第75話 怪談から生まれた怪物の正体
”フランケンシュタインとヴァンパイアは、同じ時に、同じ場所で違う人間によって創作された”というと、いったい何事かと思われるかもしれませんが、これは事実です
ブラム・ストーカーによって『吸血鬼ドラキュラ』が書かれる約30年前の1816年、スイス、レマン湖畔に詩人バイロン卿が借りていた別荘に5人の男女が集まりました
メアリー・ゴドウィン(のちのメアリー・シェリー)の両親は共に著名な作家であり、その家に出入りしていた詩人パーシー・ビッシュ・シェリーとメアリ恋に落ちます
しかしジョンは既婚者だったために駆け落ちをし、ヨーロッパを転々としますが、そこになぜかメアリーの義母妹クレア・クレモントもついてきます
そんな中でクレア・クレモントは当時人気のあった詩人バイロンと出会い、愛人関係になります
バイロン卿は妻がいるにも関わらず、あちらこちらに愛人を作り、果ては男性にまで手を出したと言われる御仁です
つまり集まった五人とは駆け落ちの二人とスキャンダルまみれの人気詩人にその愛人、更にバイロンの担当医であるジョン・ポリドリとなったわけです
彼らは暇を持て余していましたが、ドイツの怪談を朗読した時に、みんなで一遍ずつ、怪奇小説を書いてみようということになったわけです
そこで生まれたのがメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン、或いは現代のプロメテウス』であり、バイロンが途中で投げ出した作品を自分名義で出版したジョン・ポリドリの『吸血鬼』となるわけです
『ディオダディ荘の怪奇談義』と呼ばれることになる別荘での奇妙な男女5人の生活は、退廃と背徳とそれに釣り合わない近代的思想や科学――無宗教主義、生命の起源、哲学談義が行われ、そこからともに不死とも呼べる存在が創作されたというのは、タブーを恐れない発想や空間がそこにあったことを容易に想像させます
『ディオダディ荘の怪奇談義』は監督ケン・ラッセルによって『ゴシック』という映画になっており、後に彼ら五人に降りかかる”数々の死”の原因は、その怪談を語り合った夜にあるとしているとか
”数々の死”は実際に五人の身内――メアリの子供やシェリーの元妻、そしてパーシー・ビッシュ・シェリーの事故死、バイロンの病死などを経て、この話に関わった人物の子孫は残っていないという呪いじみた事実に、ついつい悪魔的な因果を考えてしまうのは、自然という物でしょう
闇に身を寄せる者は、いずれ闇に取り込まれる
そんなことについつい思いを馳せてしまいます
では、また次回
虚実交えて問わず語り
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