第10話 悪酔い

 久しぶりに酔った。

 浴びるほど飲んだ。


 だって日本代表はすげーいい試合をするし、シェアハウスの6人が集まるのも久々だったし、シシャモを食べる明里さんがとにかく可愛くて、可愛くて。


「レオも食べる?」


 普通に話してくれることも嬉しくて、俺は飲み過ぎたんだと思う。


『香川ゴーーール!!!』


 サッカーなんて知らないって言ってた彼女がいつの間にか隣に座っていて、テレビの中から聞こえてくる歓声よりも大きな声で喜んだり、俺の腕を引っ張ったりする姿が堪らなく可愛かったから。


 酒もそりゃ進むよな。


「大丈夫?」

「……あれ?みんなは?」

「もう部屋戻ったよ。 はい、お水」


 差し出されたグラスを受け取りながら体を起こす。いつの間にかソファーで寝てしまっていたらしい。腹のあたりに先日置き忘れたブランケットが掛けられていた。

 薄暗いリビングで彼女と二人きり。嬉しいのと辛いのが絡まりあった複雑な感情。それにアルコールが足されて我儘に動いてしまいそうだった。


「明里さんも部屋戻っていいですよ」


 早くここから消えてよ。


「……じゃあ、グラス頂戴?片付けるから」


 これ以上近付かないでよ。


「大丈夫、俺ちゃんと自分でかたすから」

「いいよ、ついでだから……」


 彼女の手がすぐ顔の近くまで伸びた。綺麗な爪と白くて細い指。一度触れたら全力で掴んでしまいそうなくらい愛しいから。


「困らせるから、離れて欲しい」


 身体中を回るアルコールは胸の奥に秘めた本音を口許へと運んできてしまった。


「……困らせ……る?」


 ひとつ漏れた途端、ふたつめ、みっつめと溢れ出す。


「そう、これ以上近付かれたら俺……明里さんを抱きしめるかも」

「抱きしめちゃったら、絶対キスしたくなる」

「キスしちゃったら、次は……」


 床に落とした視線を追うように彼女がすぐ目の前にしゃがんで言った。


「……次は?」


 サラリと髪を揺らしながら少し下げた眉。

 俺が寝ている間に落としたのか、メイクオフしたその顔はいつもよりも少し柔らかく見えた。


「キスしちゃったら絶対押し倒したくなる。 押し倒したら次は……」

「……次、は?」

「完全に嫌われると思うから。 だから、そうさせないで下さい」


 好きになってもらえなくても嫌われたくはない。彼女の記憶にせめて『いいやつ』で残りたい。


 彼女は静かに立ち上がる。

 俺の視界には彼女のスラリとした足だけが残る。彼女の顔を見る余裕なんて全くない。

 こりゃマジで引っ越し先探さなきゃな、悪酔いしたなと思った。



「……試してみて」



 頭上から微かに聞こえたその声とほぼ同時に落ちてきた彼女の体。思わず手の中のグラスをカーペットに落とし、半分ほど残っていた水がジワジワと染みを作った。


「明里さん」


 首に回された彼女の腕と預けられた体の重み。あの日知ってしまった彼女の香り。初めて知った彼女の温度。


 思っていた通りだった。

 触れたその瞬間から、呼吸に困るほど彼女の唇を求めてしまう。

 Tシャツの裾から差し込んだ指先は、ただ彼女の背中をなぞっただけなのに強い熱を持った。


「……レオ、ダメだよ」

「ここまでさせて、もう無理ですよ」

「……違う」

「何が違う?」

「……ここじゃ……リビングじゃダメってこと」


 恥ずかしそうに語尾を弱める彼女を見て完全に落ちた。


「俺の部屋連れてっていい?」


 髪の毛の隙間に指を差し込み頬に触れると、彼女はその指に自分の手を重ねて頷いた。


「レオが好きだよ」


 抱き上げて、いわゆるお姫様抱っこをした俺の胸に彼女の小さな涙が染み込んだ。

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