第11話 額

 緊張と深酒のせいで俺は彼女を完全に押し倒せなかった。

「……あー……」

 間接照明の灯りだけが浮かぶ薄暗い部屋。

 起き上がり、脱ぎ捨てたTシャツを着ることもせず、彼女に背を向けるようにベッドの縁に腰かけた。

「すいません……出来なくて」

 情けなさと恥ずかしさと少しの苛立ちから彼女の方を振り向けずに項垂れた。彼女が後ろで身なりを整えているのがわかって、情けなさにさらに錘が付いた。


「レオ」


 彼女が俺を呼ぶ声はいつもよりもずっと柔らかい気がするけれど、どこかまだ幸せに浸りきれない自分がいる。これまでそんな素振りを見せなかった彼女が俺を好きだと言ったことに実感がわいていなかったからだ。押し倒せなかった本当の訳がここにある気もした。


「明里さん、俺のこと……」


 本当に好きになってくれたのか聞き返すのを止めたのはやっぱりビビっていたから。



「好きだよ」



 強張っていた背中に彼女の額が触れ、心臓のちょうど裏側にその声が響いた。


「レオ言ってくれたよね、私の元気がないときは笑わせてくれるって」


 素肌を彼女の前髪がくすぐる。


「あんなこと言われたの初めてだったの」


 ――みんな私を完璧だと思ってるから。

 ――いつまでも泣いてたり、クヨクヨしたり、そんなことしないって思ってるから。


「レオが思ってたみたいに、次は俺と付き合わない? って言ってきた人だっていたんだよ。 でもみんな私が失恋して傷付いてるってところまで想像してはくれない」

「……明里さん」

「だから、だからね、レオと一緒にいられたら幸せかもって思った。 それだけじゃ……弱いかな」


 彼女はちっとも強くなくて、ちっとも完璧じゃない。

 女の子なら前髪くらい何となく上手く切れそうなものなのに、垂直にハサミを入れてしまうようなそんな不器用な人。

 一人にならなきゃ泣けない強がりな人。

 大きな声で笑い、スポーツを見て興奮し、シシャモを頭からかぶり付く可愛い人。


「明里さん……」


 振り向き、やっと直視した彼女は照れた顔をしていた。


「……レオも完璧な私が良かった?」


 何言ってんの、この人は。


「俺をそこらへんの奴と一緒にしないで」


 あの日切った前髪を掻き分けて彼女の額にキスをする。舌も絡めていない、ただ触れただけに等しいのに体が熱を上げた。


 押し倒すよりも遥かに甘い夜。

 俺は彼女が眠りにつくまでに何度か同じ場所に唇を寄せた。

 ――他の誰にも見せない彼女の本質ナカミが堪らなく好きだと伝わってほしくて。

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