第25話 MOMO缶と春雨(2)

 T宅を取り囲むマスコミが200人から60人前後に落ち着いた。縮小したのではない。チームを組み、都市部のホテルなどを各社が借り受け、ローテーションで交代で張り番をする体制が整っていた。本腰が入れられた格好だ。異例中の異例である。


 1か月も同じネタがメインで続くなど通常は考えられない。どんな大きなネタも、次のネタが起これば世間の関心はそちらに移っていく。忘却と移り気は人類の生存の根幹であるのだから、細々と取材は継続してもそれがメインであり続けることはありえない。やはりこれも異常中の異常なのである。


「最初の寺内家の事件を司法解剖だけで終わらせたのが痛かった。警視庁の科捜研かそうけんに相当する部署で徹底的に調べていればな。専門家に言わせれば、服用せず皮膚から吸収する化学物質まであるそうじゃないか」

 芝谷省豆はこのうだるような暑さの中、スーツの上下をきっちり身に着けている。陣中見舞いに本社から役員が激励に来たからで、如才ない。


「先日と言ってることが違うな。逮捕されないほうが都合がいいんだろう?」

「揺れ動きもするさ。危ない橋だからな。それにあんたの答えもまだ聞いていない」

 芝谷はジャーナリストとしての独立を目論んでおり、マスコミが一方向に集中する逆張りを仕掛け、冤罪を主張しようと画策していた。あわよくば、Tの手記を出版し金銭的にも刈り取るつもり……私のことは金で釣ろうと目論んでいるようである。


 仲間に引き込むにもリスクが伴う。だから私のようなくず拾いに目を付けたのだ。



「さて……そろそろ姫君の謁見えっけんのお時間だ。土産はなにがいいかね」

 だらしなく緩めていたネクタイを締めなおし、芝谷は立ち上がる。




 月、水、金の午後7時。

 Tはマスコミをその屋敷に招き入れ、定例会見をするようになった。

 一律でひとりにつき3000円を徴収……パチンっ、と指を鳴らせば誰もが気づくこんな茶番に異を唱える者はいない。マスコミの矜持など忘れたかのように、金銭のほかに手土産競争まで始まっている。それほどまでに……喉から手が出るほどネタが欲しい。唯一の救いはテレビキー局そろって生放送を自粛していることだけである。


 40人×3000=12万円。×3=36万円。×アバウト4=……


 だが百万欲しさにTが会見を開いているとも思えない。彼女は楽しんでいる。


 私以外はほとんどが出かけたので伽藍堂がらんどうした部屋は、まるで親戚の家にでもいるよう。だがそろそろ私も動き出さねばならない。生放送は自粛だが、20分後には編集をかけてテレビ放送が始まる。日本中の目が釘付けになる。当然、Tに近い関係者はこの時間、家にいる。稀代の聖女か悪女かの姿に興奮し、口の堅い人間も真実を語りだす。


 芝谷のようなエリートとは違い、私のような学のない野良犬は最初からひねくれている。マスコミの取材は最初から連続殺人事件として予断をもって行われてきた。私も100%、Tが犯人であると確信している。……が、最初からバイアスがかかった取材は無価値なのだ。ルポは客観的だ。そうであらねばならない。でなければ……





 ※




「まるでチキンレースだな。会見が終わっても誰もなかなか腰をあげない。姫様が、

『もうお時間も遅いですしそろそろお開きにいたしましょう』とあのぷっくりした口でのたまうまではな、帰れない。だんだん殺したくなってくるよ、あの女」

 芝谷は連日の猛暑でカルキ臭い水道水を飲みもせず、頭からばしゃばしゃとかぶった。スーツの襟の色がみじめに変わる。


「あんたはなんで会見に行かない?」

「酔ってるのか?」

「姫様はお酒がお好きぃ、酒が飲めない奴は嫌いだとよ。Y新聞の田口はノリがあわないから帰れだってさ」

 事実だ。容疑者になってない段階でTの顔と名前を飛ばした週刊誌は出入り禁止。

 そこはY新聞系列である。本当に酒の飲めない奴が嫌いなのかどうかはさておき、Tは露骨な好き嫌いをする。機嫌を損ねてはと、みな右往左往する。こんなわかりやすい飴と鞭で、わかっていながら、百戦錬磨の男たちが翻弄されている。


「なあっ! 答えろよ。あんた取材に来ているんだろ? なんで会見に行かない?」

 普段は知的な芝谷が声を荒げた。相当に抑圧されているのが見て取れる。だが私は動じない。無学な自分がこのアルバイトをこなせている唯一の、特技。それは暴力への耐性だ。なんならこの場で殴り倒して、仕事を辞めたっていい。その気迫が相手を圧倒する。結局、自分にはそんなものしかない。どんなに創造的ななにかを求めても所詮はガラの悪い田舎者の存在でしかない。



「あーあ、姫様に献上して食い物はなんもかんもすっからかんだ。桃の缶詰と……」

 芝谷は時間をすっ飛ばしたように、さっきの私の威圧をいなした。そして……


「ひっかかったな? あんたはTに有利な証拠を握っている。だがTが犯人だと確実に考えている。その矛盾があんたを会見に行かせない。多分な。そして律義に一回やった関係者の聞き込みをもう一回こそこそとやっている。違うか? 気に入ったよ。十分だ。ここで俺を殴ったところで世界はかわりゃしない。人権問題に絡めて手記を出版できれば億単位だ。お互い、人生を賭けるには十分な金額だと思うね。……その前に兄弟の盃だ。これでとりあえずなんか作るよ」

 酔ってもいない私は、芝谷が食材を探すパタパタとせわしない音を、なぜか遠くに聞いたのだった。








 


 






 


 

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