第112話 フィルターと鳥籠とFreewill

 一度に大量の情報を処理しなければならない時、人はある程度のフィルターを掛けて余計な情報をシャットアウトまたは、最小限の質量に止めることで、効率的に処理をします


 たとえば、1キロの道のりを歩きで行くのと、自転車でゆっくり走るのと、立ちこぎをして全力で走るのと、車を運転して行くのと、車の後部座席に座って行くのとでは――

視覚<行き交う人、街の風景>を始め

聴覚<砂利を踏む音、子供の笑い声、エンジンの音、鶏のさえずり>

嗅覚<木々の香り、中華スープの香り、雨に濡れた地面の匂い>

触覚<まとわりつく風、照りつける太陽、土の柔らかさ>

味覚・・・は、まぁいいでしょう


 それらの感覚情報はまるで違うものになります

 車を運転しながら移動するには、目的地にたどり着くまでの効率的手段しか情報としては欲しないでしょうし、せいぜい通り過ぎるラーメン店を見て、あとで食べにこようとか思うくらいでしょ


 逆に自転車でゆっくり走る場合は、心地いい風を受けて気分は上々、うっかりすると鼻歌を歌いながら流れて行く雲の形や、目の前を横切る女子校生の姿に目を奪われるかもしれません


 歩きで行くあなたは、目に映る景色から、何かを思い出すかもしれません

 主婦と思しき人がぶら下げているスーパーのレジ袋から顔を出す長ネギを見て、ああ、ネギ買わなきゃと、冷蔵庫の中身をあれこれ思いうかべるかもしれません

 腰を曲げて歩いているお年寄りを目にして、田舎のおばあちゃんのことを思い出して、年末年始に帰省することを考えるかもしれません

 すれ違った女性のシャンプーの香りに昔の彼女のことを思い出すかもしれません


 このように同じ場所にいても、移動手段が違うだけで見える景色や感じること、そしてそれによって思い出したり、考え事をしたり、世界と言うのはこのように形を変えてしまうのです


 それに世界はあなたを放ってはおきません


 見知らぬ人に道を聞かれるかもしれません

 知り合いとすれ違って挨拶をするかもしれません

 近くのコンビニでアルバイトをしている可愛いお姉さんの私服姿にドキッとするかもしれません

 そんなあなたを近所の人がこっそり見ているかもしれません

 小さな女の子が迷子になって泣いているのを見かけるかもしれません


 そう、あなたは時にそれを自由に選択することができます

 或いは、選択を強いられるかもしれません

 しかし、どんなに自由な選択にも実は少なからず制限があり、どんなに不自由な選択にでも、あなた次第でどうとでもなるということがあります


 寛容なことは、何一つ思いのままにはならないと絶望しない事

 そして、なんでもできると過信しない事

 それを踏まえて、自由の中の制限と、不自由の中の裁量を常に図って、無意識な自分に向き合い、意のままに進んでいるように見えることが、実は自分が見えていないところで意図していない事象が影響しているかもしれないという可能性を無視しないこと


 つまりは”謙虚であれ”ということになります

 と同時に、物語の主人公が自分であることを忘れるなということです


 あなたは物語の主人公として、歩くか、走るか、自転車に乗るか、車を運転するのか、後部座席に乗るのかという状況の中で”生きている”のであり”生かされている”のです


 そこで掛けられるフィルターが存在することを忘れなければ、歩いて得られるものと車の後部座席で得られるものの違いについて、あなたは意識をして世界と接することができる


 もしフィルターの存在を忘れ、その時、その時に得られた情報ですべてを処理しなければならないと考えるのなら、なんと不自由なことでしょう

 たとえ、あなたがそれで、自由だと思っていたとしても、それは鳥籠の中の自由なのかもしれないということを、意識するべきなのだと、僕は思うのです


 では、また次回

 虚実交えて問わず語り

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