、魔獣サーカス団、プログマ・デキフォーラの団長を勤めておりますエナ・ヴェントロと申します。ジョセフィーヌを鎮めていただいたこと誠に感謝いたします」
『じょせふぃーぬ…?』
余りの可愛らしい名前にわたしが困惑を隠しきれずにいると
「これでも、可愛い女の子なんですよ。こんなに立派に育ちましたけどね」
ボアの灰色の体毛を優しく撫でながらヴェントロは寂しげに微笑んでいた。
それまで沈黙していた衛兵の1人がヴェントロに声をかけた。
「ヴェントロさん、貴方がこのファングボアを大切にしているのは見て分かります。ですが、多くの市民を危険に晒したのも事実です。危険な魔獣を放置は出来ません。よって、処分を行います」
そう言う、衛兵も心苦しそうな表情だった。人の世界で生きるには衛兵の言っていることは正しい。人に危害を加えようとしたなら害獣認定だ。害獣は処分されるのが常だ。
「分かっております」
うな垂れるヴェントロにわたしもかける言葉がなかった。重苦しい雰囲気の中にのんびりとした口調で男性が話しかけてきた。
「皆さん、お困りのようですが僕でお役に立てませんかね?」
声の主はこげ茶色のフード付の全身を覆うローブを身にまとったいかにも魔術師といった風体でフードの端から覗く銀髪に褐色の肌のを持つ男性だった。
ソフィアに良く似ている。男性の第一印象はそれだった。
「ファングボアが危険だから処分しないといけないんですよね?」
魔術師の男性が衛兵に尋ねると「そうだが」と衛兵が答える。
「では、無力化すれば処分しなくても良いと言うことですよね?」
「そんなこと出来るんですか?」
魔術師の男性の言葉にヴェントロも含めその場にいる全員が驚いた。
「出来ますよ。《猛き大きなモノよ小さき幼き姿になることを我は望む》」
魔術師はにっこり微笑み、呪文を唱えるとわたしよりも大きかったファングボアが腕の中にいる少年の半分ほどの大きさになり立派だった牙もなくなっていた。
「これなら無害ですよね?」
両手で抱えても余る子豚ほどの大きさになったボアを魔術師が指差すと
「そうだな。これなら処分しなくても大丈夫だろう」
衛兵は苦笑し、小さくなったボアを抱きしめたヴェントロは喜びの涙を流していた。
「皆、無事で良かった良かった。それじゃあ、僕はこれで。珍しいものも見れたしね」
一瞬、魔術師がわたしの方を見て笑いかけるとその姿は霧のように消えうせていた。
『皆、無事で良かったか…』
抱きかかえていた少年を地面に降ろし、頭を撫でていると
「フォス、フォス!!」
おそらく少年の名前だろうを叫ぶ女性の声が聞こえた。人垣を必死にかき分けて現れた女性は少年の無事な姿を確認すると抱き寄せその場で泣き崩れた。
「フォス、本当に無事で良かった」
「かしゃん、くるしい」
我が子が苦しむ姿に正気に戻った女性は抱きしめる腕の力を弱めると、わたしの方を見みて一礼した。
「息子を助けていただき本当にありがとうございました」
『いえ、わたしにも同じ歳くらいの息子がいるので他人事には思えなかたっただけですよ』
わたしが応えると女性は凄く驚いたのか目を丸くしていた。
「凄く、お若いお父様なのですね…」
『あっ…』
迂闊だった。今まで話してきたのはわたしの事情を知る人ばかり。全く事情を知らない人物がわたしの姿にこの声を聞いたら驚くのは当然ともいえた。
気まずい沈黙を破ったのはソアレのわたしを呼ぶ声だった。
「ぱぱー」
「アステル君」
人垣をマリーとかき分けソアレがわたしの前に姿を現し、ぎゅっとわたしに抱きついた。
「ぱぱ、だいじょうぶだった?」
『パパは大丈夫。お友達も大丈夫だったよ』
「よかったの」
ソアレがフォスの方に笑いかけるとフォスもソアレに笑い返した。
「ありがとう。きみのぱぱかっこいいね!」
「ソアレのぱぱかっこいいでしょ!」
子供達が互いに笑いあっていると自然と空気も柔らかいものに変わっていた。
「あの、たいしたお礼は出来ませんが、私あそこで服屋を営んでおりますのでご利用の際はお越しくださいな」
女性が指差した先には木造2階建ての赤い屋根に2階部分に取り付けられた看板にはシューリの服屋と書かれていた。
『はい、その時はお願いします』
ソアレを抱き上げ軽くシューリにお辞儀をして立ち去ろうとするとヴェントロに呼び止められた。
「待って下さい。私も貴方にお礼をさせてください」
駆け寄りヴェントロはソアレの手に3枚のチケットを握らせた。
「今月一杯私達は此方で公演しておりますので良かったら観に来てきださいな。詳しいお礼はそのときにでもお話しましょう」
『別にお礼なんか…』
わたしが辞退しようとすると
「逃げたらどこまでも追いかけますからね。魔獣サーカスの情報網を甘く見ないでくださいよ」
ヴェントロは微笑んでいたが目は笑っていなかった。これは敵に回したらまずい人種だ。わたしが観念して
『分かりました。後日、伺わせてもらいます』
と返すと今度は本当の笑みを浮かべ
「ご来場お待ちしております」
ヴェントロは深々と頭を下げるとわたし達を見送った。
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