第6話 妖精魔法の使い手
その男の家は、さっき俺たちが戦いを繰り広げた場所から歩いて5分ほどだった。
俺たちのパーティーの中では大柄な涼介を担いだ男の足取りは、せいぜい子供を抱えているくらいのものだった。
いったいこの世界の人間の筋力とかどうなってんだよ。
「悪かったな、巻き込んじまって。」
男がそう口を開く。
口調は軽いものだが、怪我を負っている涼介を担いでいるからか俺たちへの申し訳なさからか表情は硬いものだった。
「涼介は無事なんですか?」
「リョースケ?あぁ、こいつのことか。心配ないさ、息もあるし血も大して出ちゃいねぇ。ほとんど返り血だからな。」
俺たちには判別がつかないが、人間の血の匂いとモンスターの血の匂いは若干異なるらしい。
その男曰く、その匂いから判別するにあたって涼介の出血はやはり大したことはないとのことだ。
それでも、いきなり非日常の戦闘がある世界に放り込まれたばかりの俺たちにはこの怪我がどれだけ軽いものなのか、涼介の傷は無事に癒えるのかわかったものじゃない。
「着いたぞ。ここが俺の家だ。」
やはりというかなんというか。
この男は羊(のような生き物)を飼って生計を成り立てているらしい。
さきほど見た通り、2足歩行のその羊たちは草を食んでいるようだが、柵で囲われた近くはさっきの現場のような赤黒い液体がその付近の草を覆っている。
「おーい、帰ったぞ!」
策で囲われた牧場のような場所を少し行くと、木製の家が建っている。
外から見た感じ2階建てのログハウスといったところだろう。
外にも階段がついており、2階と行き来ができるようだ。
男がその家に入り声をかけると、ほどなくしてパタパタと軽い音を立てて誰かがやってきた。
やってきたのは、人間にしては不自然なほどに白い肌、長い耳、青い目に滑らかな金の髪をした綺麗な女性だった。
「きれー、な…人、だなぁ。」
「そんだけ喋れるんなら十分だな。悪い、俺が巻き込んじまった。治療してやってくれ。」
「わかりました。どうぞ、こちらへ。」
女性に案内されるがままに、男が涼介を担いだまま隣の部屋へと入っていく。
チラリ、と見えたそこは清潔そうな白いシーツが敷かれたベッドがあった。
刺された腹部周りの鎧を脱がすと、男は女性を残したまま俺たちのいる部屋へ戻ってきた。
「改めて。悪かったな、巻き込んじまって。お前たちの仲間の、リョースケ?はちゃんと治療してやるから安心しな。」
俺たちに席に着くように促すと、男は慣れた手つきでキッチンにある道具を使いコーヒーのようなものを入れてくれる。
体格のいい男に扱われると若干道具が小さく見えるのが滑稽ではあるが、今は笑っている場合じゃない。
「あの、無事なんですか?」
「あぁ、あいつの治癒魔法は優秀だぞ。俺も前あいつらに腕やられちまったが、ほれ、この通りよ。」
ガハハ、と笑いを挙げながら右腕をぐるんぐるんと回して見せる。
まったく傷ついたように見えないその腕は、本当にあの女性の治癒魔法が優秀なのか、それとも俺たちを安心させるために傷があったと嘘をついているのかわからないほどに綺麗だった。
「自己紹介がまだだったな。俺はここの羊飼いのヤンという。あいつはエルフ族のペコラだ、俺の嫁さん、綺麗だろ?」
嫁、だと?
この筋肉だるまのような男にあんな綺麗なエルフの嫁がいるのか。
異世界、悪くないかもしれない。
コトリ、と体格に見合わないほど丁寧な手つきで俺たちの前にコーヒーのようなものを置くと、ヤンも席に着く。
匂いはたしかに現代のコーヒーと変わらない。
一口、口に運ぶ。
苦い、やっぱりコーヒーだ。
「必要ならそこにミルクと砂糖はあるぞ。」
コーヒーの苦みに顔をしかめた俺に気づいたのか、ヤンがテーブルの上に載った小瓶を示す。
わざわざ俺の方を見て言ったのは、将臣も辰也も表情に出すことなくコーヒーを飲んでいるからだろう。
見栄を張ってもしょうがないので、ヤンに礼を言うと俺は小瓶に手を伸ばした。
「さっきのやつらは
ヤンが口を開く。
レッドキャップ。
よくゲームで耳にする名前である。
そいつらの名前の由来はもちろん頭にある帽子なのだが、その帽子の赤は生き物の血によって染められているという。
非常に好戦的なモンスターの種類で、自分の身に着けている帽子が赤ければ赤いほど強いとされている。
「ここいらのレッドキャップは滅多に人間は襲わない。どちらかというと、お前さんらも見たからわかるとは思うが家畜を襲う。特に狙われやすい生まれたばかりの仔がな。」
やはりあの手に持っていたのは仔羊の首ということで間違いないのだろう。
思い出して吐き気がしたのを無理やり抑え込む。
今は少しだけ見栄を張って激甘にしなかったコーヒーがありがたい。
俺にとっては苦めのコーヒーの味が吐き気ごと嚥下される。
「1匹やそこらだと俺でも退治はできるんだがな、集団でこられちゃかなわねぇ。
だから今回は本当に助かった、礼を言う。」
ヤンはその大柄な体についた頭を俺たちに向かって下げる。
と、同時に先ほどまで隣室にいた女性、ペコラがこちらの部屋にやってくるのが見えた。
「治療は終わりましたわ。思っていたよりも深い傷ではなかったようですよ。多分、もうじき目を覚ますでしょう。」
ペコラの後方に見えるベッドでは、涼介が寝かされていた。
腹部にはしっかりとナイフが刺さっていたように見えたが、今ではすっかり塞がっているように見える。
「治癒魔法ってすげぇな……。」
辰也がそうポツリとこぼす。
たしかにそうだ。
あれだけ深く刺されていたのだ、内臓だって傷が達していたっておかしくない。
そもそも腹部の表面に傷が残っていないというのも信じがたいほどの効果だ。
「もし、わたくしでよろしければ基礎くらいでしたらお教えできますよ。」
ニコリ、と女神を彷彿とさせるような微笑みを浮かべてペコラがそういう。
たしかにRPGにおいて治療役が1人もいないというのは心もとないというより準備不足としか言いようがない。
そもそもあのポーションってどういう原理で効いてるのかよくわからない。
例えば普通のゲームだったらHPの回復って飲めばいいんだろうけど、今回みたいに外傷をくらってるときって、傷口にぶっかけるべきなのか?
