第8話 帰路の途中

 行きはよいよい帰りは怖い、とはよく言ったものだ。 

 泉へ向かうときはまだ日の光があったものの、日がだいぶ傾いた今は、木々の間からこぼれる光が見えない。

 真っ暗とまではいかないが、明るくもない。

 そういったところだ。


点灯ライト・オン。」


 杖を持った辰也がそう唱えると、杖の先端に明かりがともる。

 前方5メートルほどは昼間と変わらず明るさが保たれる。

 

「そういやお前よく魔法使えるよな。」


 俺は疑問に思っていたことをようやく切り出せた。

 治癒魔法はペコラに習ったので使えるのはまだわかる。

 ただ、この点灯の魔法といい、最初の戦闘で使った防御魔法といい、いつの間に使えるようになったのであろう。

 もちろん、魔術の経典など読む時間などなかったしそもそもあったとしても俺たちは文字が読めないことに悪戦苦闘していたはずだ。


「ん?そんなの適当だよ。今までやってきたゲームとかあるだろ、その中から使えそうなものを適当に唱えたら使えただけ。」


 辰也は笑いながらそう言うが、正直なところ笑い事じゃない。

 もし魔法が行使できなければ、俺はあの時……。

 最初の戦闘を思い出し、体がぶるっと震える。

 変なことは思い出すものじゃない。


 一度思考がそっち方向に行ってしまったら、立ち直るのは困難をきたす。

 浮かび上がるのは、レッドキャップに凄惨な殺され方をする俺の姿。

 想像したくないと思えば思うほど、想像力がたくましい自分自身を呪いたくなる。


 これではいかん、と思考を元に戻す。

 魔法ってそんな簡単に使えるものなのだろうか。

 たしかに魔法少女ものだと、変身するだけでいとも簡単に魔法を使い始めるが。

 まぁこんなフィクションのような世界観に迷い込んだのだ、そのくらいできてもおかしくはないだろう。

 いや待てよ、なんでそんなフィクションのような世界でみんな基礎能力があがっている(ように思える)のに、俺だけ現実世界と変わらない素の力なんだ?


