本当の敵は、誰? - 3

 そしてその時は、意外と早くやってきた。なんと次の日のことである。場所は昨晩泊まった宿屋から北に上がった場所にある、湖畔。

 どうせ来るのがわかっているなら、人目につかず、派手に暴れられそうな場所に移動しよう、ということで地図を確認したところ、ちょうどよく宿屋から北に森を入ったところに湖があったのだ。ちょっと奥に入る必要があるし、おいそれと誰かがやってきて戦闘に巻き込む、ってことにはならなそうだ。

 しばらくは野宿も覚悟していたの、さっさとご登場していただけたのが、こっちもありがたい!

 だって、野宿嫌いだもん。

「やっぱり来たわね、ダッド!」

 あたしは高らかに声を上げると、またぞろ手下たちを引き連れて姿を見せた、姿のダッドを真っ直ぐ見据えた。

 恐らく、手下たちもよく覚えてないけど、昨日と同じやつらをそのまま引き連れてきたんじゃないだろうか。

 エライなー。コテンパンにあたしたちにやられていた気がするのに、まだダッドに付き従ってくるなんて。

 あたしがそんな風に妙に関心していると、ダッドが口を開く。

「当然。昨日は世話になったじゃねえの」

「お礼はいらないわよ」

 軽口を叩きつつ、あたしはレオンに目配せをする。

 レオンはあたしの背後で、無言で剣を抜き――地を蹴った。

 レオンがダッドの前に辿り着くのと、レオンの剣がダッドの首を走ったのとは、まさに一瞬のような出来事だった。

 昨日、ダッドが本当に死人アンデッドかどうか確認する必要がある……ということで、レオンにとりあえず斬ってくれとお願いしておいたのだ。

 自分から「できるだけ引き受ける」と言い出したのだから、言い出しっぺに押し付けるのは当然でしょう。まさか、首を行くとはあたしも思ってなかったけど。

 昨日、脈が無いって確認して、目の前にピンピンした姿でご登場されたから、それだけで死人アンデッドと断定しても良かったかもしれないが。

 その場が静まり返る中で、完全には切断されていないダッドの首が不気味に傾いた。これで動き出したら怖いな……。

 数拍、しばらく待っても、レオンが容赦なく頸動脈をバッサリやってくれたというのに、そこからは血の一滴だって流れ出してはこない。

 それを確認して、あたしは確信を持ってダッドに告げる。

「やっぱり、あんたは死人アンデッドだった、ってわけね」

 ダッドは答えない。というか、答えられたら怖いから死人アンデッドでも答えないで欲しい。

 代わりにあたしは、周囲に聞こえるように声を張り上げた。

「さあて! 種も割れたわけだし、あたしたちはそろそろ、本物のダッドにご登場願いたいんだけれど、聞き入れてもらえるのかしらねっ」

 これで本物のダッドが出てきてくれれば、それをどうにか叩いてふん縛って理由を吐かせれば、この件はとりあえず収まるだろう。

 あたしはその時はそう、軽く考えていた。


『そうか……。本当は穏便に取り返したかったんだが……致し方あるまい』


 声は、どこからともなく響いてきた。テノールの、深みのある男の声だ。

 出処を探すも、どこから聞こえてきているのかは全くわからない。どこかから発せられている音が反響して届いている、というよりは、辺り一帯に、一定に響いているのが聞こえている、といった感覚に近いだろうか。

 メルの傍に近づいて、あたしは辺りへの警戒を怠らない。

 ――突然、操り人形の紐が切れたかのようにダッド(仮)が倒れ込んだ。と、同時に、ダッドが引き連れていた手下たちから悲鳴と共に鮮血が散る。

 なっ――⁉

 あたしとレオンが驚いている前で、ダッド(仮)御一行が全員草の上に倒れ込むと、その中央に一人の男が姿を現していた。

 薄い青の髪を撫で付けた短髪に、灰色の肌。格好は、どこかの騎士の姿のようだが、あまり見覚えがないタイプのものだ。マントを風になびかせながら開いた瞳は、緑目と白目の色が反転していた。

