第127話 注文の少ない料理店~一皿料理のひとさらい

 今週末にセンター試験を控えている娘に、自分ができること


 娘が好きなものを作って食べさせようという思いつきは、普段遠慮がちな娘に積極的な、或いは強制的な選択を迫ることで、もしかしたら何かの役に立てるかもしれないという後付けの理由と、そういえば自分が受験勉強をしているときに、一度だけ夜食を作ろうか的なことを母親に言われて、遠慮をして、でもなんかうれしかったという、本当にあったかどうかも分からない記憶のなせる業である


 成人式が明けて火曜日の夜にそれを思いつき、娘に電話をする

「何が食べたい?」

「えっ、どうした急に」

「いや、だから、今日は何が食いたいの?」


 電話口で娘がカミさんや弟に何か食べたいものがあるかと聞き出した

「ちがう、ちがう、メケ子は何を食いたいのよ?」

 どうやら趣旨を理解したらしく、ドリアをリクエストされた


 娘は肉や魚を焼いた物だったり、サラダだったりはあまり好んでは食べない

 イタリアンな一皿料理を好む傾向にあるので実は、このリクエストは想定していた何品かの内に入っていたので、家にどんな食材があり、何を買い足さなければならないのかすぐに頭に浮かんだ


「いいよ」

 娘はロジカルな人間なので(なので理系を受験する)既にご飯を炊いているので、ご飯を使ったイタリアンなものでパッと頭に浮かんだものをチョイスしたのだろう

 これは自由な選択ではなく、不自由な選択であり、もしもグラタンやラザニアをリクエストされた場合「ご飯を炊いているのならドリアにしない?」と僕は言っていたに違いないのだ


 娘は正しい――僕はチキンドリアを作った


 二日目は彼女なりに一ひねり、イタリアンから離れてタコライス――メキシコ風アメリカ料理のタコスにお米を使った沖縄料理である


 彼女は僕と同じでトマトが苦手なのであるが、メキシコ風とかだと、まぁ食べられないことはない――それも僕と同じであり、結婚してからトマトをわざわざ買って調理をしたのは多分初めてである(必用な時はホールトマトを使っていた)


 三日目はパエリア


 小さい頃はアサリの味噌汁が好物だったのに、いつのまにか”食べるのが面倒”とあまり喜ばれなくなった

 運よく行きつけのスーパーではアサリとホタテの稚貝、シジミが安かったのでシジミは味噌汁に使い、海老とホタルイカ、タコの切り落としを買ってパエリアを作った


 タコライスもパエリアも初めて作ったが、今どきはネットで調べると”簡単レシピ”が簡単に手に入る・・・便利な世の中である


 僕は料理が好きだ

 子供の頃はまるで興味はなかったけれど、最初に努めた会社を諸般の事情でやめてしばらくプラプラしているときに料理を覚えた

 マニュアルがあって、その通りに作れば、食べられないようなものにはならない

 一つの料理でもいろんなアプローチの仕方があって、そういった物を試行錯誤して、母親にもいろいろ聞いたり、テレビの料理コーナーを見て、ああ、これは応用できなとか、そういうことがどんどん楽しくなった


 そして何よりも、作った物を食べてもらうのが楽しい


 褒められると嬉しいし、もっとこうすればという要望を聞くのも楽しい


 つまり、音楽も料理も小説も、僕は自分で作った物を人に楽しんでもらうことに喜びを感じることができ、尚且つ”作ることが好き”

 なぜなら自分の『聞きたい、読みたい、食べたい』という欲求を自分で満たすことができるから


 そう思った時、結局娘を利用して自分の欲求を満足させているだけなのかもしれないと気づく


 でも、それでいいのではないだろうか

 なぜなら一緒のそれを楽しんでくれる人がいるのだから

 もし、そういうことが大事なことなのだと子供たちに伝えることができるのであれば、それは至極というものではないだろうか


 ではまた次回

 虚実交えて問わず語り

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