第89話 本当の恐怖 生ける屍の夜
人生の折り返し地点に向かっているのか、超えているのか
まぁ、恐らく超えているのだと思うのだけれど、ごくごく最近まで克服できなかった恐怖という物があります
初めてそれを見たのは、1970年から1984年までテレビ東京系で放送していた金曜スペシャルという番組の中でしばしば、怪奇ものやSFものの映画の特集が組まれ、フランケンシュタインの怪物や狼男、蛇男、ハエ男など、いわゆる怪人やモンスターの映像ダイジェストを放送しておりました
そこでジョージ・A・ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』――つまりゾンビを始めて知るのでした
小学校3年かそこらですかね――いやぁ、怖いのなんのって、西洋三大モンスターはどこか作り物感があって、そんなものは実際には存在しないって考えられたのに、ゾンビだけはそうはいかなかった
なぜなのか
人が人ではなくなり、肉塊になっていく姿、そして人が人ではなくなり、獣でもなく、機械でもなく、ゾンビという集団行動する悪夢とでも言うのでしょうか
もし適当な理由をつけるのならば、これに似た恐怖は『黒い絨毯』(くろいじゅうたん)1954年にアメリカで公開された南米アマゾン川で発生した人喰いアリの大群と農園主の闘いを描いた昆虫パニック映画に抱いた恐怖の人間版だったからかもしれません
子供の頃、平気だった蟲が大人になると急に怖くなる
”食べる”という目的に向かってどこまでも愚鈍に進行する群れに対する恐怖は、人は群れてこそ野生に対抗しえたのに、こちらが個で相手が群れであるとまるで勝ち目がない
捕食されることがすっかりなくなってしまった人間の、実は原始的な恐怖に訴えるからではないのだろうか
さて、このあたりに関する考察は人それぞれいろいろとあるのだと思いますが、僕にとって不思議なことは、この”恐怖は遺伝する”ということ
ある夜、僕の娘が怖い夢を見たらしく、怯えています
話を聞いてみるとそれはゾンビの夢を見たというのです
彼女にとってゾンビと言うのは現代におけるモンスターの代表的な存在であり、直接は観たことがなくても、なんとなくどんなものであるのかは、ある程度わかるような年齢だったと思います
しかし、我が家でロメロのゾンビなど流そう訳もなく、そういう動画をパソコンでみるようなことは、まだ彼女がしない、知らない時期でした
娘曰く、近所を歩いていると様子のおかしい人たちがふらふらと歩いていて、それがゾンビだと分かったそうです――夢とは常にそういうものだと思います
さて、彼女は駅の方に逃げます
するとそこではもうゾンビがあちこち徘徊しています
ふと見るとタクシーの運転手が近寄ってくるゾンビをナタのような刃物で次々と切り倒して行きます――鬼気迫る表情で
娘にとってはゾンビよりもそのタクシーの運転手が怖くなり、そこから逃げ出してよやく家にたどり着きます
家の中ではすでに母親がゾンビ化していましたが、ゾンビ化する前に縛り付けていたので、大丈夫ですが、殺すこともできません
鍵をかけた玄関をゾンビたちがどんどんと叩きます、そしてピンポーンと呼び鈴がなると、こともあろうに弟が「誰か来た!」と言って玄関まで行って鍵を開けようとします
「やめて! 開けないで!」
でも、手遅れでした
ゾンビの群れが玄関になだれ込みます
そしてその中に、僕の姿があったそうです
いや、おかしいって、そんなはずないって、僕は思うのです
それは僕の悪夢であって、娘の知らない悪夢のはずでした
どうなのでしょう
恐怖は遺伝するのでしょうか?
では、また次回
虚実交えて問わず語り
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