第101話 社会システムは個人の孤独を守るために存在する

 『日本代表を引退します』

 W杯ロシア大会、決勝トーナメントの第1回戦、強豪ベルギーを2対0と一旦は内容でも点数でもリードした”孤独な日本代表”は、まさかの逆転負けを喫し、ピッチを去りました


 「ベルギーがここまで積み上げてきたものと、日本が積み上げてきたものと、最後はそこの差になるかもなぁ」

 後半ロスタイムに入った瞬間の僕のつぶやきは現実のものとなりました


 戦士の孤独、孤独な戦士、孤独なヒーロー、なんとなくゴロがかっこいいし、枕詞のように使ってしまいがちですが、そういう言葉を使うわりには、日本人には”孤独を敬う文化”が欠落しているように思うことがあります


 ”孤独はいけないこと”

 協調性や和を尊ぶのが日本的であるという思い込み、刷り込みはどこから来ているのでしょうか?


 よーく考えてみるとわかることですが、たとえば武士などというものは、孤独と無縁ではなかったはずです


 侍の潔さとは、正々堂々と戦うことだと、僕は思わないのですがね


 ”サムライらしくない闘い”なんていうキャッチフレーズは、言語感の枯渇じゃないかと思うくらいなのですが、そもそも侍は孤独なんですからチームプレイに侍を重ねるのなら、もっと一人一人の選手の生きざまにこそ注視すべきであって、侍が守るのはすなわち国や名誉やお家なのですから、なんだか日本サッカー協会を守る兵士みたいで、僕は好きじゃないんですよ――この使い方


 人間は社会的生き物であるという現実感と人は元来孤独であるという思想は決して相反するものではなく、つまるところ人は自らの孤独を守るために集団になって≪生活=生き残る≫のためにやらなければならないことを効率化、集約化して孤独でいられる時間や空間を確保する


 つまり社会システムは個人の孤独を守るために存在する手段に過ぎないと僕は信じて疑わない


 もしそうでないのであれば、人に心は必要ありません

 生きるために必要のない能力、機能など、存在できないのです

 人は孤独であろうとし、そしてその孤独と向き合うからこそ、他者を愛し、敬い、畏れ、慈しみ、愛でることができるのです


 もし社会的であることが人が生きる絶対条件であるとするならば、恋愛も家族もよりシスティマチックに構成されるべきですし、そこに心はおそらく必要なく、そのもっともすぐれた生態系とは昆虫の世界なのではないでしょうか


 孤独を受け入れない限り、心は満たされることはない

 自分の孤独を受け入れることができない人に、どうして他人の孤独を受け入れることができようか

 人を好きになるということは、その人を好きになれる自分を好きでなければならない


 それは当たり前のようで、社会的に生きれば生きるほど、困難を極めるという矛盾を抱えていることに、もっと危機感を覚えるべきなのだ


 ピッチを去る孤独な戦士たちに僕は拍手を送る

 彼らは国の代表となり、”社会的システムの象徴”という器に身を捧げ、大事にすべき孤独を犠牲にしてあの場所に立っていたのである


 それは彼らの夢から始まったのかもしれない

 しかし、その夢に誰かの希望が重なった時から、孤独であることを許されないのである


 あなたのそばにも孤独な戦士や孤独なヒーローがいると思いますよ

 どうか、その人たちが、第一線を離れるという時には、栄光も挫折も過去のことなのですから、彼らに孤独を返してあげてください


 それでは、また次回

 虚実交えて問わず語り

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