第三部 第1話

 キツネさんが生徒指導室に呼ばれたのは朝の放送でだった。三年D組佐伯経子、直ちに生徒指導室へ。また進学でも進められてるのかな、と思ったが、昼食で地学準備室にやって来たキツネさんはどこか疲れた様子で指定席に着いた。俺も乙茂内も百目鬼先輩ですらその様子に驚かざるを得なかったが、一番面倒そうなのはキツネさんだった。ぺろりと味わいもせず食べてしまう稲荷ずし、それから爪の手入れもどこか上の空。あの、と声を掛けたのは俺だった。女子二人の視線に押されて。だって俺か弱い男子生徒だもん。この中で一番権力弱いもん。唯一の男子と言う悲しい宿世に今日も痛めつけられるんだもん。

「どうかしたんですか、キツネさん」

 ふうっと息を吐いて爪を乾かすキツネさんが、ああねえ、と億劫そうに言う。

「ちょっと警察に突き出されるかもしれなくてねえ」

「とうとう誰かを呪い殺したんですか」

「こっくりさんじゃなくてよ私は。失礼しちゃう。近所のデパートあるでしょう? 前村デパート。あそこの監視カメラにどうやら私が万引きしているところが映っていたらしいの」

「はあ? キツネさんが物取り?」

 思わず素っ頓狂な声を出してしまうと、そうなのよとキツネさんは困ったように笑う。

「ありえない」

「ないですね。それ、本当にキツネさんだったんです?」

「私ぐらいの髪の長さで色の薄い髪って言うと限られてくるのよ。しかも私は確かに昨日デパートに行っているの。お気に入りのマスコット付きの雑誌を買いに。そして盗まれたのもそのキャラクター関連の物だったのよねえ……符号が合いすぎて、先生方も困っているみたい。万年一位の優等生で通しているからね、これでも」

 先生方が味方なのは良いが、誰がそんなことをしたのだか分からなければ薄気味悪い。

「じゃ、今日の活動はデパートまで行ってビデオを見せてもらうことですかねえ。探偵部部長に掛かった嫌疑を晴らすためにも」

「そうしてくれると嬉しいわ、耳目ちゃん。私も朝から頭が混乱してて、購買部の前を素通りしてしまったほどなのよ」

「なんか買ってたんですか」

「いちごみるく。いつもはここに着く前に飲み干してしまうのだけど、今日はスルーしちゃったわ。勿体ない」

 ちょっと本気で後悔しているのはそこだけらしい。俺はなんとなくふすっと鼻で笑いを逃して、百目鬼先輩はニヤニヤしている。乙茂内も肩を震わせているようだった。ちなみに乙茂内の飲み物はミネラルウォーター、百目鬼先輩はメロンソーダ、俺はパックのお茶だった。何とも統一感のない仲間たちだが、俺達は信じている。キツネさんの無実を、心から。

「ちなみに何つけてたんです? そのマスコットって」

「ぐでたまよ」

 ある意味とってもよく似合う選択に、俺は思わず笑ってしまった。

「可愛いじゃない、あのおしり」

 ぷぅ、と初めてそこで機嫌を損ねるキツネさんだった。


 六時限を終わって俺達はデパートに向かう。キツネさんと俺は自転車を押して、乙茂内と百目鬼先輩はスポーツバッグを片手に。そう言えば一時期恋人の学校のスポーツバッグを持っていると恋が叶う、なんて噂があったなあ。中学の頃は高校のバッグ持ってる女子は多かった。俺は掴み取れと傍観する一派だったが。だって、言ってしまえば、下らない。当たって砕ける方が何倍も建設的だ。

