第30話 認めなくていいのです、若さゆえの過ちなど

 認めなくてもいいのです

 若さゆえの過ちなど――当たらねばどうということはないのですから


 かの赤が似合う将校が申していたように、若さとは過ちの要因となるマイナスなものなのですが、とかく世の中は若さを称えます


 世の中、称えられているものほど悪用される

 崇められるものほど中身は空洞で

 奉られるものほど実益はないのです


 そして大人はそれを知っていて利用する


 疑うことこそ真実に一番近づけると知りながら、若者には『大人の言うことは聴くものだ』と胡坐をかくのです


 今の世の中のありようとは、どういうものか

 僕の考えでは”誰も望んでいない形で世界は存在し得ない”ということです


”戦争はいけない”と望む者がいれば、戦争のない地域や期間は必ず存在するのです

 しかし、一方で”戦争は必要だ”と考えている人たち、望んでいる人たちがいるのです

 だから世界から戦争はなくならないし、平和ではない場所もなくならない


 ある日突然すべての病気がなくなったとしましょう

 医療に携わる人は職を失いかねません


 かなり過激なことを僕は言っていますが、しかしそういうものだと僕は思います


 いうなれば人は”死”も克服してしまっている

 幽霊や魂や天国と言った概念とはすなわち”死の否定”となるのです


 だからこそ、若さは正しく、そして強くなく、価値がないものなのです


 死にもっとも遠い若さは、正しい

 死に近い人の正しさは死によって無に帰り、生き残ったことによって若さの正しさが証明される


 だが強くない

 若者が年寄りを殴り倒したところで、誰も彼を強いとは認めてくれない


 故に価値はない

 価値とはそもそも社会が基準となる

 社会を作ったのは若者ではなく、若者は社会に寄与していない

 故に社会において価値は認められない


 認められないということを知ったとき、だからこそ、彼は言うのです

 ”認めたくないものだな、若さゆえの過ちというものを”


 親の敵をとるために、彼には力が必要だったそうですが、その誓いを立てたとき、彼はまだ10歳(だったかな)であり、彼は若さを呪ったことでしょう


 志を持つものにとって若さはなんの価値もない

 大人にとって志を持った若者ほど、面倒で恐ろしいものはないのです


 だから、大人たちは言うのです

 ”若さはいい、若さとはそれだけで価値があるのだ”と

 だから志など、無理に立てることなどないのだと


 とまぁ、ここまで言うと、どちらかというと年寄りの僻(ひが)みに聴こえちゃいますかね


 若さは大事な要素です


 大人はそれがうらやましい


 過ちを犯しなさい


 そうしないと見えない景色もあるのです


 過ちを犯すあなたは正しい

 過ちを恐れるあなたはもう、若くはない


 過ちとは過ぎたること

 過ちと間違いの違いを、どうか考えて欲しい


 ではまた次回

 虚実交えて問わず語り

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る