第8話 君とコーヒーの気配(4)
「ところで、店長が誰かを誘って晩酌なんてめずらしいですね」
空になった皿を下げながら間山が言った。木原は食後のコーヒーを楽しんでいる。
「いやね、特段これといった理由はないよ」
ランチメニューの仕込みをしながら勢田川が言った。けれどその横顔には少しばかり哀愁が漂っているように見える。
「けれど、美代子さんが肝臓を悪くしてからは晩酌もさびしいものでね。ときどき、本当にときどきだけれど、誰かと一緒に飲みたい気分になるんだよ」
「なるほど」
間山がわかったふうにうなずくと木原が微笑を浮かべた。
「どうしたんですか? 先生」
勢田川が木原に尋ねる。木原は優しいまなざしを間山に向けると、まるで孫に何かを諭すように言った。
「いえね、先ほど間山くんはマスターの話が理解できたと言うものだからね。けれどね間山くん。間山くんにはわからないことだと思いますよ。いや、わかってしまったらそれは憂鬱だ。こんなところでアルバイトなんてしちゃいられないと思います。わかったふりをすることは君にもできるだろうが、誰かの気持ちをわかることなんて、誰にもできない。だから、なるほどなんて言葉はね、使いどころをよく考えなければいけないと私は思うのですよ」
木原は「理解するならその人に生まれ変わるくらいしないとね」と付け加え、またコーヒーを啜った。
間山は一瞬呆然とし、次の瞬間には羞恥に顔を熱くした。間山は自分が発した「なるほど」という不躾な納得が、いかに独りよがりなものであったかを痛感しているのだ。それを見かねた勢田川がわずかに眉を寄せる。
「まあまあ先生、お遊びはそのくらいで勘弁してください。若い人をいじめるなんて悪趣味じゃありませんか。間山くんが困っていますよ」
木原はくつくつと笑っている。間山は、お遊びだったのかと安堵する一方、木原と自分の人としての厚みを思い知っていた。
「おやおやこれは失敬。でもね、年をとってこんな悪ふざけができる人がいるというのは、ありがたいものですよ」
「それはまったくそのとおりですが」
「昔、自分が学生だったころには、指の数では足りないほどの友人がいたものですが、今はこうしてマスターのところに通うばかりです。」
間山は何も言えないまま、木原を見つめた。最後の一口を啜る木原の、どこかさびしそうな、懐かしそうなまなざしがわずかに揺れて、少しだけ、悲しくなった。
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