第19話 今は遠く昔の思い出(3)
少し眉を寄せながら語る木原の様子は、悲しむでもなく、嘆いているでもなく、ただ過ぎた過去を振り返っているような雰囲気であった。
「私が学生だったときは、友人が何人もいて、ことあるごとに集まっては、どうしようもなくありふれた事をいつまでも語らったものです。食堂のおばちゃんにオマケしてもらうコツとか、授業のうまいサボり方とかね」
「やんちゃですね」
「ええ、そうですとも、もちろんです。私だって若かった時代があるのだから、やんちゃでなくっちゃいけません。そうでなければ若者の気質に合わない」
力強い木原の声が自然と大きくなる。その声がなんだかおかしくて、間山はわずかに笑い声を上げた。勢田川もおもしろそうに目を細めている。
「しかし私などはかわいいものです。マスターなんて、有名な悪童だったじゃあないですか」
「そうでしたかね」
「そうですよ。マスターが高校生だったころ、私は他の学校で教師をしていましたが、そんな私でもうわさを聞くくらいには」
急に矢面に立たされた勢田川は、少しばつが悪そうだ。
「たしか三人くらいのグループでよく喧嘩していましたよね。いつも制服は汚れていてね。いつだったか、全身ずぶぬれで街中を闊歩していたときがありましたね」
「先生、それくらいで勘弁してはもらえませんか」
間山としてはもっと聞きたい話ではあったが、勢田川が困ったように笑いかけるので、木原はふふっと笑った後、「まあ、男なら一つや二つの武勇伝はありますよね」と言って、それから勢田川の話に触れることは無かった。
「私の友人とは、卒業しても年に何回かは会って話そうと約束をしました。あんなに仲が良かったのだから、この約束は一生涯果たされるものだと思っていました。しかし、いつしかそれが三年に一度になり、五年に一度になり……」
いったん会話が途切れる。木原は微笑みながら、しかし淋しそうに、言葉を探しているように見えた。目を伏せながら、カップのふちを人差し指でぬぐう。すっかり痩せてしまったその指先を見つめる木原の目は、わずかに白くにごっていた。間山はあせることなく、木原が言葉を発するのを待った。
「最後に会ったのは、もう二十年も前です。今ではもう、生きているのか死んでいるのかさえ分かりません」
間山はたまらず口を開く。
「電話だけでもしようとは思わなかったのですか?」
「昔はしましたが、今は疎遠になりすぎて、機会を失ってしまいました。それに引越しているものも多く、連絡先も知らない有様です。あの頃は携帯電話も普及していませんでしたしね」
間山君、と木原は間山に微笑みかける。
「君はなかなか心得の良い青年だ。きっと私の話もただの年寄りの戯言だとは考えず、真摯に受け取ってしまうでしょう。だから私の言葉は君にとって軽いものではないかも知れない。けれどね、間山君。それでも私は言っておきたいのです」
いつもどおりのやさしい笑顔を向けながら、木原は言う。
「若いときの出会いは、大切にしておきなさい」
その笑顔があまりにも朗らかだったので、間山はとても悲しいと思った。
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