第14話 君と届かない手(3)

 間山は緊張に体を強張らせた。まるで一流の殺し屋のターゲットになってしまった気分だ。鋭利なナイフが突如としてのど元に突きつけられ、身動きが取れない。指一本でも動かせば、頚動脈けいどうみゃく的確無比てきかくむひに切り裂かれて、瞬く間に肉塊と成り果ててしまうだろう。そんな想像をしてしまうほど、神崎の言葉は間山の三半規管にねっとりと絡みついた。

 間山は無言で頭を振り、否の意思を神崎に伝える。

 わかるか、と聞かれればわからない。それは真実であるが、わかるか、と問う神崎の口調には、知りたいか、と問う意図が透けて見える。知りたいか、と問われれば、間山はどうしていいかわからなかった。間山は医師を目指したことがない。しかし、その道のりが困難を極めることは知っているつもりだった。たくさん仕事がある中で、それでも過酷な道を選んだ理由。しかも神崎の理由となると、受け止めることができるかどうか。けれどそれを聞けば、神崎の拠り所になれるのではないか、という下心もある。

 間山は拳を軽く握り、「そういえば知らなかったな」とできるだけ平常を装って会話の続きを促した。

 わずかな沈黙の後、神崎がペンを取る。勉強を再開しながら、静かに口を開いた。

「はじめは、小学生のときに読んだシュヴァイツァーの伝記。こんな人がいるんだって、すっごい感動しちゃってさ」

 間山は微笑しながら、「単純な動機」と悪態をつく。けれど、その脳裏には書店の児童書コーナーで名医の伝記を懐かしむ神崎の姿が浮かんでいた。

「本当になんとなくだったんだ、はじめは。けど、父さんが結構本気にしちゃってさ。いっつも、がんばれって言うんだ」

「へえ」と、間山は微笑ましく相槌を打つ。

「父さんにはいっつも迷惑かけていたから、これは期待に応えなくちゃと思ったんだよ。まぁ、でも、やっぱり単純な動機かな」

 神崎がペンを止める。しかし依然として間山と目線はあわせない。

 沈黙。

 まとわりつく空気が、間山の周りをぴりぴりと走った。また緊張の深度が高くなる。

「高二の冬に、父さんが倒れたんだ」

 静寂を縫うように、神崎の声が間山の耳に届く。

 静かな衝撃に襲われるが、やっぱりなという気持ちもあった。間山は何も言わず、神崎が言葉を継ぐのを待つ。

「それからは病気が悪くなるばかりでさ、まいったよ。でも、父さんを必ず助けようって、俺」

 医者になろうと思ったんだ、と蚊の鳴くように細い声で、神崎は笑いながら話した。間山には自嘲めいて話を続ける神崎が、悲鳴を上げるて助けを求めているように見える。何か言わなければいけない。神崎の悲しみが少しでも和らぐようなことを。しかし、かける言葉は何も見つからなかった。

 神崎がペンを強く握る。力を込めた指先はわずかに白かった。


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