第23話 君のとなり(1)

 冬には珍しい、強く暖かい光で目が覚めた。

 伸びをしてあたりを見渡す。床に敷いた布団の寝心地は良いとは言えず、全身の筋肉が凝り固まっていた。神崎を同じように寝させていたかと思うと、心底申し訳ない気持ちがして、昨日はベッドに寝かせておいてよかったと胸を撫でおろす。半身を起こすと、日光を浴びた神崎が、昨日と同じように机に向かって寝ているのが目に入った。間山がアパートに帰ってきてからも神崎は眠っていたはずだから、きっと朝早くに一度起きたのだろう。飲み会の次の日くらい休めばいいのにと思いつつ、間山は布団から這い出して神崎に毛布を掛けてやる。神崎の細い肩に毛布が触れた瞬間、神崎の目蓋が開いた。焦点の合わない黒い瞳が、何かを探すように周囲を彷徨さまよう。起こす気はなかったのだが仕方がない。

「おはよう、悠」

 声をかけると、その瞳はまっすぐに間山を見つめた。

「おはよう……。今何時?」

 間山が時計を確認すると、目覚まし時計は八時半を指していた。一応目覚ましはセットしたはずだったが、気づかずに寝てしまっていたらしい。

「八時半。帰る時間は何時だっけ?」

「えっと、十四時過ぎくらい」

 神崎はのろのろと自分の鞄に手を伸ばすと、ケータイを取り出して「十四時七分」と言った。

 間山は神崎にシャワーを浴びるように勧めると、自分は二人分の朝食の準備に取り掛かった。六枚切りの食パンを四枚焼き、ベーコンエッグを作る。食パンはオーブントースターで二枚ずつしか焼けないので二回に分けて焼き、先に焼いて冷めてしまった分は自分の皿に盛りつけた。

 コーヒーの準備をしていると、神崎が風呂から上がってくる。タオルで頭を乱暴に拭きながら、「シャワーありがとう」と笑った。その笑顔に少しだけ罪悪感を感じながら、間山はローテーブルにマグカップと朝食の乗った皿を置いた。

「朝食もありがとう。最後まで壮太にやらせちゃったな」

 神崎は合掌をしてトーストをかじる。半分まで食べたところで、神崎が手を止めた。

「壮太、食べないの?」

 間山が朝食に一口も手をつけていないことを指摘して、不安そうな顔をする。

 どこから話したものか。

 緊張から話の切り出しを考えあぐねていた間山は、一度唾を飲み込むと、震えて思い通りにならない唇を何とか開いてこう言った。

「聞きたいことがあるんだ」

「なに?」

「悠はさ、どうして俺んちなんて泊まったんだよ」

 途端に、神崎の表情が強張るのがわかった。構わず間山は質問を続ける。

「ずっと気になっていたんだ。なんでこんなところに泊まるのか。だって近くには

 神崎は何もしゃべらない。ただ黙って間山の話を聞いているだけだ。はじめから不自然だった。実家があるなら、何も間山の家に泊まる必要はない。どんなに仲が良かったとはいえ、実家が近くにあるのに、一度も帰らず友達のうちに泊まりっぱなしというのは考えにくい。

「もちろん、今お前の実家には誰も住んでいないだろうから、はじめは電気やガスが通っていないんだろうと、だから帰らないんだろうと納得していたんだ。でもモト……武田の話を聞いて違うんじゃないかなって思った」

「武田?」

「一昨日、本屋で偶然会ったんだ。茜通りのでっかいとこ。そこでモトが悠を見かけたって言ったんだ」

「ああ……あの時の」

 神崎は苦笑しながらコーヒーをすする。とん、とマグカップを置いて。

 神崎の表情から外面的な愛想が消え、無関心そうな態度で答えた。

「それがヒントになったのか」

 間山は驚くほど冷静な態度でそれを受け止める。

「あれは、親父さんの墓参りだったんだろう? 墓参りってお盆や法事で行くことが多いけど、それなら実家に戻らないのは不自然だ。帰って来たついでに行っただけだとしたら、三日も泊まる必要なんてない。なら、こんな時期に墓参りしてたのは、親父さんに何かを報告したからだろう?」

「……」

 神崎の沈黙は、肯定の合図に違いなかった。

「でも結局そのときは、悠が何を報告していたのかまではわからなかった。だから、視点を変えてみたんだ。どうして三日も泊まる必要があったのかじゃなくて、なんで飲み会の前に泊まったんだろうって」

「……へぇ」

「飲み会の前は金曜日。つまり平日だ。平日じゃなきゃダメな用事だったんじゃないか?」

 間山は茜通りに並ぶ建物を思い出す。書店、スーパー、不動産屋、公民館、市役所……。

「大抵の店なら年中無休でやっているだろうけど、唯一閉まっている所がある」

 間山は息を吸う。もう後戻りはできなかった。

「この市の市役所は、土日には戸籍を移したり土地の売却に関する手続きができない」

「……調べたのか」

 答える声は小さい。間山は意を決して口を開く。

「悠、お前、自分の実家を売ったんだな」



 部屋に響く時計の音がやけに大きく聞こえた。

 神崎からの否定は聞こえてこない。俯いているから間山に表情は読み取れないが、穏やかにほほ笑んでいる気がした。

「悠がどうして医者になりたかったのかを聞いた夜、外を歩いたときにお前は言ったんだ。『こんなことでもないと帰らない』って。こんなことってなんのことだ? もしかして自分の家を売る手続きをしに帰るってことなんじゃないか?」

「……」

「親父さんがもういないって聞いてから不思議だったんだ。どうして悠は大学生を続けていられるんだろうって。いろいろな奨学金があるだろうから学費は何とかなるのかもしれない。けれど生活費まで面倒を見てくれるわけじゃない。人間が生きるためにはどうしたって金が要る。どんなに少なく見積もっても年に八十万はないと暮らしていけない。けれど実際の大学生のアルバイトでは到底まかないきれない。日中は講義や研究室に行かなくてはいけないからだ。……昨日西野が言っていた。忙しくてアルバイトもできない、と。俺でも生活費のすべてをまかなうことができないのに、医学部に通う悠ができるはずがないんだ。誰かの援助なしで大学に通い続けることはできない。だから、」

「だから家を売って自分の生活費にしようとした……」

 神崎は困ったように間山を見る。

「その通りだよ、壮太」

 後悔と自責の念が混じり、苦しそうにほほ笑む神崎の姿を見て、間山は暴くべきではなかったのだろうかと思案する。その気持ちを振り払い、さらにたたみかけた。

「昨日、悠の家を見に行った」

「えっ……」

「自分の推論が正しいかを確かめたくて。不動産屋の張り紙が、張ってあったよ。売り物件を示す張り紙」

 だから。

 だから確信をもってしまった。

「西野はこのこと知っているんだろう?」

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