 こいつ、一体どこから……。

「お望みどおり、出てきてやったぞ。小娘」

「それじゃあ、あんたが本物のダッド、ってわけね。三人目は随分とご登場までに日があったじゃない」

「ちょうどいい死体など、そうごろごろとは転がっていないからな。ご明察――とでも賛辞を送って欲しいか? 人間風情にしてはよくやったと思うが」

 本物のダッドは鼻で嘲笑わらってあたしを見下す。

 人間風情にしては、って随分エラそうじゃない、こいつ⁉

「あんたねぇ!」

「ミナっ」

 あたしが怒って文句の一つもぶん投げてやろうかとしたところを、戻ってきたレオンに強く名前を呼ばれて引き止められた。

 ダッドから視線をそらさず、レオンはあたしに小声で警告する。

「あいつをあまり刺激するな。あいつは――魔族だ」

 まぞく……?

「って、なに?」

 聞き返すと、レオンのこめかみが微かに揺れた。

「闇に生きるもの、闇に転化したもの、闇そのもの――そう呼ばれているのが魔族だよ。

 灰色の肌と反転した目を特徴として持っているから、見ればすぐにわかるんだが、トロール並みの再生力がある上に攻撃を通しにくいのもあって、物理攻撃も、魔術も、基本的には効果がない。

 要するに、相手にするのが最も厄介な種族ってことだよ」

 ……あーそう言えば、村のおっちゃんたちが、万一魔族に遭遇したらとにかく逃げろとか言っていたよーな。

「ふうん……。レオンは戦ったことあるの?」

「遭遇したことはあるが、ちゃんと戦ったことはないな。魔族に遭ったら脱兎のごとく逃げろ、ってのが鉄板なんだ」

 おっちゃんたちやこのレオンがそこまで言うってことは、相当厄介な相手なのだろう。この魔族ってやつ。

「そう。ありがとう、レオン」

 説明してもらった御礼を告げて、あたしは一歩、親切にもあたしとレオンのやりとりを黙って待っていてくれたダッドの前に進み出る。

「そいつらをやったのは? 別にほっとけばどっかに逃げてったんじゃないの?」

「こいつらにもう用はないし、邪魔だからな」

 待っていてくれたどころか、律儀に質問にも答えてくれた。

 うーむ。これは、余裕ってやつなんだろうか。

「そ。じゃあ、メルを付け狙ってた理由はなに?」

「それは、その小娘本人から聞けばいいだろう。まあ、生き残っていたら、の話だがな」

 ダッドの返答を聞いて、疑問に思っていたことが一つ腑に落ちた。

 てことは彼女、やっぱりそーか。

 しかし、レオンが眉根を寄せて声を立てる。

「聞けばって、この子は」

「レオン」

 意義を唱えようとしたので、あたしは名前を呼んでそれを遮った。

「たぶん、メルは言葉を喋れるわ」

「なっ――」

 レオンが驚くのも無理はない。あたしもダッドに今、そう言われるまでは半信半疑だったし。

「トレイトで、彼女が魔術を使った形跡があったのよ。塵煙のあと、不自然だったでしょう?」

「……そうか? あれは、噴水の影で、ああなったんじゃ」

 偽ダッドが自爆した時の爆風のことである。あのあと合流した彼女の周囲には、彼女を避けるように綺麗に弧を描く埃の跡がついていた。

「あんな風に境界線がくっきりわかるほど跡が残るとは、あたしは思えないんだけど。もし、あれが、魔術による結界を張った跡だっていうなら、酷似しているし、納得できるのよ」

 この点は、魔術師でないレオンが気づかなかったとしても、無理もない。

「魔術は文字で術式を書くか、口で呪文を唱えなければ構築も発動もできない。でも、あの場に術式を書いた形跡はなかった。ってことは、メルは少なくとも精霊言語は話せるはずなの。

 でも、今のダッドの話しぶりじゃ、普通に人間の言葉も話せそうね」

「だったら……なんで黙ってたんだ?」

 それは、あたしとメル、どちらに向かって聞いた言葉なのかはよくわからなかった。が、とりあえずメルは話したくないだろうし、あたしが勝手にあたしの意見で答えておくことにする。

