第7話 君とコーヒーの気配(3)
間山の推測は中らずと雖も遠からずといったところだったようで、木原と呼ばれた老紳士は少し決まりが悪そうに微笑んだ。
なんと言うことはない。
入口と裏口が使われた可能性がないのであれば、木原は初めから店内にいたとしか考えられない。飲み会というのは間山のまったくの想像であるが、木原の反応を見ると、飲んでいたのは間違いではなさそうだ。おそらく木原は何らかの理由で昨日喫茶『潮風』を訪れ、そのまま勢田川家に泊まることになったのだろう。昨日の夜は吹雪いていた。なにより外は雪が降ったせいで地面が濡れているというのに、木原の革靴が濡れていないことと、快晴の日にビニール傘を持ち歩いてることが証拠である。朝の早い時間から妙に身なりのいい恰好をしている理由も、近所の喫茶店で朝食を食べるためではなく、昨日着ていた服をそのまま着なければならない状況だったから、なのだとしたら妙に納得できる気がした。
喫茶の二階にある勢田川家の居住スペースに宿泊した木原は、間山が雪掻きをしている最中に二階から降りてきて、今朝食にありつこうとしている。きっとそんなところだろうと間山は推論したのだ。
「いやはや、お恥ずかしい。昨日の晩にこちらでマスターと酒を交わしていたのですが、日付をまたいだ途端に雪が強くなってしまいまして。そのままご厄介になっておりました」
木原は心底申し訳なさそうに勢田川を見る。勢田川はゆっくりと頷いた。
「大丈夫ですよ。もともとは私が先生に声をかけたんですから。長い時間晩酌に付き合わせてしまって。謝らなければならないのはこちらの方です」
「いやいやマスター。泊めてもらった上にこうして朝食までごちそうになっている身です。謝るなんてよしてください」
木原が恐縮したようにかぶりを振る。
木原は喫茶『潮風』の常連であり、元は高校の国語科を担当する教師であった。ゆえに勢田川は今でも木原のことを先生と呼ぶ。元教師という肩書きに躍らされることなく柔らかい物腰には、間山も好感を抱いていた。「日本語というものは『愛』から始まり『恩』で終わる」というのは木原の言葉で、間山は頭の中でひらがな表を思い浮かべては、なるほどなと感心したものである。
「私が教師を辞してからは、まったくもって退屈な日々でした。時間というものが鬱陶しくも感じられました。しかしマスターは、こんなおいぼれの話を聞きたいとおっしゃる。友だと言ってくださる。
ありがたいことです。うれしいことです。これに懲りずにまた誘っていただきたい」
木原は入れたてのコーヒーを一口飲むと、満足そうに微笑んで、一言「うまい」と呟いた。
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