 考えれば考えるほど、俺の思考は泥沼に浸かっていく。

 いったい何を考え始めていたのか、どうしてそんな思考になったのか俺に聞かれてもわからない。

 頭の中に浮かんだ突拍子もないことを突き詰めていくと、きっと俺の考えになるのだろう。


「しっ、静かに。」


 俺のそんな複雑怪奇な迷路とかした思考はペコラの声と俺の進行を制止した辰也の腕によって現実に引き戻された。

 みると、2人とも同じ方向に視線をやっている。

 辰也のともした明かりによって、その方向も辛うじて見ることができる。

 レッドキャップだ。

 しかも先ほどよりも多い5体がここからでも目視できる。


 見る限りに気がたっているようだった。

 いや、もともと好戦的なモンスターだそうだから普段からあんな感じなのかもしれないが。

 もしかすると仲間をやられた腹いせにまた家畜を襲おうとしているのかもしれない。


「どうするんだ…。」


 俺たちは小声で今後のことを話し合う。

 レッドキャップたちが進んでいるのは俺たちの通る道と垂直方向。

 特に物音など立てずに気づかれなければ、このままやり過ごすことも可能だろう。


 ただ、俺の悪い癖はこうやってフラグ立てしてしまうことだ。


―パキン


 乾いた音が森に響く。

 静寂なこの場所ではあまりにも大きく響きすぎた。


「ギギッ?」


 ギャイギャイ騒ぎながら進行していたレッドキャップの1匹が耳聡くその音を拾い上げる。

 その視線は、音のした方向…つまりは俺が誤って踏んでしまった枯れ枝から目線を上げていき。

 やがて目がかち合った。


「ギィッ!」

「ギギギッ!」


 あの耳障りな音がまた響く。

 完全に気づかれてしまったのだ。


「辰也、ペコラさん…ごめん。」

「気にすんな、戦闘開始だぞ!ペコラさんは下がってて。」

「は、はい!」


 さっきよりも圧倒的に人数差がある状態でレッドキャップ達と交戦することになってしまった。

 せめてもの救いは、今度のやつらは何も獲物を持っていないことだろうか。

 何もない、といっても長く鋭利な爪は当たり所が悪ければ簡単に皮膚を引き裂くだろうが。


結晶防御プリズム・プロテクション!わたくしの力ですと数分しかもちませんが、しばらくは大丈夫です!」


 後ろに下がったペコラから呪文が飛ぶ。

 どうやらこれも防御魔法の一種らしい。

 効果はわからないが、今日辰也が使った魔法の上位互換と考えていいのだろう。


 敵の状態をまずは見る。

 前に2体、後ろに3体だ。

 さっきの戦い方から察するに、魔法行使適正はないか低いのだろう。

 メインとなる武器は、あの爪だと思われる。

 となると完全に近距離だろうから…。


「辰也、後ろのやつ頼んだ!」

「おっけ、任せとけ!」


 今回は非戦闘要員(だと思う)のペコラがいる。

 彼女を守りながら戦うには、レッドキャップをこちら側に近づけない必要がある。

 そのためには、この中では最も近接戦闘向きの俺がレッドキャップに近付き、やつらと交戦状態に入る。

 ただし、さすがに1対5では防御魔法が効いているとはいえ、分が悪すぎる。

 そのため、俺を巻き込まない範囲、つまりは後ろ側にいるやつらだけを辰也に片づけてもらうのが、現状考えうるもっとも最適な方法だと俺も辰也も判断したわけだ。


氷塊の嵐アイスストーム!」


 俺がレットキャップのもとへ到達する前に、辰也の元から魔法が放たれる。

 その魔法がレッドキャップ3体を飲み込むと、氷のつぶてが吹き荒れる。

 的確に放たれたその魔法は、万が一こいつらの仲間意識が高く囚われた3体を助け出そうとすれば巻き込まれること間違いないだろう。


 俺はそんな背後の様子に気をとられたレッドキャップの1体に向かってレイピアを突き出す。

 走ったその勢いのままに突き出したレイピアは、深々と突き刺さる。

 ギィィ、という短い断末魔を上げ、俺が相手にすべきレッドキャップのうち1体は絶命した。

 そのまま足を出し、動かなくなったレッドキャップの胴体を蹴る。

 それによって突き刺さったレイピアを抜こうとしたのだ。


「ギャギィッ!」


 その僅かな隙をついてレッドキャップの爪が俺の元へ走る。

 しかし、その爪はペコラが張ってくれた障壁に阻まれ俺の元へは届かない。

 はじかれた反動で体制を崩したレッドキャップの側腹部へ俺のレイピアが刺さる。

 若干威力が足りなかったのか、レッドキャップは苦しそうな声を出すがまだ動けるようだ。

 むしろ怒りで我を忘れているのだろうか、爪を振り回し乱撃を繰り出す。

 動きが早くなったので狙いづらいが、俺はタイミングを見計らいレイピアの刃でレッドキャップの頸動脈を断ち切った。


 唸るような声を上げ、出血を抑えるかのように手で覆うレッドキャップだが、一度断ち切られた動脈は心臓の鼓動に合わせるかのように噴き出すことをやめない。