「そうね、あなた。あなたが一番適正ありそうだわ。」
ペコラが示したのは、辰也だった。
俺もそう思う。
やはりTRPGをしているときの話ではあるが、将臣は攻撃系魔法を駆使し、辰也が回復を含めた味方のバフ付与や敵方へのデバフを行っているのだ。
「はい、よろしくお願いします。」
「ここではなんですので、外へいらしてくださいな。よろしければ皆様もどうぞ。」
ペコラが辰也を伴い家の外へ出る。
玄関とは違い、そっちは大きなガラス戸となっており、どうやら羊を飼っている柵の方へ直通しているらしい。
このままここにいても手持ち無沙汰な俺は2人に同行することにした。
連れてこられた場所は、大きな小屋のようになっている。
小屋といっても入口は大きく開かれており、3方向を木製の壁に覆われ
その中の奥まった場所、壁の方だけ少し隔離されたようになっている。
そこにはまだ成体に比べて少し小さな羊が2匹おり、どれも少しではあるが怪我をしているようだった。
「酷いでしょう。さっきレッドキャップにやられてしまったのです。怪我の酷かった子たちは既に治癒を終えていたのですが、この子たちは比較的軽傷だったので後回しになってしまったの。」
やはりMPという概念はあるらしい。
便利な治癒魔法も無尽蔵に使えるものではなく、何度か行使するとしばらくは使うのが難しくなるとのことだった。
涼介の治癒は、非常用に取っておいた魔晶石という魔法力の塊を使い行ったそうだ。
これは魔力を込めることにより、中に魔法力―ゲームでいうところのMPのようなものか―を蓄積することができ、それを手に持ち魔法を行使することで自身の魔法力を使うことなく魔法を使えるのだという。
ペコラの見立てでは、この隔離された羊たちは今すぐに治癒を行うほど重傷ではなく、自然治癒に任せても数日で元のように回復するレベルだったのだそうだ。
そのため、この場に隔離しこれ以上傷が重傷化しないようにするだけで十分らしい。
「ちょうどいいので、この子たちの治癒でお教えしましょう。」
そういい、ペコラは自身の胸元に提げられた青い石のついたペンダントを手に取る。
「これは妖精石、わたくしの使う治癒魔法は妖精魔法の一種で、この石には水の妖精が宿ってますの。」
その手に取った石を見ると、中でコポコポと気泡のようなものが湧いているのがみえる。
どうやら宝石のように見えるその青い石は、外だけが硬い石になっており、その中は水で満たされているようだった。
ペコラの話によると、妖精魔法は水以外にも、炎、雷、風、光の5属性があるらしい。
上位の妖精魔法使いになるとそれら5属性の魔法を同時に行使することによって複合属性の魔法を使いこなすこともできるそうだ。
「
ペコラの持った青い石の中の気泡が激しくなる。
その石を握っている手がぽうっと光ったかと思うと、その仄かな光は怪我をした羊の1匹を包み込む。
ぽわぽわ、と軽い音を立ててその光はふわっと消え去ると、そこには傷の癒えた羊がいた。
「これがわたくしの使う妖精魔法の回復ですわ。どうぞ、今はわたくしの石をお貸しいたしますので、あなたもやってみてくださいませ。」
ペコラから辰也に石が手渡される。
辰也はその石に集中し、残った1匹に向き直る。
「回復。」
ペコラよりも弱い光ではあったが、さきほどと同じような光が羊を包む。
少し時間をかけて光が消え去ると、たしかに傷の治った羊がそこに座り込んでいた。
「まぁ、やっぱり才能ありますわ!少しここでお待ちくださいませ。」
感動を覚えたのか、ペコラは辰也の手を取る。
と思うと、何かを思い立ったのか駆け足でどこかへ走って行ってしまった。
残された俺たちはただその姿を見送るのであった。
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