ソーシャルメディアと歌うたい

第18話 孤独なSNS

 ソーシャルネットワークサービスという言葉がまだ耳になじまない頃、僕はあるゲーム系のブログサービスでちょっとしたネットワークを形成していた

 アメブロのピグに近いサービスをやっていて、自分の部屋を飾ったり、アバターの着せ替えができたりした


 当時、僕はまだ物書きではなく、ゲーム会社に勤める管理職で、mixiなどのブラウザーゲームの市場調査も兼ねていたが、実際ちょっとした息抜きになっていた

 学生の頃にFMステーション(*1)という雑誌にレコード評やアーチスト評を応募して何度か採用されたこともあり、自分の好きなアーチストについてのうんちくをあれこれ記事にしてアップしたことで、そういうことが好きな人とのつながりができた


 たまに自分が作った料理の画像をアップして同じように子育てをしているママ友もできたし、サッカーも大好きだったので、日本代表のふがいなさを叱咤激励したり、好きなイタリアのチームを賛辞する記事を書いたりと、自分の好きなことをあれこれとアップし、”顔を知らない付き合い”というのもわるくないと思った


 一方、実際に顔を知っている人で普段なかなか会えない人とのコミュニケーションツールとしてmixiを使い始めたのもこの頃だった。


 やがて僕が最初に始めたブログサービスは閉鎖となり、アメブロにすべてのデータを移行した。mixiも過疎化(*2)が進み、twitterやFacebookに活動の場を移していった


 栄枯盛衰、そういうことは世の中の常である


 僕は、函館に生まれ、3歳で埼玉の上尾市、4歳で川崎市、5歳で東京に引越し、中学にあがる前にも引越しをしたことで、実はわりと短い周期で地域コミュニティを転々とした経歴がある


 今住んでいる町は、実に居心地がよく、気がつけば22年も住んでいる。本来的にはそこで22年の地域コミュニティとなるのだが、実際にはカミさんとであった以外は、特に地元の誰かと知り合いになることはなかった


 子供が通っていた保育園や小学校でもなかなかそういうことにはならなかったのは、さて、僕がそれを必要としていなかったことに大きな原因がある


 僕の関心ごとはカミさんと子供たち、それを中心とした家族づきあい、会社の同僚、気軽にやりとりができるSNSの仲間で十分に満たされていたのである


 子供が少しずつ手がかからなくなってきた頃から、僕は近所のカラオケバーに出入りするようになり、そこで初めて地域のコミュニティに参加することになる


 秋田美人のママが切り盛りする、家から歩いて2分のところにあるその店には、気のよい酔っ払いたちが、カラオケの技量を競いながらも楽しくわいわいとやっていた。たまに面倒な人もいたけれども、それも酔っ払いのやることである


 お店の10周年記念パーティは、大きな宴会場を借りて盛大にやったし、ママが応援する若手の演歌歌手のイベントにも参加した

 僕は歌は好きだが演歌的な歌い方はどうもできない――こぶしがまわらない(*3)のである

 それでもリクエストにお答えして、その若手演歌歌手のイベントで彼の歌を歌うことになった

 人前で歌うことは得意だが、流石にこれは足が震えた


 さて、こうしたひとつの地域コミュニティへの参加は、別のコミュニティへの広がりをもたらすというのは想像に難しくないだろう

 このお店は長いこと通ったのだが、僕はもっと居心地のいい場所を見つけることになる


 ひとつはSNSを通じて実際にその人たちと会いに行くということで生まれたコミュニティ、もうひとつは地域コミュニティのより深い階層ということになるのだが、少々堅苦しい調子でここまで続けてきたが、次回はちょっと弾けましょう


 そして僕は今日、これから静岡で活動をするインディーズアーチストのライブを観にいきます。そこには1000人近いファンが集まります


 僕は彼らに会いに行ってきます


 ではまた次回

 虚実交えて問わず語り


(*1)FM情報誌は1970年代後半から80年代後半が最盛期

FMステーションは40万部を超えていた。他にFMレコパル、FM fan、週刊FMなどがあったが2000年までにほぼ廃刊になっている。

当時、ミュージックライフが女性に人気のあるアーチスト情報に特化していたのに対して、幅広いアーチスト情報やオーディオ情報やコミカルだったりおしゃれなカセットテープのインディックスカードのおまけなどが人気を得ていた


(*2)ソーシャルゲーム

mixiは『サンシャイン牧場』の参加者が一時、500万人を越すほど盛況だったが、2016年8月にサービスを終了し、それに伴い過疎化(幽霊会員化)が進んでいると言われている


(*3)こぶしとビブラートの違い

ビブラートは音を揺らす奏法でギターなら弦を抑えた指を細かく上下に動かすイメージ。こぶしはそれをしながらチョーキングといって半音から1音上げたり、ハンマリングといってピッキングなしに抑えた指のタップの繰り返しで揺らぎを与える奏法

ビブラートは正解があるけれど、こぶしは個性と言ってよい(めけ独自解釈)

だからその曲のこぶしのありかたではなく、歌い手の物まねか、独自の解釈となる

歌の心的な心酔がないと、恐らく嘘っぽくなる(さらなるめけ独自解釈)

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