ロンリー・ナイト~過去と現在と未来の孤独

第35話 今夜もロンリー、孤独なトゥナイト

 ”長生きはしてみるものだ”と、そういうことを思ったり、口に出したりする日が来ようとは……


 ”生きる”ということを、人は概念としてどうとらえているのか

 いささか難しく、また大仰な話に聞こえるかもしれませんが、これもまた”見える景色”の違いで変わってくるものなのです


 ”人は元来、孤独である”とは、たとえば10代の頃にはなかなか考えないものだし、そういう考え方に触れたとしても、実感がわかないものです


 ”実感を得られない言葉は、頭には残るが心に留まらない”

 十代には十代の、二十代には二十代の”孤独”というものはあるのだと思いますが、あなたの赤色と僕の赤色が、違うように、十代の孤独と二十代の孤独は違うのです


 白や黒であれば、万人が思い描く色は同じですが、赤や黄、緑や青といった色は、人によって違います


 思うに10代や20代の若い世代が共通に抱く”孤独像”と言うのは、目で見て、手で触れられるものと自分の距離を指し示す意味が強いのではないでしょうか


 家族と自分、友達と自分、学校や地域社会と自分


 僕が”人は元来、孤独である”と言った場合の”孤独”とは、目で見たり、触れたりはできない孤独――コミュニケーションやスキンシップとは違う”哲学や精神論”の意味合いで使っているのです


 「人間は元来一人で生まれて. 一人で死んでいくものである。 大勢の中に混じっていたって. 孤独になるのは分かり切ったことだ。」とは田山 花袋の言葉です


 「孤独だからこそ、愛がほしいし、語りあう人がほしい。」とは瀬戸内寂聴らしい言葉です


 ”孤独”に対しての考え方は人それぞれで良いのですが、言葉にしてしまうと、それを発した側の”使い勝手”と受け取る側の”聞き勝手”によって、齟齬が生じることもしばしば――言葉は尽して足りず、尽し過ぎて難しくなってしまいがちなのが厄介です


 若造の頃に思っていた”孤独”というのは、マイナスのイメージしかなかったのに、いい歳になってくると”孤独を愛す”などと、恰好を付けてみたり、縁者知人に先立たれると妙に淋しがってみたりと、”孤独との付き合い方”もいろいろと変わってくるのです


 あなたは今、どう孤独と付き合っていますか?

 長生きはしてみるものです

 内側と外側のいろんな孤独を眺めることで、今夜もお酒がおいしく飲めますよ


 ではまた次回

 虚実交えて問わず語り

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