第94話 ファルカンを忘れない

 2002年にワールドカップが日韓同時開催ということが決まり、なんとしてでも日本はその前のフランス大会に自力で出場しなければなりませんでした

 ドーハの悲劇から本格的な強化をどうすべきかと言う議論が始まりそれまで代表を率いてきたオランダ人監督ハンス・オフトからブラジルの黄金のカルテットの1人ファルカンが招集されたとき、新しい日本のサッカーというものをみんな夢見たものですが、ローマは一日にしてならずと申しまして、まぁ、何かと上手く行きませんでした

 日本人でフィジカルの強い選手を集めてはみたものの、ドーハの亡霊を払しょくすることは叶いませんでした


 そしてついに決断します

 ”日本人監督で行こう”


 当時マリノスを指揮していた加茂監督は、読売クラブとの激しい攻防で見せた勝負師として高く評価されていたので、まぁ、当然の選択ではあったのですが、ご存じのとおり、予選の出だしこそよかったものの、ホームで迎えた韓国戦で先制しながら消極的な選手交代によって、最大のライバルに逆転勝利をプレゼントすることになります

 さぁ、ここから流れは一気に悪くなります

 不甲斐ない試合をする代表に容赦ない罵声が浴びせられ卵が投げつけられるなんてこともありました


 嗚呼、日本もサッカーの国になってきたなと、そんなことを思ったことを覚えています

 しかしまぁ、どうにかしなければならない


 そしてまさかの予選途中での加茂監督更迭、そして岡田コーチの監督就任という”ドタバタ劇”が起きます

 ”誰だこれ、大丈夫なのか?”

 正直あのメガネのジャージ姿に何ら期待も持てませんでしたよ


 しかしまぁ、ご存じのとおり、”ジョホールバルの歓喜”へとつながるのですが、あれもまぁ、今にして思えば、本当に”岡野! こらや野人! 早く決めろ!”という試合でしたね


 そうえいば今回のワールドカップの中継でゲストに岡田元代表監督と岡野が呼ばれていて、岡ちゃんが”ここでぼくなら岡野を投入するんですがね”と戦術ボードを使いながらくだらない冗談を言っていたのが印象で来てでした


 嗚呼、日本もサッカーの国になってきたなと、まるで思いませんでしたが、もはやこの冗談が通じない世代が、渋谷のスクランブル交差点でハイタッチをしているのかと思うと、まぁ、こんなふうに昔話をしたくなるのがアラフィフサッカーファンという物ですよ


 さて、フランス大会では結果を残せなかったものの、ゴン中山の日本人ワールドカップ初ゴールが生まれはしたものの勝ち点を奪えず、カズと北澤の代表落ち、無得点で帰国したFW城彰二に空港で水を掛けられたとかフランス大会はどちらかと言うとネガティブな印象の大会になってしまいましたね


 まさにレ・ブルー


 フランス大会の後、日本人が海外で活躍するのもだんだんと珍しくなくなっていく過程で、キングカズよりもはるか大きな舞台に立つことになる二人の選手 中田英寿と中村俊輔の話、そしてフラットスリーについてはまた次の機会に


 ではまた次回

 虚実交えて問わず語り

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