「だって、確証はなかったし。それに、わざわざ隠したってことは、そうしたい理由ってのがあるんじゃないの? それを無理に聞き出そうとするのって、あたし趣味じゃないし」

「それは、まあ」

 レオンも、今までのメルの様子から、思う所があるのだろう。食い下がることはなく、引いてくれた。

「まあこうなった以上、その辺は後で直接聞くとして。もちろん、これ以上付け回されないようにアナタをきっちり片付けて、生き残った上で、ね」

「って、さっきの人の話を聞いてたのか⁉ お前は!」

 あたしの宣言に、今度は顔を青くしたレオンが慌ててあたしの肩を掴む。その声は切羽詰まっていた。

「ちゃんと聞いてたわよ。魔族……つまり、ダッドが相当強いってのは。だからこそ、挑み甲斐があるってもんじゃないの。

 正直、盗賊退治も、偽ダッド退治も、拍子抜けでつまんなかったのよ。でも当然、あんたはそんな退屈な戦闘にはなってくれないわけでしょう?」

 あたしは挑戦的にダッドを睨む。

 正直あたしは今、冷や汗が伝うくらいには背中がゾクゾクしている。これが恐怖からなのか、武者震いからなのかはよくわからないが「こいつと戦ってみたい」というのは紛れもないあたしの今の気持ちだった。

 そんなあたしの気持ちをよそに、ダッドはつまらなそうに鼻を鳴らす。

「子兎が虎の真似でもして威勢よく吠えるか。愚かしい。

 まあ、私としても今は事を荒立てたくはない。そこの小娘と――そうだな、ついでにキサマが首から提げている指輪をこちらに渡す、というのであれば今回の所は見逃してやってもいい」

 ダッドの要求にあたしは眉をひそめる。

 メルはともかく、あたしの指輪も? なんのために?

「どうして指輪を……なんて聞いても、それもメルに聞け、かしらね?」

「で、どうする」

 肯定か。

 あたしはダッドの提案に、溜息一つ、後ろ髪をかき上げた。

「あのねぇ。そんな簡単に手渡すようなら、さっさと偽ダッドに出会った時点で返却してるわよ。つまり、それがあたしの答え」

 あたしの答えを聞くと、侮蔑するようにダッドの目元が歪む。

「交渉決裂、か。やはり人間は闇弱ばかりか……」

 ……「あんじゃく」ってなんだろう。こんにゃく?

 まあいっか。あの様子じゃ、少なくとも良い言葉じゃなさそうだし。

 そんなことを考えながらあたしが剣を抜くと、レオンがあたしの腕を再び引いた。

「お前、どうする気だ。勝算はあるのか?」

 レオンの問に、あたしは「さあ?」と首を軽く傾ける。

「あ、そうそう。一対一サシでやってみたいんだけど、死ぬ気だけはないから、危なくなったら助けてね、レオン。それまではメルのことよろしく」

「お前は……!」

 かるーく告げると、レオンの目に怒りが滲む。

 あーやっぱり怒るわよね……。

 まあ、それはあとでたっぷり怒られるとして、あたしはレオンから逃げるように前に出る。

「凡愚な小兎、来るがいい。魔族の恐ろしさ知らぬならば、多少の手加減はしてやろう」

「あら、随分とご親切なこと。それが強者の自信と余裕ってやつ?」

 軽口で返しておいて、あたしはダッドに向かって走りながら呪文を唱える。


 統べるもの・地精テドラモ・オニメルボス

 いにしえよりの汝が寵愛をもってオットミウ・アウオアイチ・ガズェノニ・ノレイシン

 我にさらなる力を与えよエヤアトア・ワリクト・アタナリセ・ナロウ


 まずは確認、あたしはダッドの首筋めがけて剣を振るう。当然、すんなり首に入るとは思って狙っていないが、あたしの剣はダッドの前腕、籠手を斬りつけるに留まる。

 剣は籠手に流されるまま、あたしはその流れを利用してダッドの鎧の隙間めがけて踵蹴りを繰り出す。

 特定の衝撃を靴底に与えると、自動で踵からナイフが出る特別仕様で、すでにそのナイフは顔を出している。

 蹴りはクリーンヒット――したと思われた。

 硬い……?

