踊るということ
むかし、ある所に踊り子になることを夢見る「ドリ」という少女がいました。まだ小さい頃、村を訪れた踊り子に心を奪われ憧れを抱いたのです。
月日が経ち大人になったドリは両親の反対を押し切って旅に出ました。幾つかの村で自己流の踊りを披露しながら彼女の旅は続きました。
ある日のことです。辿り着いたある村でいつものように踊っていると観客の一人が彼女にこう言いました。
「上手いものだ。でもこの村には君よりもすごい踊りの達人がいるよ」
それを聞いたドリはぜひその人に会ってみたいと思い、彼が住むという家へと向かいました。「あの、すみません」と呼び掛けると家の中から「どなただね?」と返事がして、男が顔を出しました。彼は髭面で正直男前とは言えない、どこにでもいるただのおじさんでした。
「私は踊り子を目指しながら旅をしている者です。村の方からここに踊りの達人がいると聞き、勉強させて頂きたいと思い、こうして訪ねてまいりました」
「ほお、そうか、踊りの勉強をな。感心なことだ。わしで良かったら力になろう」
「ありがとうございます。それであなたの踊りとはどんなものなんですか?」
男は付いてくるように言うと外に出て家の裏へと案内しました。ドリは思わず目を見張りました。そこには人間の背丈ほどある薔薇の木が何本も生えていたのです。赤や白の美しい花が咲き乱れとても幻想的な風景でした。
男は何も言わず薔薇の横にすっと立ち、眼を瞑りました。一瞬で凛とした空気が辺りを包みます。かっと眼を開いた彼は自ら歌いながら踊り始めました。それはドリには理解出来ない言葉の歌でした。しかし悲しげな雰囲気だけは伝わってきます。歌に合わせて男は手を揺らし、時にはその場で回転し踊り続けました。すると彼は突然薔薇を手で掴んだのです。
もちろん薔薇には棘があります。赤い雫が垂れました。しかしそんなことにはお構い無しです。さらに次の瞬間、男はぎゅっと薔薇を全身で抱き締めました。ドリは息を呑みました。男は全く痛い素振りを見せないどころか、表情ひとつ変えないのです。
彼は薔薇を中心にして時には手を取り、時には抱き締め歌いながらそれからも踊り続けました。彼の体を流れる赤いものは増えていき、やがて舞う男の周りに赤い雫が飛び散ります。痛々しくもなんとも美しい光景でした。
食い入るようにじっと彼の踊りを見ていたドリはあることに気が付きました。男の視線はずっと薔薇に注がれ、その眼には深い愛情が感じられるのです。
これは薔薇を女性に見立てているんだわ。なんですごいの……。
やがて踊りは終わりました。静まり返った場に男の荒い息遣いだけが聞こえてきます。ドリは絶句しました。
「どうでした? 少しは参考になりましたか?」
息を整えた男は優しい口調でそう言いました。
「はい、とても感動しました。でも、到底、私にはあなたの真似は出来ません」
「真似などしなくてもよろしい。あなたはあなたの心のままに躍ればいい」
「はい」
ドリは男に丁寧に礼を言い、その村を後にしたのです。
その後、ドリは幾つかの村を越え、ある村へと到着しました。いつものように踊りの準備をしていると村人が来て「この村にも踊りの名人がいる」というのです。驚いたドリは村人に彼女のいる場所を聞き、そこへと向かいました。村の外れの汚い小屋に彼女はいました。美しい容姿に比べ、服はぼろぼろ、髪もぼさぼさでした。ドリは踊りの勉強がしたいと彼女に申し込みました。
「そう。いいわよ。ただ夕方にならないと私の踊りは出来ないの」
ドリは女と共に夕方を待ちました。夕日が辺りを赤く染める頃、女はある場所にドリを案内しました。そこには女の身長を超える大きさの白い壁が立っていました。建物の一部ではありません。本当に壁だけがあるのです。音もなく女は踊り始めました。
高い跳躍力。柔軟性もあります。一瞬、空中に浮いているような気さえするのです。そして時間が経つにつれ、ドリは女がここで踊り出した理由を知りました。夕日が白い壁に女の影を映し出したのです。女と一緒に影も踊ります。一糸乱れぬ見事な競演でした。ふと女が動きを止めました。壁に向かって手を伸ばします。もちろん影も同じ動きをしました。その時、驚くべきことが起きたのです。女の手が壁に触れる瞬間、なんと影の手が伸び、女と手を繋いだのです。
女と影はそのまま踊りを始めました。手を繋いだまま、お互いの位置を入れ替え回転し踊る様子は現実のものとは思えない程に美しいものでした。やがて夕日が沈み、辺りが薄暗くなった時、女は名残惜しそうに影の手をそっと離したのでした。
「この踊りは止め時が難しいの。やり過ぎると本体の私まで影になってしまうから」
寂しそうに女は微笑みました。
その日、女の家に泊めてもらったドリは踊りについて様々な話を聞き、次の日の朝、女に感謝を込めて深々と礼をして村を後にしました。
それからドリはまた数えきれないほどの村々を通りました。そして彼女はいつしか疑問を持ち始めたのです。
踊るとは何なんだろう? 私にとっての踊りとは……。
彼女は答えのないものを前にして言い知れない不安に駆られていたのです。
そんな時ある村に入ったドリは村人に噂を聞きました。この村の外れに住むお爺さんはかつて「踊りの神」と言われた人らしい、と。しかし今となっては誰も彼の踊りを見たことがないらしいのです。
ドリは期待に胸が躍り、早速その老人の元へと向かいました。
しかしなんとそこには家すらありませんでした。小柄な老人が一人布を敷いて座っているだけだったのです。ドリは老人に声を掛けました。
「お爺さん、こんにちは。あの、お願いがあるのです。あなたが踊りの神と言われた人だと村の人に聞きました。私は踊り子を目指してずっと旅をしている者です。どうか、勉強のためにあなたの踊りを見せてはもらえませんか?」
「……君には見えていないようだね。わしはもう踊っているんだよ」
ドリは意味がわからずきょとんと老人を見つめました。目の前の老人は座っているだけなのです。
「お嬢さん、今は意味などわからなくて良い。気にせず自分の踊りとは何かを考えながら気が済むまで旅を続けなさい。そして踊り続けなさい。いつかわかるだろう」
優しく老人は微笑みました。ドリはわけがわかりませんでしたが仕方なく礼を言うとその場を後にしました。
その後もドリの旅は続きました。
そして数十年後、自分なりの答えを探し当てたドリは「踊りの女神」とまで呼ばれる存在になりましたとさ。
おしまい。
零れ落ちたおとぎ話 蟹井克巳 @kaniikatsumi
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