第111話 世界はあなたを見てはいない
たとえば学生時代からの旧知の間柄だった人といろんな縁があって、同じ職場で働くなんてことがあったとします
そうすると、ああ、仕事はこんな感じなんだとか、意外とやるなとか、女ったらしだなとか、世渡り上手だなとか、不平不満が多いなとか、その人の違った面を見ることがありますよね
たとえば集団に新しい人が入ってくる、または誰かが外れることによってガラッと雰囲気が変わるなんてこともあると思います
あるいはそんな目立った変化のない人間関係が、急激に結束して行ったり、逆にギクシャクして行ったり、その原因はそれまで意識していなかった男女間の変化や、まったく集団とは別の人と人との係わり合いの変化が原因ということもあるでしょう
そう考えると、変化をしない人間関係を求めることは、無理なのかもしれません
夫婦は神前で永遠の愛を誓います
しかし永遠の愛とは永遠に変わらぬ人間関係化といえば、知り合い同士、友達同士から始まって、恋人になり、夫婦になり、家族が増え、子を授かって親となり、父になり、母になり、孫ができればジジとババになり、やがて死に別れてどちらかが残される
死んだ夫や妻の異例に毎朝挨拶をする日々も含めて、これは夫婦という人間関係なんでしょうが、それぞれにまた、親兄弟、親戚を持ち、会社や地域の人たちとの交流もある
ふと人間関係に悩むことの、本質というのはこのあたりにあるのではないかと思うことがあります
日々常に変化し続ける関係性を何かひとつの価値観で括ろうとしたり、縛ろうとしたり、予測したり、解釈することというのは、常に誤解や摩擦の種となるのではないか?
とはいえ、まじめに考えれば考えるほど、なんと馬鹿馬鹿しいことだなぁと、僕は思ってしまう
世界はあなたが思っているほど、あなたを見てはいない
そして世界はあなたが思っているほど、あなたを放ってはおかない
僕の好きなことばなんですけどね
人間関係がどんなに多面的であっては、世界は自分と他人しかいないんです
なにを当たり前のことを言っているんだと思われるかもしれませんが、思い、考える自分(=自我)というのがいて、その自分を観察している他人(=観察者)によって世界は存在しうる(=主観と客観による証明)となります
ところが観察者と自我は時に一対一の関係であり、時には複数対一の関係であり、世界は多面的に接する面ごとに存在するともいえます
現実世界――すなわち、人間が把握できる時間と場所における今この瞬間の世界は唯一無二であると同時に、多面体が接触しながらお互いを認識しあうことで”本来別々の世界”を統合してひとつたらしめているとも言えるのです
しかもその多面体は変化し、回転し、消滅し、生まれ、老い、結合し、分離する
いやはや、ややこしいことこの上なく、そんなことなら、この世界は神とかいう超自然的存在によって作られたと考えたほうが、よっぽどすっきりするというのは、まぁ、納得性の高い話です
ところがいま、世界が本格的にネットワークで有機的につながり始めたことで、独り言がときに全世界に伝播するような時代が到来すると・・・
おっと、情報量があふれ出しそうですね
本日はここまでにしましょう
では、また次回
虚実交えて問わず語り
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