第16話 遺伝子の引き合う街角
配偶者のことを何と呼ぶか
知り合ったときは苗字に”さん”をつけて呼び
気心が知れると呼び捨てにする
付き合いだしたころは”山田花子”とフルネームで呼んでみたり
”ハ・ナ・コ・さ・ん”と棒読みでからかうように言ってみたり
あれこれしているうちにどうにもしっくりこないので、”ねぇ”や”おい”や”なぁ”で済ますようになる
家族ぐるみでの付き合いになると、ああ、なるほど兄弟からはそう呼ばれているのかと”ハナ”と呼んで見るものの、どうにもしっくりこないので、多用はしない
僕とカミさんの関係は、そういう意味では最初からギクシャクしたもので、収まりが悪かったと言える
僕が知る限り、恋人同士というものは、もう佇まいが二人セットでお互いの呼び方などという物は、出会って数分で決まるものだ
少なくとも、今まで僕はそうだったし、近しい人々に例外は無いように覚えている
両親はお互いに”お父さん、お母さん”と呼んでいた。もっとも昔は”パパ、ママ”だったのだが、僕が中学生になったときに、それは恥ずかしいのでやめようということにしたのだった
両親の年の差は偶然にも僕ら夫婦と同じ9歳差
昭和一桁生まれの父は隣町の母に一目ぼれをしたらしいのだが、そのなり染についてはあまり詳しく聞くことができないままでいる
僕からすれば、父が母に求婚をしたということが未だに信じられないでいる
かくも遺伝子とは恐ろしい物なのである
僕がカミさんと結婚を前提とした”お付き合い”という同棲を始めてかっら籍を入れるまで、1年、互いを身も心も理解するのに費やしたのだが、それについては恋愛の末の同棲というよりは、押しかけてきたカミさんとの共同生活であり、これもまた遺伝子のなせる業だと僕は思っている
”恋愛の結果として必ずしも結婚があるわけではない”
日本人が自由に恋愛をして結婚をするようになったのは、本当に戦後のことであると思う。”お見合い”での成婚率が高いというのは、恋愛の過程で愛を育み結実としての結婚よりも一発勝負で遺伝子に身を任せてしまう方が効率的なのではと、僕は考えている
恋愛は男と女、結婚は家と家
古臭く感じるかもしれないが、遺伝子のマッチングで言えば、それは家と家であるほうが自然であるかのように僕は思うのだがどうなのだろうか?
さておき、僕はいまだにカミさんに面等向かって名前で呼ぶというのはどこか違和感を持っているのにもかかわらず、心の中とこうした文章や対外的には”カミさん”と呼ぶし、それは妻でも奥さんでも女房でも家内でもなく”カミさん(*1)”であるのは、人気海外刑事ドラマ(*2)の影響であることは言うまでもなく、ただそれ以上に西日本的な発想で、配偶者は”神”は言い過ぎでも”上”であることは間違いない
名とはもっとも簡単な呪詛である
それは『陰陽師』の中で 主人公の安倍晴明のセリフであり、僕の敬愛すべき作家(*3)が言うところなのであるが、これまさに”真”である
たぶん僕ら夫婦が出会うタイミングも場所もあの時あの場所でなければ、発動しなかったであろう”遺伝子の引き合い”
この街と20世紀が終わるというタイミング、そしてこれまで僕ら夫婦がそれぞれ生きていた時間というのが交差したことでしか、恐らくは成立しなかった関係だったのだと思う
僕が”めけめけ”であるのはその名によって”物書きで音楽好きで機械好き、人当たりが良く、酒好き、歌好き、女好き、論と理を好み、義を尊び、偽を用いて真を解く”というキャラクターであることを強いている――これが名と言う呪詛である
幼少のころは弟、妹の面倒をよく見る”お兄ちゃん”と呼ばれ、学校では委員長や部長と呼ばれ、ちゃん付け、さん付け、先輩付け、そうした呼び名はその人の人格に確実に影響を与える
僕が”カミさん”と呼ぶ”それ”は、いきなり独り暮らしの僕のアパートに上り込んできて、帰ろうともせず、部屋のトイレの中で歌いながら用を足しているとか、自分が作った料理をうまそうに食べるとか、テレビゲームを一晩中プレイするとか、果たしてこれは何者なのか? という答えを僕はそう呼ぶことで納得をさせている
互いの遺伝子がお互いを認め、一つ屋根の下で暮らすことを是としたのである
そして僕らが今住んでいるこの街は、僕らがこの地に根を張ることを、その時初めて認めたのだと、僕は思っている
両親は函館で出会い、僕が生まれ、弟が生まれ、その後すぐに上京した
出会いは函館でもそこに根を張ることがなかったというのは、つまりはこうして僕がカミさんと出会うために必要な一つの過程なのである
人との出会いは遺伝子のなせる業
そして街と言う共同体は、その遺伝子同士を引き合わせ、その街で暮らさせることで、自らの繁栄をもくろむ
こういう視点で物事をみることも、たまには、いいのではないだろうか
ではまた次回
虚実交えて問わず語り
注釈
(*1)(*2)配偶者の呼び方
海外ドラマ『刑事コロンボ』の中で、コロンボは「うちのカミさんがね……」と言うシーンが多々ある。これは翻訳において
My wife says,
My wife, she says to me
My wife always says
を 額田やえ子が動物学者の 動物文学者の小林清之介が使っていた「うちのかみさんが」という口癖を借用したもので、かつては西日本で多用されていた
(*3)夢枕獏著『陰陽師』
筆者が影響を受けた作家の1人。エロスとバイオレンスとオカルトの作家であり、格闘通の釣り好き。
第10回日本SF大賞を『上弦の月を喰べる獅子』で受賞
代表作『キマイラシリーズ』『餓狼伝』『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』
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