 自身の首を抑え絶命したレッドキャップは、皮肉にも最期は自分自身の血でその名前のとおりとなったのだ。


「終わったな。」


 またフラグのようなものを立ててしまった気がするが、さすがに今度は大丈夫だろう。

 近くに動くものの気配は感じられず、また静寂が俺たちを包み込む。


「えぇ、お疲れ様です。ですが、一刻も早くこの場を去りましょう。なにかが血の匂いを嗅ぎつけてやってきてもおかしくはありませんし。」


 その何か、の中にはきっとレッドキャップのような非常に好戦的なモンスターに加え、動物の血肉を好む野生の獣なども含まれているのだろう。

 もちろん、俺たちが元いた世界と生態系などは異なっているのだろうが、警戒していて損はない。

 これ以上そのなにか、と出くわす前に俺たちは家路へ急いだ。


 森から出ると、思っていた以上に時間が経過していたようだ。

 日はとっくに沈み、東だと思われる方向からは月があがってきている。


 あの後俺たちは少しでも血の匂いを落とすために、多少離れた場所で装備を洗っていた。

 なにか野生動物の唸り声のようなものが、俺たちの交戦場所からしていたので離れて正解だったと思う。

 それから慎重になにとも出くわさないように明かりも灯さず森を抜けたのだから時間がかかっても仕方ない。

 それに、辰也は魔法を行使しすぎたのか少し疲れた様子が見られた。

 これはペコラと同じく魔法力が少なくなっているからなのだろう。

 そんな状態で敵と出くわすのは命にかかわる。


 森さえ抜けてしまえばあとは平穏そのものな道のりだった。

 舗装こそされていないものの、草が刈られ徒歩道だとわかる場所を歩き、涼介たちが待つ家へと帰った。


「ただいま戻りました。」


 玄関を開け、ペコラが挨拶をする。

 扉を開けた瞬間、鼻腔をくすぐったのは乳製品の匂いだった。


「お帰り。晩飯できてるぞ。」

「ありがとうございます、あなた。皆様もどこかへお向かいの最中だったとは存じますが、今晩はもう遅いですし本日はうちに泊まっていってくださいませ。」


 俺は、どうする?と辰也にアイコンタクトを送る。

 辰也から返ってきたのは、既に食卓に着きご相伴にあずかろうとしている涼介の姿だった。

 これは少なくとも晩飯は食わさないと梃子でも動かねぇな。


 俺たちはその晩はこの家でお世話になることにしたのだ。

 晩飯は匂いのとおり乳製品で、どうやら羊のミルクを使ったシチューだそうだ。

 もちろん具材として使用されている野菜は無農薬無添加、この近くの農場でとれた新鮮なものらしい。

 その他、食卓には俺が今まで見たことのないくらい豪華な料理が並んでいた。

 付近には家畜を取り扱う農家だけではなく、野菜類を育てる農家や少し遠くまで出歩けば漁場もあるのがこの周辺の食卓事情をにぎわせる要因らしい。


 思い起こせば、俺はまともな家庭料理というのを家で食べたことはなかった。

 もちろん母子家庭ということだけが理由ではなかったのだが、母親が料理を作るのが壊滅的にへたくそだということだ。

 俺だって料理がうまいというわけではない。

 もちろん、ある程度の物は作れると自負しているが、それでもこの目の前に出された料理に比べれば雲泥の差だ。


「ふー、食った食ったぁ。」


 満足そうに涼介が腹をなでる。

 成長期の少年たちも大大大満足の夕餉だった。

 ちょっと食いすぎたような気もしないでもないが…。


「あ、食器洗いくらい俺で。」

「いいんですよ、お客様なんだからお気になさらず。お風呂もすぐ沸かしますからね。」


 なんと優しいご夫妻だろう。

 飯どころか、風呂に寝所と至れり尽くせりだ。

 ついついその言葉に甘えてしまう。


「なんか、やっぱり違う世界に来てるんだなぁ。」


 風呂に入り、すっかり寝支度を整えた俺たちは今日あったことを振り返る。

 なかなかに密度の濃い1日だったと思う。

 ゲームをやっていたと思えばいきなり異世界に飛ばされ、なんやかんやで俺たちの落ちたった国の姫様を救うための冒険に出かける。

 もしかしたら、俺たちが何気なくゲームのキャラクターとして用いている探索者、冒険者たちもいきなり理不尽なことに巻き込まれたと思っているのかもしれない。


 ふと気づくと隣からは寝息やいびきが聞こえてくる。

 俺以外の3人は既に眠りについているようだった。

 そういえば俺も瞼が重い。

 さすがに今日はいろいろあって疲れた。

 時計がなく、スマホもまともに機能しないこの世界で今の俺たちに正確な時間を計る術はないが、普段に比べるとおそらくずいぶん早いだろう時間に俺も眠りの世界へと意識を運んだ。

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