 見れば、そもそもナイフが突き刺さらずに、衣類の表面で切っ先が止まっているではないか。

閃光オクラフ・イア

 あたしは試しに唱えていた呪文をナイフにかけてみる。

 と、手応えがやや変わる。表面だけ乾いてるように見えて、中が水分を含んでいる土に足を突っ込んだような、そんな感じだ。

 まさか、防御結界そのものを身体の表面に張っているのか⁉

 そうなると、まず普通の武器じゃダメージは通らない。今だって、かけた術の威力が相手の防御結界に負けているから貫通できないのだ。

「威勢はよくても所詮はこの程度か」

 あたしは反射的に足を引くが、ダッドにナイフを掴まれ――いとも簡単にポキっと折られた。

 ちなみに、ダッドは素手である。籠手をしているとはいえ、覆われているのは手の甲のみ。手のひらはグローブをしているとか、そういうことはなく。

 蝶が止まればそのままスッパリいける程に術で切れ味を抜群に良くしているナイフを、素手で掴んで更にそのまま手折ったのだ。これをただの人間がやろうとしたら、剣を掴んだ時点で指が全部切り落とされるだろう。

 あたしは体勢を少しだけ崩しながらも、一度ダッドと距離を取る。

 ダッドの手から粉々に砕かれたナイフがパラパラと地に落ちるのが見えた。

 これは確かに、色々と尋常じゃない能力を有しているようだ。

「まだまだ、これはほんの小手調べ、よっ!」

 あたしは次の呪文を唱えて、走り出す。


 統べるもの・火精フレス・オニメルボス

 汝が焼滅の焔もてオトムーンオウン・エトゥモアース・イグ・アズネン

 我が斬る全てを焼きつくさんヌスキタコイェウ・エトゥバス・イラク・エガロウ


炎切滅オークレフ・ウナー!」

 あたしの剣の刀身が炎に包まれる。その状態のまま、あたしはダッドに斬りかかるが、ギギギ、と嫌な音を立てて、あたしの剣はまたもダッドの防御結界に阻まれる。

 それでも手応えとしてはさっきよりいい。

 あたしは構わずその状態でダッドと入れ代わり立ち代わりしながら、何度も斬りつけていく。

「ちっ、サルの一つ覚えが」

 防御に徹していたダッドが左手を握りしめると、腕を軽く引く。あたしはその隙に右手をダッドの脇腹に添えた。

聖盾崩ロプセグ・ナスィア

 パキン――と乾いた音がして、ダッドが体表面に張った防御結界が、あたしの術で砕かれ、引き剥がされる。

 これは結界を無効化する神聖魔術の一つ。直接結界に手を触れないと効果がなく、魔力消費が対象の結界の大きさに比例するが、習得しておくと使い勝手のいい術だ。

 結界を引き剥がされ、ダッドの表情がかすかに動いた!

 すかさず、左手の剣を逆袈裟に斬り上げる――しかし、ダッドも咄嗟に身を引いたせいで、浅い!

 あたしの剣は、ダッドの右手と胸鎧に大きく傷をつけるだけとなるが、それでも右手首から先は貰った。

 右手を失ったダッドは、大きく後ろに飛び退って、あたしから距離を取る。

 ――なんだか、腕を切り落としてばっかだな。別に意図的に腕を狙ってやってる訳じゃないんだけど……。そこに腕があっただけで。

 落ちた右手は籠手や袖口ごと燃え尽き、風に流され消えたが、切断面の炎は燃え広がることもなく小さくすぼんで消えている。

 防御結界さえなければ、術をかけた物理攻撃はすんなり入るのか――と思ったのもつかの間。

 ダッドがめんどうくさそうに自身の右手首を顔の高さに持ってきたかと思えば、目の前でダッドの右手が

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