第4話

 鳴子先輩はしばらく杖をついて登校していたが、二週間ほどでそれもなくなった。そして進路変更届を出したらしい、とは、百目鬼ネットワークの情報だ。具体的な大学名はまだ決まっていないそうだが、とりあえず美大は諦めたとのこと。ふぅん、といつものように爪にベースコートから塗り直していたキツネさんは、終わった事件にはもう興味がないようで、頷くだけだった。それよりも沈んでいるのは、人ひとりの人生を変えてしまったのかもしれない乙茂内だ。弁当も箸が進まない様子で、憂鬱そうな顔をしている。綺麗な縦ロールの髪がその表情を隠しているが、透明なマニキュアを二度塗りし始めたキツネさんはくすりと笑って乙茂内を見る。


「あなたの所為じゃなくってよ、美女ちゃん」

「でも、美女が花瓶を動かさなかったら」

「花瓶一つで変わるお手軽な人生をしていた、それだけで十分じゃない。奮起するでもなく、殴りこんでくるでもなく、彼女は進路を変えた。私達に責任はないわ。クロッキー一枚駄目にされただけで壊れるようなプライドなんて、無いも同然よ」

「そのクロッキーなんですけどねー」


 スマホをいじっていた百目鬼先輩が、カメラロールで撮った写真を見せてくれる。四人頭を寄せ合ってみると、ふと不自然な事に気付いた。

 首が細すぎないだろうか、これは。


「これ、お銚子っぽいんだよね。んで百目鬼ネットワークは、美術の猪頭先生が酒豪であると言う事実を掴んでいる。毎週金曜日には飲み屋街に消えて行くと」

「つまり」

「どっかの居酒屋のお土産だったんじゃないかねぇ。一輪挿しっぽいと言っちゃあ一輪挿しだけどさあ。お銚子学校に持って来るとか、先生も大概だよ、ヒッヒッヒ!」

「そしてそれに魅せられて描いてた鳴子先輩も、中々の道化ですね」

「人生これすべて道化芝居さ、哮太君! ほーれ、美女ちゃんも笑え笑え! たった一枚絵がなくっただけで折れるなんてのはガラスのハートだよ! 時間を掛ければ良いってもんじゃないんだ、こんなのは! それすら解らず眼にクマ付けて、細かいことばかりに一生懸命、木を見て森を見ずってやつさ! だから、これでよかったんだよ、美女ちゃん」

「……はい」

「さ、哮太君今だ美女ちゃんの肩を抱け!」


 へ?


「こうですか?」


 くんっと軽く自分の方に乙茂内を引き寄せると、シャンプーの匂いがふわっと漂って、女の子はお砂糖とスパイス何か素敵なものでできてる、なんてマザーグースを思い出した。確かに乙茂内はそれで出来ててもおかしくないなあ、なんて思ってたら、パシャ、と音がする。ニヤニヤ口だけで笑ってる百目鬼先輩は俺達に向かってスマホを向けていた。


「これを全校の男子生徒にばらまいたら大変だねえ」

「俺を殺す気ですかあんた」

「って言うか百目鬼先輩! それ美女のスマホにも送ってください!」

「イイヨ~、しかし美女ちゃん真っ赤だね! そして哮太君は表情がないね! 初デートで失敗したプリクラみたいになってるよ、ヒッヒッヒ!」


 何を言ってるんだこの人は。


 しかし情熱を傾けていたものの唐突な消失と言うのは結構なダメージだろう。鳴子先輩みたいに学校に泊まり込んでまで絵を描いていた人なら尚更だ。それとも立ち直っていつかまた鉛筆を持つことがあるだろうか。失敗はつきものだ。それを理解出来たら、たぶん、鳴子先輩はまた美大を目指すだろう。失敗。失敗かあ。


「俺にとってはこの部に入ったことだろうな……いでっ」


 キツネさんがぷしっと軽く俺のこめかみを爪で刺す。


「哮太君、この部に何か不満がおあり?」

「何でもないです、キツネさん……」

「よろしい」


 むー、っと乙茂内が唸る。その不機嫌そうな顔を、また百目鬼先輩がスマホで撮った。


「やめてください~、今の美女すごく不細工っ」

「青春が迸ってて良かったわよ。ねえ、哮太君」

「いや俺はよく見えませんでしたけど」

「じゃあ写真を」

「だーめー見せないで! 百目鬼先輩コロッケ! コロッケあげるから!」

「仕方ない、せめて鍵付きフォルダに入れてあげよう」

「あんまり解決してない気がするの美女だけじゃないよね!?」

「はいはい、ごはんは静かに食べましょうね」


 キツネさんのお弁当は今日もいなりずしだった。

 この人いなりずししか食えないんだろうかと、と本気で思うが、蕨の天ぷらを摘まんで行ってくれたので考えないことにする。


 鳴子先輩が結局美大志望に戻った、とは、あとで聞く話だ。

 熱中してそれしか出来ない。

 俺だって中学時代はサッカーでそうだった。

 そう、靭帯切って二度と走れませんと言われるまでは。


「哮太君?」

「え? なんだ、乙茂内」

「何か難しい顔してたからどうしたのかなって……あとそろそろ肩離して欲しいなって」

「ああ、悪い」


 ぱ、と離すとキツネさんは機嫌よさそうにニコニコと、百目鬼先輩はニヤニヤとしていた。

 しかしサッカーから探偵ってのも、結構なジョブチェンジだよなあ。

 俺の進路も、どうなるんだか。

 出来れば大学ではこの三人と、離れたいもんだ。

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