第26話 白いヨットと鯨ボール



 小学生最後の夏休み。夏休み、僕はいつも暇だ。友達がいないから。

 漁師町はなんだかへんてこりんで、いつもだれが強いか競っている。

 喧嘩に勝てば親分で、子分を連れて遊ぶ。阿呆みたい習慣だと思う。


 朝一、漁港でじいちゃん漁師の手伝いを三時間ほどやって500円もらった。そうなると途端に元気になってくる。いつもは自転車で市立図書館に行くくらいしかないけど、行動範囲が一気に広がる。子供料金で映画だって見れるし、アイスクリームだって買える。お母さんは300円をテーブルに置いて仕事に出かけている。合わせると800円。なんだってできそうだ。


 はるか遠く、海にかかるスカイライン( 空を背景とした道)から暴走族のラッパが心地よく響く。風はなぎ。お金は使ってしまうとなくなってしまうから今この瞬間に時が止まらないかなと僕は息をとめた。


 口をぷっと膨らませたまま、苦しさでぐるぐる回っていると、埠頭のほうに見慣れないものがあった。ヨットだ。錆びた鉄で汚れた漁船の中に光るような白いヨットが浮かんでいる。


 白いヨットが段々と近づいてくる。知らぬ間に僕がそっちに歩いていたからだ。

 近くで見ると白いヨットはますます白くて、僕はしゃがんで内部をのぞき込む。


 まぁるくて大きな瞳があった。そしてその瞳はスッと消えた。


「やぁ、地元の子かな?」

 キャビンの後ろから白い歯の男の人が顔を出した。俳優の誰かに似ている。


「ここはいいところだね。近くの神社に用事があってね、暫く逗留するんだ。ちゃんと許可は取ってあるよ。ヨットに興味ある? よかったら中を見てみるかい?」

 俳優の名前がどうしても思い出せない。だから僕はその場から走って逃げた。





 ※





 翌朝も僕は港に行った。桟橋にその女の子はいた。退屈そうにしていた。

 大きな目の女の子は同級生にもいるが、みんな日に焼けて浅黒くて、その女の子の白さを受け入れるのにだいぶ時間がかかった。女の子は僕と同じ六年生だった。


「嬉しいけれど、あんなに恰好かっこうよくはないなぁ」

 男の人は照れて笑った。昨夜、お母さんに名前を教えてもらい、だから僕は今度は逃げなかった。


 キャビンの内部は広くて、つやのある木目と清潔な金属と固いプラスチックで作られていて、初めてソファーと言うものに座り、その座り心地の良さに僕は驚いた。

 大抵は男の人が白い歯を見せて話をしたけれど、徐々に女の子も喋るようになっていた。僕は頷くほうが多かった。知らない話ばかりだったから。

 男の人は女の子のお父さんで、女子しかいない学校に通っているから男の子に慣れていないんだけれど、君が走ってかえっちゃうから昨夜は君のことばかり話していたんだよと笑った。中学も女子しかいない学校で、今度は寄宿舎でひとり暮らしをすることになったので、その前に夏休みを利用してヨットでの旅にでたのだと言った。

 この漁師町に寄ったのは慰霊の為で、ゆかりのある神社があるのだとそうも言った。





 ※




「どうだい? ガスを使うと危ないからね。焼肉も出来るよ」

 電気仕掛けの調理器具で僕はそれを初めて見た。だけど、その電気がどこから流れてくるのかはよくわからなかった。桟橋から引いているのかもしれない。


「せっかくの大阪だから一度たこ焼きをしてみたかったんだ、ほら」

 男の人がたこ焼き板を自慢げに見せた。

 鉄ではなく銅を打ち出したもので、たこ焼きと言うより明石焼き専用のすごく高い物だから間違えているのじゃないかと僕は思ったが黙っていた。男の人はお医者さんなので高くてもぜんぜん平気なのだろう。


「具がたこだけじゃ面白くないからいっちょ、闇鍋でいこう」

 男の人がそう言うので僕はいちど家に帰った。冷蔵庫からビニール袋を取り出し、テーブルの上に300円あったからそれを握りしめて、駄菓子屋にも寄った。


「じゃあ目隠ししている間に、順番に外から見えないように具を沈めるんだよ」

 蛸以外の材料は同じで、ネギ、天かす、桜エビ、紅しょうがを振りかけてひっくり返すときに順番を変えるともうどれがどれだかわからなくなった。


 最初に女の子が目をくりくりさせた。僕が入れたアポ〇チョコレートだった。

 僕たちが生まれた年にアポロは月に行った。だからなんとなく駄菓子屋で買った。


 今度は僕が目をくりくりさせた。女の子はくすくすと笑って、それがなんなのか、なかなか教えてはくれなかった。キャラメルだった。キャラメルの味なんてよく知っているはずなのに、溶けてたこ焼きになるとよくわからなかった。おいしかった。



「おお、これは旨いな。旨い。めちゃくちゃ旨いぞ」

 男の人が声をあげて、僕と女の子を交互に見た。


「多恵じゃないだろうからこれは君が入れたのか? いったいなんだい?」

 男の人は本当に驚いた様子だったので、僕はもうちょっともったいぶろうと思っていたのに、自慢したくてすぐに言ってしまった。


「鯨のベーコンっ!」

 母の故郷の親戚が送ってくれたもので、黙って持ってきたから後ですごく怒られるだろうけど、そのときはなにも考えていなかった。




 ※




「僕の家にはお父さんがいないんだ」


 お別れの日、僕が女の子にそう言うと、女の子はすこしだけ微笑んだ。


 白いヨットは滑るように遠ざかってゆく。僕はいつまでも手を振った。



 



 たぶん、

 ふたりはなにかとても辛いことがあって、

 それをのりこえるために、ヨットで旅に出たんだ。


 そしてたぶん、

 これが同級生たちが話していた、初恋なのだと僕は思った。

 

 



 

 

 

 





 





 

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