 バックヤードの警備室に向かって行くのは、ずんずん歩いていく百目鬼先輩だ。こんな場所があった事すら知らなかった俺と乙茂内は、へー、ときょろきょろしてしまった。窓のない廊下といくつかの部屋。所々で切れてるLED蛍光灯。ビデオルームに直行するのはもしかして前科があるのか、考えながら俺はコンコンコンコンと四つのノックでドアを叩く百目鬼先輩を見る。と、ガチャリと開いて胡乱げな男性職員に見下される。百目鬼先輩はその耳元にひそっと何かを囁きかけ、すると警備員の制服を着こんだ男はこくこく顎を引いて俺達を中に引き入れ、自分は出て行った。

「何言ったんすか、百目鬼先輩」

「奥さんが切迫流産気味で入院してる間に性病貰って来たのばらされたくないですよね? って」

 どこまでも広がる百目鬼ネットワーク。最近は百目鬼地獄と言われているらしい。分からんでもない、その異称。って言うか本当にピンポイントでどっから持ってくるんだその情報。

 取り敢えずビデオルームに入ってちょっとアナクロなDVDを取り出す。昨日の五時から八時を見ると、確かに六時半ごろにキツネさんと思しき人がフレームに入って来た。場所は五階の書籍フロア、キツネさんはムックを漁っている。その後ろから近づく影は、男だった。キツネさんより背が高いから俺と同じぐらいだろう。制服は隣駅の工業高校の物で、片手に何か持っている。それをそっと、キツネさんのスポーツバッグのポケットに入れる。そして去って行く。

「……これ見てどこがキツネさんの犯行なんだよ」

「実行犯と共同犯に見られちゃったのかしらねえ。それにしても私、中等部からこの学校だから工業高校に知り合いなんてそれこそ小学校まで遡らないと居ないはずなんだけれど」

 ふう、とキツネさんが落ちてきた髪を払う。首筋が綺麗だ。なんてアホな事を考えていると、乙茂内に蹴られそうだからやめとこう。蹴ると言うか踏むか。モデル体型だし俺より小さいから軽くてあまり痛くはないんだが、足には気を付けなければいけない。個人的にのっぴきならない事情もあるし。

 もう少し遡ってみて、男の部分を切り出し解像度を上げる。ビデオ側に背を向けているせいか、その顔は確認できなかった。ただ、左耳にピアスを付けてるらしいことは解る。

「そう言えば乙茂内のピアスってどういう意味があるんだ? 確かピアス言葉みたいなものがあると思ったけど」

「あ、これは撮影の時に付けられたの。ちょっと痛かっただけに塞ぐのももったいないから意地になっちゃって……ハートのルビーは恋愛成就だよ、女の子は」

「男の子は?」

「知んない」

「男の左耳は守る人、勇気のシンボルだって言われてるねえ」

 いつの間にかスマホを取り出して調べているのが百目鬼先輩である。同時行動得意すぎだろ、携帯端末盗難の時もだけど。

 しかし守る人が濡れ衣着せてるんじゃなあ。やっぱりおまじないなんて下らない。信用がない。とため息を吐くと、今馬鹿にしたでしょ、と乙茂内に睨まれる。いえいえそんな。

「ピアスは発祥が欧米で色んな意味があるのよ。だから私は付けない。変なうわさが広がったら困るもの」

「でもこのビデオの先輩、付けてますよ? ピアス」

「え?」

 乙茂内の言葉に俺はもう一度画面を見やる。男の影に隠れているが、拡大してみると確かに――右と左、一つずつ付けていた。

「キツネさんイヤリング持ってます?」

「耳が痛いから好きじゃなくて持ってないわ」

「マグネットのピアスも?」

「以下同文」

「つまりこの人は――キツネさんじゃない、ってこと?」

「そーなるねぃ」

「おい、まだなのか!? そろそろ交代の時間なんだ、早くっ」

「ほいほいー」

 ドアの外からの声に、百目鬼先輩は百二十八ギガのメモリースティックを取り出して映像をダウンロードしていく。そして全部終わったら取り出して、さっさと立ち上がって見せた。ここで得られる情報はこれだけだろう、って事だろう。ひそこそ出て行った俺達の後ろからは、警備員さんが息を吐くのが見えた。

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