第117話 非常識な犬のフンにまみれた話

 続報です

 やはりあれはまぎれもなく犬の糞でした


 飼い主はどういう訳か、あの位置に故意に糞をさせているとしか思えません

 今どきなんて非常識な人がいるものだと、憤慨しております


 フンだけに


 さておき、そこで僕はふと、何を持って非常識なのかと、僕は何に怒っているのかと考えました

 もちろんうっかり自分が踏んでしまっては困るというのはあります


 フンだけに


 あるいは社会正義や道徳や社会規範、さらには個人的な怨恨に巻き込まれてしまったような嫌悪感でしょうか


 それらをひっくるめて”非常識”と罵ったり、糾弾したりすることに、僕はもともと違和感を感じているくらいの人なのに、いざ自分がそのような場面に出くわすと口をついて出てしまう言葉――非常識は魔法の言葉なのかもしれません


 なぜなら、その言葉を発した人は誰かの常識のなさを批判すると同時に、自分にはそれを言うだけの”資格”がある――つまり常識人であると主張することができるのです


 ”あなたのやっていることはとても非常識なことなのよ!”


 ではそれにこんな言葉で言い返してみたらどうなるか


 ”非常識って言っている奴が非常識なんだよ”


 馬鹿馬鹿しいですね

 『馬鹿って言った奴が馬鹿なんだ方程式』とでも言いましょうか、死なばもろとも、お前も地獄へ道連れだと言わんばかりの逃げ口実


 こういうことは”陳腐ではあるが効果的であり、効果出来であるがゆえにより多用され、陳腐に見える”なとと言うセリフを着けるとなお、嫌味度が増して効果的かもしれませんね


 相手を非難、糾弾する上で非常識という言葉は、実はそれほど効果出来てはないということに、人は気づくべきなのです

 しかし、効果的でないからこそ、多用されるようになったとも、この場合は言えるのかもしれませんね


 とはいえ、それほどまでに僕が放置された犬の糞のことを”非常識”だと非難するのであれば、こんなことを書いていないで、掃除をするなり、張り紙をして警告をするなり、行動に移せばいいのではないかと、そんなことを考えてしまいます


 しかし、その行動の動機はいったい何なのでしょう

 非常識に対して常識ある態度、手本、模範を示す行動をとること、それはいったいどう評価される行為なのでしょうか?


 善意でしょうか

 それとも非常識なことをする人に対する敵意でしょうか

 正しくないことを見逃せない正義でしょうか


 人間の感情は複雑であり、今上げたすべての項目が混ざっているのが普通ではないでしょうか?

 それなのに人はつい人の行為を単純化しようとして”あの人は真面目だから”とか”お人好しだから”とか”神経質だから”と自分が納得しやすい理由を探してしまいがちです

 僕からすればそんなことこそ非常識だと思うのですけれどね


 人の家の前に犬の糞を放置するほど非常識でもなければ、それを自ら行動を起こして是正すような非常識の対極に位置するほど超常識人でもない


 非常識と言ってしまうことは簡単ですが、その中身に関しては、言ってしまったあとでもいいので、熟考しておいたほうがいいかもしれませんね


 そうすることで、自分の思っている常識が、実はとても揺らいでいることに気付くかもしれませんし、揺るぎのないものであることを確認できるかもしれません


 それを分別と言うのかもしれませんね


 フンだけに


 では、また次回

 フンにまみれず、虚実交えて問わず語り

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